問1.4 : Fクラスでやっていけそうですか?
黒板に張り出されている座席表を見て、自分の席を確認する、が、振り返ってみると、皆、好き勝手に座っており、座席表は意味をなしていなかった。
仕方なく、適当に空いている席を探した。
「やぁ、ここ……」
「(ザッ)おっと、ここは俺の席だ」
「……じゃ、こっちは……」
「(ガンッ!)わるいな、そこは俺の足置きだ」
「……こっちの……」
「(ザシュッ!)おい、俺のエア友達のなっちゃんが見えねぇのか?」
……見えねぇよ。
ていうか、僕、嫌われている?
態度がわるかった?
いや嫌われるようなことは何もしていないはず。なぜなら、まだ僕は教室に入って、頭のおかしい女子に絡まれただけだ。
いったい何が?
(あの野郎、お館様に歯向かったときは、根性のある奴だと思ったのに!)
(あぁ、バカの吉井はいいとして、秀吉に話しかけられてやがって)
(そうだ。それに、バカの吉井はいいとして、僕らのふじさんに手を振られていた)
(((とにかく女子と会話しているのが許せねぇ!)))
ぞくっ!
悪寒の正体はわからないが、とりあえず、なぜ定規を砥いでいるのかを教えてほしい。
しかし、これは困った。
まだ登校をしただけだというのに、僕の疲労は心底溜まっていた。だから早く席に着いて休みたいというのに。
「こちらが空いておりますわよ」
鶴のように凛とした声は、いちばんうしろの席からやってきた。
先程、手を振っていた藤井咲だ。彼女は、優雅に微笑み、そしてちょうど彼女の隣の席を指した。
「あぁ、そうか。わるいな」
僕は促されるままに藤井の隣の席に鞄を置いた。藤井は近くで見るといっそう気品のある顔立ちをしていた。
お嬢様というのも頷ける。
席に腰を降ろした僕を見て、藤井は膝の上に手を重ね、すっと頭を下げた。
「申し遅れました。私は藤井咲と申します。以後、お見知りおきを」
「あぁ、よろしく。僕は」
「鈴之介様でございますね。存じております」
こちらも存じておるようで。
いつから僕はそんなに有名になったのやら。
「あんたの話はさっき吉井から聞いたよ。お嬢様なんだってな」
でもFクラスにいるということは、相当バカであるということだが、いや、やめよう。このクラスに来てやっと落ち着きを与えてくれた彼女のことをわるく思うなんてバチが当たる。
「いえ、私なんぞはただの小娘です」と藤井は首を振った。
謙遜するあたりに品を感じる。
「まぁ、なんでもいいや。こちらこそ、よろしくな」
と僕が何気なしに手を差し出したとき、
(サシュッ!)
目の前をコンパスが飛んでいた。
「危なっ!」
理解が追いつかない。
何があった?
なんでコンパスが? 僕の知識が正しければ、あれは円を描くための筆記用具だ。決して投擲するものではない。
振り返るとFクラスの男子が、全員こちらを見ていた。
「「「もうがまんならねぇ!」」」
「何が!?」
僕の悲痛の声は、完全に無視された。
「新入りのくせに、女子といちゃいちゃしやがって!」
最後に入ってきただけですけど?
「俺だって、ふじさんとはまだ話してないのに!」
そりゃ、まだ初日だからね! そういうこともあるかもね!
「俺なんて一年のとき一緒だったのに、まだ話せてないぞ!」
「それはおまえがわるい」
「「「うっせぇ! 殺せ!」」」
口がすべった!
コンパス、鉛筆、定規が無数に宙を駆ける。それは冗談では済まないほどの速度で飛んできやがる!
僕は咄嗟に机を掴み、前にかざした。
まるで豪雨のように刺突音は続き、そして合戦のような怒号が教室に響いた。
そう、教室に。
「ふざけんな! おまえら正気か!」
「もちろんだ! チッ、うまく防ぎやがる!」
「大真面目さ! ぶっ殺せぇ!」
「ひゃはははは! 死ねぇぇぇぇぇ!」
「正気の沙汰じゃねぇよ!」
狂っててくれた方が納得できたよ!
いや、完全に狂っていることは間違いないのだが、彼らにその自覚はないらしい。それともこの教室では狂っている方が正常だとでも言うのか。
いや、そんなクラスあってたまるかと思う一方で、現状を鑑みれば否定する材料がまったくと言っていいほど見当たらない。
どうやら、僕は勘違いしていたらしい。このクラスで危険なのは女子だけではない。クラスメイト、いや、クラス自体が危険極まりない存在なのだ。
はやく逃げた方がいい。
と、僕がなんとか教室からの脱出を図ろうとしたとき、
ドン!
大きな音が教室に響いた。
それは教室の前方、つまりは教壇の方から発された音であり、織田が教卓を蹴り倒した音であった。
「てめぇら」
どすの効いた声に、教室が静まり返る。
今さっきまでの喧騒が嘘のようだ。
織田は、すっと顎を引き、教室中を睨みつけた。
「あたしの教室で騒いでんじゃねぇ!」
おまえのじゃねぇよ、と喉まで出かかったが、なんとか飲み込んだ。
一つ確認しておくが、本日はクラスメイトが集まってまだ一日目なのである。加えて、一限目も始まる前、出会って一時間ちょっとという時刻。
それなのに、Fクラスの男子連中は、一人の少女の一声に黙し、そして今、まるで戦国時代に仕える武士のように跪いている。
「何やってんだ?」
というより、何したんだ、あの女?
一人、机を抱え、突っ立っている僕に、織田は不思議そうな視線を向けた。
「何やってんの? あんたもやるんだよ」
「いや、やんねぇよ」
「よし、やっちまえ」
「「「おう!」」」
「統制とれすぎだろ!」
戦争は再開された。
「ちょっと! 鈴くんに何やってんの!」
教卓の方で、吉井が抗議をしてくれていた。あのバカがもっとも常識的なことを言っているこの状況に、僕はもう涙しか出なかった。
「今すぐやめさせてよ!」
「えー、だって、あいつ、あたしの言うこと聞かないんだもん」
「もん、とかかわいく言ってもだめだから!」
(はいはい、彩は、鈴くんのこと大好きだもんな。やめてほしいよな)
(な! ば、ばか! やめてよ! そ、そんなんじゃないんだから!)
(鈴くん、スキスキって言ったらやめてやんぜ?)
「や、め、て、って、言っているでしょ!」
「や、め、ねぇ」
「まぁまぁ、二人共、そのへんでやめときや」
「「秀吉はすっこんでろ!」」
どうやら交渉は決裂したらしく、教卓の方では、女子三人による口喧嘩が開戦した。つまるところ、もはや吉井や織田にこの襲撃を止めてもらうことを期待することはできず、むしろ彼女達は彼女達で戦火を拡大しそうな勢いで、その上で藤井は優雅に手を頬に添え、「賑やかですね」と微笑んでいる。
何だこれ?
僕は生まれて初めて、混沌という言葉の意味を理解できたようだ。やはり、字面で覚えていてもだめらしい。これほど理解を超えた現状にこそ、きっとかの言葉は当てはめ得るのだろう。
さて、この混沌を納める術など誰も持ち得ないだろうと僕は半ば死を覚悟し、辞世の句などを認めようと思考を巡らせていた、ちょうどそのとき、
「遅れてごめん!」
そういえば、この喧騒を治めることのできる唯一の人物がまだ登場していないことに気づいた。
少し色の抜けた髪をすらっと背中に伸ばし、釣り気味の目がいささか強面な印象を与える彼女は、パンツスーツ姿で走ってきたらしく襟元が少し乱れていた。
担任教師である。
肩で息をする彼女は、なんとか背筋をぐっと伸ばし、そしてその碧色の瞳でぐるりと教室の中を見まわしてから、表情を硬直させた。
筆記用具を武器として扱う男子生徒。
髪をつかみ合って喧嘩する女子生徒。
一人別世界な女子生徒。
机を盾に籠城する僕。
ハッと冷静になって僕は、内申点という言葉が頭をよぎった。いや、冷静な思考なのか? というか今考えることなのか?
いや、だが、常識的に考えれば、こんな環境を目にすれば、卒倒してもおかしくない。教室内で大暴れして、教師を卒倒させたとあっては進学など絶望的だ。
「あの、先生、これは……」
言葉を選んでいる僕をよそに、先生は、ふぅ、と一つ息を吐いた。
なかなか肝の座った先生なのかもしれない。この惨状を見て、顔色を変えずに深呼吸をして落ち着こうとするなんて。
「はい、じゃ、みんな、席に着いて」
……とても図太い先生らしい。
まだ若く、どう見ても大学を卒業したての新米教師なのだが、狂気に満ちた生徒達に臆することなく、平然と教室に足を踏み入れた。
非行などというありふれた言葉では語れないほどの狂った風景が広がっていただろうに。一度目にすれば、教師人生に絶望し、その場に泣き崩れてもおかしくない。
……いや、普通、そうだろう。
どことなく嫌な予感がして、教壇に足をかけた先生に僕は視線を向けた。
先生は、にっこりと微笑んで
「早く席に着かないと」
拳を頬の横に掲げた。
「全員、うちがぶん殴っちゃうぞ★」
「あんたもかよ!」
やっていける気がしない。
登校して一時間も経たずに、僕はFクラスでの生活に絶望することとなった。
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