洛北奇譚

美木間

洛北奇譚

 

 その日は、いつになく、気配に満ちた夜でした。


 ほんの数十年前まで、洛北の府立植物園の辺りは、田んぼが残り、深泥池へほど近いいとこの家のある辺りは、夜は子どもはあまり出歩かない方がよいと、伯母からことあるごとに聞かされていました。

 

 夕食後、大人たちは外に送り火を見に行くことになり、子どもたちは留守番をすることになりました。


 その頃珍しかったアイスクリームを作る機械で、伯母がアイスクリームを作ってくれました。

 バニラビーンズのエッセンスが鼻をつき、高級な味がしたのを覚えています。


 手作りアイスを食べながら、京都の夏の蒸し暑さをしのぎ、私といとこたちは、二階の窓から、外を眺めていました。 


 観光バスが田んぼの脇に止まり、送り火を見学する人々が、ぞろぞろとバスを降りて歩いていくのが見えました。


 「ここからは、妙法の妙の字がよく見えるんや」と、伯母が言っていました。


 住宅があるのを気遣ってか、人びとは、おしゃべりをするでもなく、旗を掲げたガイドさんに、送り火の見やすい場所へと案内されていきます。


 風向きのせいか、足音も聞こえてきません。


 夏の日はいつまでも茜色が墨流しに残り、日没後も暗闇はなかなか訪れません。


 薄闇の中を、人びとは、静かに進んでいきます。


 親戚の子どもたちの中で一番年のいっていた私は、何かにつけ子守り役をさせられていました。


 きかん気のいとこと調子にのる弟がけんかをしないようにみていなければならなず、十歳になったばかりの私は、めんどくさいなと思っていました。


 幼い妹が寝入ったのに夏掛けを掛けて、私は、いとこと弟の間に立って二人を離し、一緒に二階の部屋の窓から北の空を眺めました。


 送り火が闇に浮かびあがりました。


 漢字が燃え上がるのが面白くて、私は、人差し指で、宙に文字を記していきました。



 と、



 がらがらがら



 ふいに、雷鳴が轟きました。


 稲光はありません。


 私の指は止まりました。



 がらがらがら



 また、音が鳴りました。


 閃光もありません。


 今度は、少し近くなったようです。

 

 「なんか、雷が鳴ってるみたい」


 いとこと弟は、おかしなこと言うてんな、と顔を見合わせて笑っています。


 どうしよう。


 聞こえたのは私だけなのだろうか。


 がらがらがら


 ああ、思い出しました。


 これは、振り向いてはあかんやつです。

 


 輪入道。



 大きな車輪の中に髭もじゃの坊主がどでんとした顔だけの姿を見せているのです。


 車輪は炎に包まれ騒がしく不吉なきしみ音をあげて、大路を転がっていくのです。


 音に驚き何事かと振り向いて、うっかり目が合おうものなら、おしまいです。



 魂を抜かれてしまうのです。



 昼間読んでいた妖怪漫画に出てきたその絵姿が、ありありと目の前に浮かんできて、私は固まってしまいました。


 起きながらにして、金縛りになってしまったのです。


 いとこと弟は、闇に浮かぶ炎の文字に目を奪われ、はしゃいでいます。


 誰も私のこの惨状に気付いてくれない、でも、気付いて振り返ってはだめなのです。


 振り返って、あれを見たら、連れていかれてしまうのです。


 よりによって、いいえ、送り火の日だからこそ、やって来たのでしょう。


 あやかしは、今でもこの土地にいるのだと、今夜の満ち満ちた気配に気付くべきだったのです。


 ただの物見遊山ならよいのですが、冥途の土産を持たずに帰ってくれるでしょうか。

 


 車輪の軋む音 そして、首筋を撫でるきな臭ささ。  



 あかん!


 

 耳の奥を貫いた声に、びくりと身震いして、私は動けるようになりました。


 深く息を吸い込んで吐いて、それから辺りを見回すと、いとこも弟も何事もなかったかのように、ふざけ合っていました。


 妹も身じろぎもせずにぐっすりと眠っていました。


 

 その声は、私だけが聞いたのです。



 五山の送り火が、闇夜に、くっきりと、浮かび上がっていました。



 その声が誰のものだったのか、今でもわかりません。






 


 


 






 


 





 





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洛北奇譚 美木間 @mikoma

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