第14話
その日の夜、ベットをこっそりと抜け出した僕は、バレないように靴を履いて玄関を出る。
向かう先は決まっている。
お姉さんは、そこに居た。
やっぱり鉄骨に座って、足をぶらぶらさせて、
そして僕を見つけて、悲しそうに笑った。
「少年、久しぶり。」
なんとなく、この時間にここに居るのではないかと思った。
本当に、なんとなく。
ひらひらと手を振るお姉さんは、
いつもと同じようで少し違う。
「死んじゃうの?」
僕の問いにお姉さんは少し驚いて、
そして諦めたように表情を緩める。
「そうしようかなー。」
お姉さんの目は暗かった。
遠くからしか見えないけど、でもきっと今、
お姉さんはどんな人よりも暗い目をしている。
「・・本当に、死ぬつもりなの?」
その問いかけには何も答えてくれない。
代わりに、いつもみたいに悲しそうに笑っただけだ。
でも、別にいい。
「・・ふーん、じゃあ。」
「僕も一緒に死ぬ。」
お姉さんは幽霊でも見たかのような顔をして僕を見た。
その視線に気付いていながら気付かないふりをして、鉄骨の方へと歩き出す。
「駄目だよ!来ちゃダメ!」
お姉さんは焦ったように声を荒らげる。
僕は止まらない。
絶対に止まってやらないと決めた。
「駄目だってば!!」
そんな静止も聞かずに、
幅数十cmの鉄骨の上に、片足をかける。
・・怖い。
こんな不安定な所に、お姉さんはいつもいたんだ。
自然と足が震えるけど、
もうどうにでもなれ、と鉄骨の上を渡り始める。
「だめって言ってるでしょ!」
お姉さんは必死に叫ぶ。
けどやっぱり僕は止まらない。
震える足に力を込めて、ゆっくり進んで、そして。
お姉さんの前に、立つ。
「なんで・・っ・・」
遠目からじゃ分からなかったけど、お姉さんは泣いていた。
ポロポロと両目から大粒の涙を零していた。
「・・だって宿題は多いし井上はいつも僕がサッカー下手なの馬鹿にするし、給食はピーマンが出る確率が高いし、もう嫌になっちゃった。」
そんな理由あるか、心の中で自分で突っ込んだ。
お姉さんは何も言わない。
「だからお姉さんと一緒に死ぬよ。
だって1人は寂しいでしょう?」
怒りとも悲しみともつかない表情で涙を流しながら、僕の顔を見て、そして俯く。
「・・駄目だよ。」
「何が?」
「駄目なものは駄目だよ・・。」
それ以上お姉さんは何も言わない。
またそれだ。
お姉さんはいつもそうやって僕を心の中へは入れてくれない。
ふつふつ、と怒りがこみ上げてきた。
「お姉さんが言ったんだよ!!」
気がついたら僕は叫んでいた。
お姉さんも驚いて顔を上げる。
「自分の気持ちに嘘ついちゃいけません!!僕に何回もそう言ったじゃないか!!」
なんだか分からないけど涙がこぼれた。
そのまま涙は止まらずに川の中へと吸い込まれていく。
「お姉さんが言ったんじゃん!!
なのに何で嘘つくの!?自分に嘘ついちゃダメなんでしょ!!」
その言葉に僕は救われた。
カッコつけたことばかり言って本心から逃げていた。
本当は普通の子供のように駆け回りたい僕の弱虫な心を、
お姉さんが開いてくれた。
お姉さんが、僕を変えたんだ。
「本当のこと、言ってよ。」
涙がとめどなく溢れる。
こんなこと初めてで、止め方も分からなくて必死に歯を食いしばった。
不意にお姉さんが手を出して、僕の涙を拭う。
よく見れば、お姉さんの手は傷だらけだった。
「・・もうバイバイしようと思って、ここに来た」
ポツリ、お姉さんの口から本音が漏れる。
「お母さんに褒めてもらいたくて、頑張って頭のいい高校に入った。でも結局駄目だったの。結局はお姉ちゃんに勝てなくてお母さんは私に無関心なまま。」
「仕事が忙しいから私が家事をしてて、一回ね、なんで働くの?って、お母さんに聞いた事があるの。そしたらさ、」
「『お姉ちゃんの学費のために決まってるじゃない』って。不思議そうな顔で。なんでそんなこと聞くの?って顔で。」
ポキッと、
その一言でお姉さんの心が折れてしまった。
「ああもういいやって思った。もう何でもいいやって。・・でも私やっぱり弱いから、お母さんに何か感じて欲しいって思っちゃったの。だから、お姉ちゃんの制服を着たの。当てつけみたいなものだよ。」
最後の日の服装に選んだのは、姉の制服。
ここでお姉さんがずっと来ていた制服だ。
「私が見つかったときに、この格好ならお母さんが何か思ってくれるかなって。・・卑怯だよね。」
誰に語るわけでもなく、ただただ心の中の塊を吐き出すように、お姉さんは言葉を紡いだ。
「全部終わらせようと思ってここに来た。もう何でもいいやって、疲れ切って嫌になってここに立つのに、それなのにね、」
お姉さんの声色が震えて、
その目からは涙がこぼれる。
ねえ、本当の事を言って。
僕はお姉さんの本音が聞きたいんだ。
「わたし、わたしね。」
「・・生きたいの。・・本当はまだ、生きていたいっ・・」
その言葉だけで十分だった。
それだけ聞ければ、それはもう、僕たちが生きる理由になる。
涙と共に溢れ出したその言葉は、
暗闇の中に吸い込まれていく。
「生きたいのに死にたくなったら僕が何回も邪魔しに来るよ。絶対、お姉さんの事邪魔するよ。」
「なんとなくでいいから、一緒に生きよう。」
僕がそういえばお姉さんは一瞬驚いた顔をして、
そして、泣きながら笑った。
でも泣いているはずのその表情に、悲しさは見えなかった。
「・・少年に邪魔されるのは2回目だよ。
だからきっと、3回目も少年だね」
知ってる。初めてここで会った日、
お姉さんはここで全てを終わらせようとしていた。
真っ赤な目をしてお姉さんは、ゆっくりと微笑んだ。
僕も笑ってお姉さんの隣に腰掛ける。
そして真似をして足をぶらぶらさせようとしたが、怖くて流石にできない。
その日、僕達は橋の下で長い間月を眺めた。
途中で我に返っていた僕は怖すぎて月なんて落ち着いて見ていられなかったが、
お姉さんが楽しそうだったから、まあ、それで、よかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます