2014/11/09 15:51:01

 二回ノックして、戸を開けた。むわっとした空気が頬を撫でる。職員室はいつも異様なまでに暖かい。


「失礼します。2年8組の宇佐見うさみです。小栗先生はいらっしゃいますか?」


 声を張り上げる。そうでもしないと聞こえないのだ。返事はない。いなんだろうか、と身を乗り出して職員室を見る。


「宇佐見、こっちだ、こっち」


 背後から声をかけられ、ひっくり返りそうになる。あー、びっくりした。慌てて振り返る。案の定、小栗が立っていた。


「遅かったね」


 小林先輩と喋ってました、なんて口が裂けても言えるわけない。「すみません、気づかなかったもので」と適当に言葉を返す。


「そうか」


 怒ることも無く、人当たりの良い笑みを浮かべる。

 小栗は、女生徒から人気がある先生の一人だ。感情的になることは滅多にないし、誰にでも優しいから聖人と呼ばれている。俺はこの先生が苦手だった。感情を爆発させる人間らしさが感じられないからだ。

 電気を付け、職員室の前にある会議室に入る。戸が閉まる音にため息をつきそうになる。完全に密室だ。冷え切った部屋が俺の気分を重くさせる。とりあえずは適当な椅子に腰かけた。


「君の活躍はすさまじいね。女生徒から告白はされないのかい」


 そんなことはありません。そうでしょうか。ありがとうございます。どれから始めるのが効果的だろう。相手の顔色をうかがいながらの会話は慣れたつもりだったのに。


「いえ、特には。とっつきにくい印象を与えてしまっているようなので」


 自慢にならないように、柔らかな笑みを浮かべた。これで本当に良かったんだろうか。やっぱり、自分が心を開いていない人間と話すのは難しい。


「そうなんだ、もったいないねぇ」


 嫌味に聞こえてしまった。感情をぐっと飲み込み「それで本日はどのようなご用件で」と促す。


「そりゃあ、二年生の後半となれば進路だよ」

 ですよね。「仰る通りですね」

「この学院は一応、芸能人も多く輩出している。出席日数も考慮はしているんだ。芸能にいそしむのは良いのだけれど、勉学にも力を出してほしい。これが君の成績だ。あ、写真は撮らないで、仮評定だから」


 オール3。まともに授業に出ていないことを配慮してでもこれだ。芸能界に入って、才能があるんだと思った。そんなもの錯覚だ。仮評定がプリントされた紙を引き裂きたい衝動に駆られる。

 俺の何とも言えないような顔を見、小栗が長ったらしい説明を始める。何度も聞いた話だった。

 芸能人も排出している、ね。そいつらはそいつら、俺は俺。そう強く思っているからこそ、前例にあてはめられてそれに沿って動くのは、なんだか癪だった。けど、俺にはそうするしかない。どう足掻いても、状況は変わらない。今、こいつから提示されている案に、同意するしか道はないのだ。俺も他の人のように道を歩もう。馬鹿な俺にはそれしか手段がないのだ。何度も何度も自分に言い聞かせる。

 本当は進みたい道がある。人間が知りたかったから、心理学の学科がある大学に進みたかった。だけど、どの学科を見ても頭がいい。現実が理想に届かない。仕事の合間に通信講座で学ぼうと密かに考えていた。だが、大学で学んだほうがいいのではないか。

 だから進路相談は嫌いなんだ。一度は抑圧した感情が、願望が、思考が湧き出るようにあふれるから。すごろくでスタート位置に戻されるように、あっさりと決意を踏みにじる。それほど俺が弱いのだろうか、俺がいけないんだろうか。


「なあ、どう思う?」

「え、ああ」


 はっと我に返る。もはや常套句となりつつある台詞を真顔で言った。


「まずは家族と相談してみます。お金を出してくれるのは親なんで」


 何度、言っただろう。何度、相談しようと試みたんだろう。全ては無駄に終わった。この学院の学費だって半分は俺が出している。大学も同じようになるだろう。だったら、俺は俺の学びたいところにいきたい。


「そう。ご家族と相談するのはいいことだね。だけど、結論は早めに出してくれ。俺も色々準備をしなくちゃいけないから」

「はい。今日はありがとうございました」

「俺が呼びだしたんだから、良いって別に」


 葛藤は終わらない。それどころか悪化した。何が進路相談だ。そう吐き捨てたいのを堪え、俺は帰路についた。

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