それが理由では
『ねえ、どうしてこんなことしたの? 怒らないから言ってごらん』
風に、ゆらゆらと揺れる頭でっかちのチューリップの姿。彼女がそれを摘んで俺の前に現れたとき、なにも思わなかったわけじゃない。
それ、園長先生のお花なんじゃないの? 勝手に持ってきていいの?
実際俺は、そう聞いた気がする。そうすると彼女は、でも、そのへんのお花じゃ、なんか違うから、と言った。
なんか違うって、何が違うんだろう。首を傾げる。
『だって彰ちゃん……』
そのあと、彼女はなんて言ったっけ?
とにかく俺は、そのあと彼女が、花壇から勝手にチューリップを引き抜いたことに気づいた先生に、こっぴどく叱られていたことしか覚えていない。
先生は猫撫で声で、怒らないから言ってごらんと言う。俺は、彼女がやっぱりチューリップを勝手に摘んだことを叱られている、と思ってはらはらしながら様子を見守っていたのだが、彼女は何も言わなかった。
俺にあげるためだった、と正直に理由を言えば、先生は怒らないと約束したから怒らないはずだった。なのに、彼女は何も言わなかったのだ。
だからなのか、それとも理由を告げても怒ったのか、それはさだかでない。机上の空論だ。でも、彼女が何も言わなかったことに、先生が苛立ったのはたしかだ。周囲の園児が震え上がるほど絞られて、たぶん親にも報告されて、親にも怒られたんだろうな。
翌日、大坂千寿は泣き腫らした目で登園してきた。
「……という甘ったるいこともあったわけですよ……」
「おまえなんで大坂さんのこと助けてやらなかったの……」
三年生、春。今年も同じクラスになったトシと、放課後教室でだべる。膝を抱えて椅子に座り込み、昔を懐かしんでいると、トシがひやりと水を差してきた。
「てかもしかしなくても嫌われたの、それが原因なんじゃねーの」
「いや、それはない。だってそのあともふつうに遊んでた。小学生になってからなんだよ、大坂さんが俺のことを避けだしたのは……」
だめだ、避けられ始めた頃の話は悲しくなるからやめよう。
「え? おまえ、大坂さんに無視されたり睨まれたりすると興奮するんじゃないの?」
「そうだけど?」
「じゃあ嫌われた頃の話も大興奮でしょ?」
「それとこれとはなんか違う」
トシはなにか、俺について誤解しているのでは。
最近分かったことがある。俺は、大坂千寿に理由を持っていてほしいのだ。俺を嫌いな理由は、俺には分からないなりに彼女の中ではきちんと確立されていて、その理由をもとに俺を睨んだり蔑んだりする。そうされることで、俺は大坂千寿の中で「無」ではないのだと分かる。嫌いが好きになることなんてそうそうない。でも、マイナスはゼロじゃない。
大坂千寿が俺を嫌う限り、彼女の中には俺がいる。だから俺は、嫌いだと言われることに、睨みつけられることに、罵倒されることに興奮してしまうのだ。
「なるほど、まったく分からない」
「分かれ、分かれよ。あの意志の強そうな目が俺を見ているっていう事実、それだけで今日も飯がうまい!」
「大坂さんはオカズか?」
「俺好きな子で抜けないタイプ」
「聞いてねえよ」
てか聞きたくねえよ、とかなんとか言いながら、朝コンビニで買ったじゃがりこを煙草みたいに歯で挟みかじりながら、トシは言い募る。
「だって、それだとさあ、やっぱ好きになってもらえたほうがいいんだべ?」
「……だってあいつが俺のことを好きになるわけないから、嫌いで満足してる」
「いや、分かんねえじゃん? こないだも中原からかばってくれたし」
「あれは、正しいことをしただけだ」
大坂千寿はいつでも正しくて、身内だからといって過剰に擁護しないし、そういうところがかっこいいと思っている。嫌いな俺にだって公平だ。すごくかっこいい。俺があのときの彼女の立場なら、俺を吊るし上げているに違いない。
「そんで?」
「ん?」
じゃがりこを無心に食らっていたトシが、その手を止めて聞く。
「おまえ結局どうしたいの? これから一生大坂さんのこと好きでい続けるの?」
「……」
「それって無理じゃね? 好きって言ってくるやついても、絶対歩生ちゃんの二の舞みたいになるよ、どうすんの?」
俺の大坂千寿オタクっぷりは筋金入りなので、この先たぶん、よっぽどの出来事がない限り、彼女を好きでい続けるだろう。
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