第19話 紅色の記録

   ※ ※ ※



「ちょっと面白いことを思いついたから、下界から材料をたくさん持ってきたの。今日からこれに、実験の過程を記録していくことにする」


 聞こえてきたのはヴェリスの声だった。だが、その姿は見えない。広がるのはどこまでも闇。

 ヴェリスの声は、抑揚を抑えたまま続ける。


「人間に昆虫を宿らせるとどうなるか。とても強くて魅力的になると思うわ。実験の材料は、昨日下界からたくさん連れてきた。新しい命の存在を、私が作ってみせる」


 ヴェリスの声は、そこで一度途切れた。



 次に表れたのは、闇ではなかった。

 誰かの手が、蝶を掴んでいる。

 白いはねに黒い斑点模様を持つ蝶は、時おり痙攣けいれんしたかのように全身を震わせている。


「実験体01。どうせやるなら最初は『綺麗』なものから始めたい――てことで、記念すべき最初の実験体は、蝶よ」


 ヴェリスの声と同時に、見える景色が横にずれた。そこには手を縛られた女性が、灰色の床に転がっていた。

 ほんの僅かな暗転の後に表れたものは、虚ろな目をした先ほどの女性であった。

 彼女の背には、白い蝶の翅が付いている。ヴェリスが彼女の翅に触れると、女性は大きな悲鳴を上げた。ヴェリスは「痛いみたい」と肩を竦め、小さく笑った。

 また短い暗転。

 次に表れたのは、床に伏し、まったく動かなくなった女性の姿だった。


「実験体01。一日経った後、翅と接合した背中の部分が腐り落ちてしまった。融合の時に回復魔法を合わせたら解決しそうかな? まあ最初だしこんなものよね」


 ヴェリスの声は淡々と経緯を告げる。



 少し長めの暗転の後に表れたのは、若い男女だった。


「実験体02と実験体03。今度は夫婦まとめて使うわ。興味があることは早めに済ましておきたい性分だから」


 ヴェリスの前にあるのは小さなガラスケース。その中に、二匹の蟷螂かまきりがいた。


食べて・・・強くなったら面白いんだけどね」


 また、短い闇。

 次に表れた夫婦の姿は、すっかり変わり果てていた。

 頭部が、まるっきり蟷螂のものになっていたのだ。

 黄色い大きな目には、感情のたぐいは伺えない。それでも二人はまるで泣いているかのように、互いに手を伸ばし、触れ合っていた。


「やっぱり融合時の回復魔法が有効だった。今のところ二体ともに拒絶反応は見られない。このまま二体は密室で観察ね」


 何かを訴えるかのように、夫婦の口が動く。だが、蟷螂のものになってしまったその口は咀嚼するように不気味に動くばかりで、人間の言葉を発することはなかった。





「実験体02と実験体03。人間の自我と蟷螂の本能の間で揺れ動いていたのか、動きがあるまでに三日かかったわ」


 ヴェリスの声は少し弾んでいる。


「私の期待通り、性交の後、雌の実験体02が雄の実験体03を食べた。頭の一部だけだったけど、胃の大きさを考えると妥当ね。蟷螂ならこの後産卵に入るのだろうけれど、ベースは人間だからどういう行動に移るのかわからないわね」


 ヴェリスは嬉しそうに起きたことを述べる。02と名付けられた女性は、密室の奥でうずくまっていた。




 次に聞こえてきたヴェリスの声は、若干沈んだものになっていた。


「実験体02が自害。自分のしたことに発狂しちゃったみたい。なかなか融合の割合も難しいわね。人間としての知性は残しておかないと、脳を昆虫ベースにするとただの巨大な昆虫だもの。まあ、得るものも多かったわ」





 その後も、ヴェリスは様々な昆虫を人間と掛け合わせていく。そこに、人間に対する憐れみの感情は一切ない。


「実験体09。の幼虫と融合。これからどう成長していくのかが非常に興味深いわね。さなぎ化するのかしら?」


 白く波打つ形状の、いわゆる『芋虫』と融合させられたのは、プラチナブロンドの髪を持つ、見目秀麗な女性だった。『下界』に戻れば、多くの男性から愛を囁かれるであろう容姿の彼女の下半身には、両足はない。

