新任挨拶(1)
*
遡ること、数時間前。
「今日からワシの代理となったヘーゼン=ハイム先生じゃ。みんな、仲良くしてやってくれ」
「「「「「……っ」」」」
職員室で、教師一同は唖然とした表情を浮かべる。
学長のヴォルト=ドネアが、突然、隣に立っている黒髪の青年を紹介し始めたのだ。
「ど、どういうことですか!? 私はなにも聞いてませんよ!」
副学長のモスコフ=レザナスが激しく訴える。当然だ。このテナ学院に勤めて40年。この学院のために人生を尽くしてきたのだから。
次期学長も当然自分だと思っていたし、社会人3年目の超若輩者にその座を奪われるなど、想像もしてなかった。
だが。
「言っとらんもん」
「……っ」
なんというデタラメな学長だと、全員が苦虫を噛み潰した表情を浮かべる。だが、ヴォルト学長の無茶振りは、今に始まったことではないし、ある意味慣れっこではある。
「「「「「……」」」」」
相手が、ヘーゼン=ハイムでなければ。
ほとんどの教師が、この男の優秀さを嫌と言うほど承知している。その破格級の功績も大陸中に響き渡っている。
現に、入学希望者が一気に数倍跳ね上がった。
だが、果たしてこの男に、『人を育てる』と言う気があるのだろうか。彼のことを知る教師の中で、彼のことを好意的に思っている者は皆無である。
「ちっ……」
そんな中。ブルー=マスキが舌打ちをしながら睨む。彼は今年配属された、新任の熱血学年主任である。35歳で、教師として脂が乗り切った男は率直に思う
気に入らない。
ブルーはゼルクサン領コール郡を納める上級貴族家の3男である。爵位が下のヘーゼンが領主であることも気に入らないのに、職場でも上に立たれるなんて。
学長のコネで、こんな若いヤツがノコノコとトップになるなんて許せない。教師と言う聖職を、まったく舐め腐っている。
そもそも、なぜ、誰もそれを言わないのか。
ブルーは、手を挙げて発言する。
「少しよろしいですか?」
「どうぞ」
「ヘーゼン学長代理の少し悪い噂を聞きました」
「噂?」
黒髪の青年は首を傾げる。
「どうも、エヴィルダース皇太子殿下から疎まれているようで、閑職に回されるのではないかと聞こえてきましてね」
「……」
「まあ、噂が本当だとすれば、私としては、不愉快極まりないですな。教師というのは、若者の未来を背負う唯一無二の聖職。帝国将官としてのキャリアが駄目そうだからと言って、片手間で教職に手を伸ばそうなどというのは感心しませんな」
ブルーは声高々に発言する。
言ってやった。
教師という職業は、そんな甘いものではない。こんな若造が学長? 笑わせるな。厳しい現場で揉まれた自分たちをナメるな。
「ブルー先生。その噂はどこからお聞きに?」
ヘーゼンが尋ねる。
「まあ、あくまで、噂話ですからな。なんの根も葉もないので、どうぞ、お気になさらず」
「……そうですか」
追い出してやる。現場のことなど何もわかっていないこの男に、思い知らせてやる。上への忖度? 現場一筋の自分にはまったく関係ない話だ。
「一応、誤解がないように言っておきますと。当然、私は両立させるつもりですよ」
「はっ! どうだか。そもそも、帝国将官と教職を並行して行うなど物理的に難しくはないですか?」
「……ヴォルト学長も帝国将官と学長を両立されてますよね?」
ヘーゼンは、隣の老人に尋ねる。
「ん? ああ、そうじゃけど」
「何か問題がありましたかね?」
「いや、別に」
「大丈夫そうですよ。それとも、今までのヴォルト学長の仕事に何か問題が?」
「……っ、あっ……いや、そういう訳では」
ブルーはバツの悪そうな表情を浮かべて下を向く。
「まあ、心配されるのはわかります。私のような若輩者に、果たしてヴォルト学長の代行が務まるのかということですよね?」
「そ、その通り! やはり、学長というのは、豊富な経験と知識が必要不可欠だと私は考えてます。その点で『不安だ』と指摘させていただいた次第です」
ブルーは、早口でまくしたてる。都合が悪くなると、権力を使う。まったく気に入らない。絶対に自分の現場力で、追い払ってやる。
「なるほど。ですが、学長と言うポジションは、あくまで管理職。現場の方々がしっかりされていれば十分に役目は果たせると思いますよ」
「ほぉ……我々が、教職としてなんの実績もない、あなたの言うことを素直に聞くと?」
「もちろんです」
「……っ」
どこまで、傲慢な男なのかと、ブルーは怒りを噛み殺す。
「と言うより、帝国将官たるもの、やれて当然なんですよ。ブルー先生には、わからないかもしれませんけど」
「くっ……」
ブルーのみならず、ヴォルト学長以外の全教員を敵に回す発言を、ヘーゼンは堂々と言ってのける。
教師という職業は帝国将官になれば、自動的に取れてしまう資格だ。現に、バレリアのように帝国将官を辞めて教職につく者もいる。
試験難易度で言えば、天と地ほど違う。
だが、そんなことを公然と言えば、教師全員から総スカンを喰らうことは確実だ。ブルーは怒りに燃えながらも、心の中でほくそ笑む。
一方で、ヘーゼンは満面の笑顔を浮かべて、教師たちの方を向く。
「では、そろそろ挨拶を。私を育ててくれたこの学院に恩返しできる機会ができて嬉しいです。皆さんの足を引っ張らないように頑張ります」
「……くくっ」
もう、無駄だ。今更、そんな風に取り繕ったところで、現場の教師たちは誰もついてこない。
「ところで、風の噂だと、この大陸の風紀も非常に乱れているようです。そこで、帝都に女子学生の下着を販売する店があり、頻繁に通う教師がいるとか……世も末ですな」
!?
「あれ……汗が凄いですよ? 大丈夫ですか、ブルー先生?」
「き、き、気のせいでしょう」
中年の男は、ダラダラと出てくる汗を袖で拭う。
「私もそんな不埒者がいるのかと信じられませんでした。ですが、聞き込みをしたところ、どうもテナ学院の教師だと言う噂があるんです」
「……っ」
平静な表情を装いながら、ブルーは眼球が飛び出るほどに驚く。
「まあ、『教職員が女子学生の下着を買う』という行為を禁止されている帝国法はないですし、罰することはありませんが、やはり、同じ教員としては抵抗があると言うのが、率直な想いです」
「と、と、と、年頃の娘がいて、娘用のものを買っただけかもしれん!」
「まあ、その可能性もありますが、市場価格の10倍以上の値段で、使用済みのものを買いますかね? 14歳と言う多感な年頃の娘を持たれているブルー先生はどう思います?」
「……っ」
紛れもなく、自分だけに問いただされていることに気づく。
「出張の際には、必ず訪れる常連だそうですよ? どう思います? 年間36回も帝都に行かれているブルー先生は?」
「はっ……くっ……はっ……しょ、証拠は! そんな根も葉もない噂でーー」
「もちろん、あります。店も、証言も、複数の証人も確保済みだ。店の名前は『青春の山』。まあ、一人代表で挙げるとすればーー」
「アーナルド=アップ、と言えばわかりますかね?」
「……っ」
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