邂逅
――玲達の元へ5体の副官達が召喚された翌日。
赤い絨毯が敷かれ、高価な芸術品が飾られたユピヌス王国王城の華やかな一室。
その部屋に荒々しくも繊細なピアノの音が響く。
それは、まるで地を叩きつける大瀑布のようであり、演奏者の内なる激情を映している。
「――リストの12の超絶技巧練習曲第4番、マゼッパ、ね。ほんとにこの曲好きねぇ、レイは」
何の前触れもなく部屋に入ってきたツインテールの少女が呟く。
その顔には普段とは違う、優しげな笑みが浮かんでいる。
すると演奏者が気付いたのか手を止め、そして部屋が静寂に呑まれた。
「――ああ、ローラいたのか。何か用か?」
「いいえ、暇なだけよ。今日の“見回り”も終わったし、模擬戦しようにもあの筋肉ダルマはヴァレアスと酒盛りしているし……」
ローラがぶつぶつとぼやく。玲はそんな彼女に苦笑いだ。
「シュリエルはどうした? あいつならばお前の相手も務まるだろう?」
「あの子怖がっちゃって私と戦ってくれないのよ……。はぁ、あんたのピアノでも聴いていようかしら」
「しょうがないな。せっかくだから何か弾こうか。リクエストはあるか?」
「んー、じゃあもう一回最初からマゼッパをお願い。久しぶりにじっくり聴きたいわ」
玲は、自分の質問にそう返したローラに頷くと、再び演奏を始めた。
「――文筆家ヴィクトル・ユゴーの叙事詩をもとに作られた曲。悲しい男の物語」
何か必死に訴えかけているような暗く、激しい曲調で始まったその曲を聴きながらローラが呟く。
それは彼女の口から自然に漏れ出たなにかであり、彼女の視線は玲をじっととらえていた。
「――男はひとつの過ちからすべてを失い、失意のどん底に沈んだ」
めまぐるしく変わっていく曲調は、主人公の終わりなき苦悩を表現しているのだろうか。
玲の演奏もいっそう激しさを増していく。
「――しかし、長い苦難の時を乗り越えて、男は変わる」
そして、クライマックス。
それまで重く暗かった雰囲気ががらりと変わり、まるで何かを祝福しているかのように明るくなった。激しさは最高潮に達する。
「――そして男はついに英雄となり、王となった。――――ほんといい曲だわ、この曲は」
曲が終わり、部屋中に余韻が残っている中、ローラの言葉はやけにはっきりと聞こえた。
弾き終えた玲はしばらく部屋のそのぽうっとした空気に浸っていたが、やがてローラに向き直った。
「――ふふふ、私の最も好きな曲のひとつだ、そう言ってもらえるのは嬉しいよ。……それにしてもよく覚えていたな、正直お前ならすぐ忘れるだろうと思っていた」
「なによ、失礼ね! あんたも私のこと脳筋って言いたいの?」
「すまない、そういう意味じゃ無くてな。興味がないだろうと思っただけだ」
玲が慌てて憤慨するローラに謝ると、なんとか機嫌を直したようでその振り上げた拳をおろす。
その後、2人ともしばらく黙っていたが、おもむろに彼女が目を伏せ、静かに話し始めた。
「――印象に残ったのよ。とても。だからかしらね」
「印象?」
どういうことだ、と首を傾げる玲をちらと見て、ローラが微笑む。
「ええ。このお話の主人公がまるで私達、特にレイみたい、ってね」
「……そうだな。私は取り返しのつかない過ちを犯してしまった。あの時無理やりにでも――」
「思い出させちゃってごめんなさい。でもそれ以上はだめ」
彼女の言葉は玲の心に突き刺さるものだった。
その端正な顔を歪ませ、スイッチが入ったかのように過去の後悔を吐き出し始める玲を黙らせたローラは続ける。
「男はやがて王になる――このお話はハッピーエンドなのよ、レイ。強気でいなきゃ。私達も手伝うから。ずっと言っているでしょ?」
「そうだな、ありがとう」
不器用なはげまし方だ。だからこそ彼女の優しさが伝わる。
玲は心から感謝を伝える。
彼の表情は珍しく非常に穏やかだった。
「ねぇねぇ、レイ次あれ弾いて! ショパンの――」
ローラがリクエストし、玲が弾く。
2人だけの小さな演奏会が始まった。
それはいつまでも続くかと思われたが、7曲目に差し掛かった時突如乱入者によって中断される。
「あ、レイくんこんなところに。……って珍しい組み合わせだねぇ」
ピアノの演奏を楽しんでいた2人のいる部屋に入ってきたダロンが、開口一番にそう言った。
彼は何やらにやにやとした笑みを浮かべている。
「どうしたんだ、突然」
「そうよ、ミラはいいの? それともセパルに浮気がばれたから逃げてきたの?」
ローラの言葉に一瞬、痛いところを突かれた、という顔をするダロン。
事実、彼はミラとの親密なやり取りがセパルに再開の日の夜に知られ、今日は一日中彼女のご機嫌取りに忙しかったのである。
セパルは悪魔――それも淫魔に分類されるであり、種族柄ダロンが複数の女と関係を持つこと自体は認めているし、理解してはいるが、やはり面白くないのだろう。
「そ、そうだ、そんなことより! 面白いものを見つけたんだよ! 2人とも!」
「ほう、面白いものとはなんだ?」
玲は、話題をそらして何とかごまかしたダロンを一瞬半眼で見つめたが、彼の“面白いもの”という言葉に興味を示した。
玲の反応に気を良くした彼は、指を一本立て得意げに説明する。
「そうそう。僕達が最初にいた場所あったでしょ? 城が転移したあそこ」
「ああ」
