小林先輩と宇佐見君(『犬と鏡と先輩と俺と』のリメイク)

A.S@秋葉 奏楽

2014/11/09 15:45:09

「あぁ。それは本当だ」


 驚いた。目の前の先輩が下唇を噛みしめてそう言ったことに。ほっそりとした白い指。憂鬱そうな姿ですら美しい。口にしてしまえば気色の悪いセリフだ。それでも、この人はさも当然のように「知ってる」と返してくるのだろう。それが悔しいから何も言わない。


小林こばやし先輩もご存じだったんですか、この話」

「私も長い間、ここにいるからな」


 つっけんどんな口調で鼻を鳴らす。先輩の自嘲気味なところなんて初めて見た。普段ならばあり得ない態度に目を白黒させながら、俺は何とか言葉を紡いだ。


「本当ってことは、先輩も体験済みで?」


 今日の授業中、英語教諭であり担任の小栗おぐりが暇だから、と怪談話を語った。曰く、この学院には三年前にある噂が流行った。夜になるとどこからか犬の鳴き声が聞こえる。その犬の鳴き声を聞いたものは噛みつかれて死ぬんだってさ。

 俺の問いかけに一瞬、口籠る。が、すぐに首を縦に振った。


「そうだ。完全に最後の文は蛇足だがね」


 だったらこの噂をなんでお前が知ってるんだ、という話になる。


「ですよね」

「お前、この話を信じるか?」


 やけに真剣な口ぶりに何も言えなくなる。本気で考えなければならない責任に駆られた。考えをめぐらすも、二択だから答えは決まっている。それでも、結論を口に出せずにいた。なぜだろう、それを声に出しにくい。先輩がいつもと違う様子だから俺もおかしくなっているのだろうか。

 内にある何かを紛らわそうとココアを飲む。甘い。答えとともに白い息を吐きだした。


「この学院と犬の組み合わせが想像できないんで、信じられないです」


 言い切ると、先輩が急に笑い出した。不要になった物たちの捨て場に高笑いが響く。埃っぽい空気を揺らす声が止んだ。


「何が」怒ってない。驚いたから声が平たんになった。「何がおかしいんです?」

「いや何も。何もおかしくはない」


 まだ肩を震わせている。何がそんなにおかしかったんだろうか。分からないことを考えても無駄だと首を振る。


「あぁ、笑わせてもらった。愉快愉快」


 一人で完結するのもいつも通りだから、慣れた。……慣れたとも。


「本当にあった話だからな。忘れるなよ、これを」


 先輩の言葉には有無を言わさない圧力があった。ぐ、と腹に力を入れる。だけど、出た声は細かった。


「はい」


 俺の返事に被せるように、足音が聞こえた。驚いて耳を澄ます。誰かが階段を上がってくる。と、小林先輩が机から降りた。


「帰る」


 それだけ言うと俺の返事も聞かず、さっさと階段下りて行った。このままだと上がってくる誰かとすれ違うことになってしまう。そいつに先輩と居たことがばれたら。今更、先輩を止めるなんて馬鹿なことは考えない。そうこうしている間に黄色い上履きが遠ざかっていく。

 なんて言い訳をしようかと考えている俺の耳に、能天気な声が聞こえた。


「ここにいたんだ」

「まあ、うん」


 苦笑いを浮かべ、曖昧にごまかす。我ながら意味不明な返事だ。


「ねえ、誰と喋ってたの?」


 答えに詰まって、ちらりと足元を見る。黄色い上履き。俺と同じ二年生だ。クラスメイト? 名前を思い出している俺に向かって、彼女は要件を言った。


「まあいいや。小栗先生が呼んでたよ」


 おおよそ見当がつく。進路についてだ。ため息を押し殺し、笑顔で「ありがとう」と言うと俺は職員室に向かった。

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