 女性は涙を流しながら「殺して、殺して」と呟き、波打つように床を這っている。ヴェリスがそれに答えることはなかった。




「実験体09。十日ほどで動かなくなってしまった。ご飯は人間用のをあげていたのだけれど、下半身の消化器官が上手く働いていなかったみたい。でも、これは大きな発見になったわ。私の思い描く完成形までにはほど遠いけれど、実験はこつこつやってこそ、てね」





 ヴェリスが実験体の番号を呼び、その内容を語り、『記録』する。それだけが、ただひたすら繰り返される。

 やめてくれと叫んでいる人間もいた。激しく抵抗して暴れ回る者もいた。それでもヴェリスは、表情を動かすことは一切なかった。




「実験体09から18までは全て同じ日に作ったのだけれど、一番長生きしたのが09だった。寿命を延ばすことも課題ね」


 実験体の番号は、際限なく増えていく。

 ヴェリスは様々な昆虫を出しては、人間に掛け合わせていく。

 人間たちも老若男女、国籍も違う様々な者が集められていた。

 ただ、彼らには一つだけ共通していることがあった。

 誰もが、絶望をその顔に滲ませていたのだ。




   ※ ※ ※ 



 ヴェリスが『実験』に使用している部屋は複数あったが、どこも構造は同じだった。その中に、まだ何も置かれていない部屋があった。

 無機質な薄い灰色の床。眩しいほどの白い壁。

 ヴェリスはその空っぽの部屋の中に飛び込んできて、興奮気味にこちら・・・に向けて語り始める。


「この実験に、さらに面白い要素を加えることが可能になったわ。まさか、同胞を使うことができるようになるなんて!」


 ヴェリスの両手には、バラバラになった人間の手首と足が握られている。

 焦げていたり、血に濡れていたりと、凄惨な状態だ。

 誰のものなのかは不明だが、確実なのは、持ち主は既に生きていないということだった。


「いけない。見つかる前に早く運んで来なくちゃ」


 ヴェリスは我に返ると、顔のない土人形を魔法で作り出した。






「実験体468からは、魔道士も加えていくことにする。でも、魔道士の数が実験体の数と合わなすぎる。だから、魔道士は切り分ける・・・・・ことにしたわ」


 ヴェリスは細かくわかれた人体の一部を握っていた。爪の剥がれた手は、何かを掴みかけたような形のまま固まっている。

 その横で、頭から長い触覚が伸びた青年が、力なく椅子に座っていた。


「まあ、仮に魔道士の体を一人分使ったとして――。そうすると、私より強い存在が出来上がってしまうかもしれない。あくまで私は、自分で制御できる新しい存在を目指している。自分の手に余るような力は、研究者としてはちょっと遠慮したいところだしね」


 そう言うとヴェリスは何かの魔法を唱え、青年の胸部から『手』を埋め込んだ。






「実験体483。せみと合わせた実験体に、魔道士の『胸』の部分を融合。扱えるのは土の魔法。ここまで何体か試してきたけれど、実験体たちが扱える魔法は、材料にした魔道士の素質によるものだと断言していいみたい。虫と融合することで新たな力が生まれることをちょっと期待していたのだけれど、そこはちょっと残念ね」


『残念』と言いつつも、ヴェリスはいつものように淡々と説明を続ける。


「でも、確実に手応えはある。あとはこの『新しい存在』を、どう増やしていくか。仮に繁殖させた場合、次世代にも能力が引き継がれるのかどうか。とても興味があるわ」




   ※ ※ ※




 ラディムが断った紅色の宝石から、際限なく光が溢れ、空に散らばっていく。

 その光こそ、『記録』だった。



 ヴェリスの人体実験の記録をはらんだ光は、テムスノーに存在する全ての者たちに降り注いだ。

 港で戦っている者たちに。

 火を消そうとしている者たちに。

 森で眠りについている者たちに。

 地下で待ち続けている者たちに。

 城下町で逃げ惑っている者たちに。

 城門前で戦っているものたちに。

 そして、魔道士に。


 見えないのに・・・・・・見える・・・


 頭の中で再生される、生々しい不思議な映像を見た人々の反応は、様々であった。

 涙を流す者、膝から崩れ落ちる者、嘔吐する者すらいた。

 とりわけ、テムスノー国民の混蟲メクスでない者――『人間』たちにとってそれは、あまりにも強烈な映像であった。

 忘れようとしていた、あるいは頭の隅でわかっていたのにわからない振りをしていたあることを、改めて突き付けられる形となってしまったからだ。


 自分たちは、『彼ら』の子孫である、と――。

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