「実は、半年前くらいに偶然あそこに居座っている怪しい人達を見つけて見張ってたら、最近今までいなかった人が2人、短い間だけ現れて消えてを繰り返すようになったんだよ」
「ほう、しかしそれくらいなら別におかしくないだろう。転移しているだけでは?」
玲ががっかりしたような口調で言う。
面白いものと期待したらただの魔術師2人というのだから無理もない。
しかしダロンは玲とは対照的ににやり、と笑った。
「ちっちっち。それがそうでもないんだよ。まずその2人は明らかに周りよりも強かった。前に見たエールアノス王国の王城にいた人ほどじゃないけど」
そして彼はわざとらしくためを作る。
眼前の2人に向かってここからが大事だと主張しているようだ。
「そして消えるのに魔術も法術も使っていない。当然、高速移動とかでもない。転移なのか姿を隠しているだけなのかわからないけれど、これだけは断言させてもらうよ」
「なるほど……。それは一度確認する必要がありそうだな」
――危険だ。
まず玲が思ったことはそれである。
この世界の人間にしては逸脱した強さにダロンの監視を欺く能力。
しかもその能力のからくりは謎に包まれている。
これは慎重な彼に警戒心を抱かせるには十分な要素だった。
確かに今は総合的に考えたら自分達には遠く及ばないかもしれない。
しかし、油断をすればいつか足元をすくわれる。
玲はそのことを十分に理解しており、常に警戒を怠らない。
そんな彼にとって未知とは最も忌避するものなのだ。
知らなければ対処できない――当たり前の事実であり、彼は知るためにはどんな労力も惜しまない。
「どうする、レイ? 会いに行くの?」
「いや、危険だろう。まずは情報を――」
「レイくん、僕も会いに行くに一票かなー」
玲の言葉を遮ってダロンが言う。
即座に反論しかけた玲だったが、彼の真剣な眼差しを見て言いよどんだ。そして無言で先を促す。
「見た感じ強さ自体は全然だから、そのよくわからない能力にさえ気を付ければいい。仮に使われてもよっぽどのことがない限り僕達なら対応できると思うしね。あとは――もしそこにカエデちゃんを治す鍵が隠れてたらどうするんだい? そうやって手をこまねいているうちにみすみす大事な手掛かりを逃すことになるかもしれないんだよ?」
そう言い放つと、彼は玲の目をじっと見つめる。
ローラも珍しく余計な口を挟まずに無言で窓の外を眺めている。決めるのはあくまでリーダーである玲だ、と言っているかのようだ。
玲とダロンはしばらく見つめあっていたが、ついに玲が折れた。
「わかった。お前の言う通りだ、ダロン。
「それでこそ僕達のリーダーだよ、レイくん。じゃあ早速ジョージくんとカエデちゃんを呼ぶよ――《通信》」
「ありがとう。さて、ローラ、お前も一応しっかり装備を整えてくれ」
「わかったわ。ところでシュリエル達は連れていくの?」
ローラに問われた玲は首を横に振る。
「いいや。何かあった時にあの5人では荷が重い。私達だけならばまだ何とかなるだろうが」
「絶対ついて行くっていうわよ? 特にあんたのところのエルヴァーとか」
「気付かれないように行くしかないな。お、来たようだな、2人とも」
玲が肩をすくめたのとほぼ同時に、部屋の扉が開く。
そこには、完全武装のジョージと楓が立っていた。
そして、ジョージはずかずかと部屋を横切り、楓は静かに歩いて、玲達のもとへとやってくる。
「おう、レイ。出かけるんだってな!」
「準備、完璧」
「よく来たな、2人とも。早速だがもうすぐ出発だ。だがその前に――楓、頼む」
「了解、玲様。《完全不可知化》《魂の絆》」
玲に言われた楓が自分も含め5人全員に法術による隠蔽を施す。
もうひとつの法術は、指定した仲間に限りその隠蔽を無効化するものであり、これらはどちらも11位階。このメンバーの中でも十全に使えるのは楓だけだ。
「よし、出発しよう。――《上位集団転移》」
玲のその言葉をきっかけに、5人の姿が掻き消える。
鮮やかな夕陽が差し込むその部屋は一瞬にして静寂に包まれた。
――私達をお守りください、使徒様。
――言われなくてもそれくらい余裕よ。
――まったく、僕達を誰だと思っているのさ。
玲達が転移すると、大勢の大人が子供に頭を下げている光景と共に、そんな声が聞こえてきた。
子供は2人、大人は……ざっと50人くらいだろう。非常に奇妙な集団だ。
玲はそんなことを思いつつ、パーティの頼れる斥候に目を向ける。
「ダロン、一応訊くがあの集団で合っているよな?」
「そうそう。ちなみに僕が言ってた2人ってのはあの子供達ね」
「とりあえず姿見せてやればいいんじゃねぇか?」
ジョージの提案に頷いた玲は、ため息をつく。
警戒していた相手が想像以上に脆弱だったからだ。
しかし、気は抜かない。2人がいつ“未知の能力”を使ってきても対処できるように。
彼は、武力に訴えるより安全に、そしてスムーズに情報を仕入れることができるかもしれないと、今回は先制攻撃でなく対話を試みることを選択した。
仲間達を見回した後、玲達は一斉に《完全不可知化》を解除する。
そして一歩踏み出した玲はゆっくりと口を開いた。
「――ごきげんよう。はてさて、随分と勇ましい子供達ではないか」
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