第2話 異変に気付く者たち

 エドヴァルドやオデルらは、ちょうど地下の入り口を出たところでその音を聞いた。

 空に響く破裂音。しかも時間差で次々と重なっていく。さらには大地までわずかに震え始めた。


「これは……地震にしてはおかしいな。さっきから何なんだこの音は」


 エドヴァルドは空を見上げる。音に驚いたのか、多くの鳥たちが森の上空まで待避し、輪を描くようにして羽ばたいていた。


「先ほどまでとは違い、軽微だが大地も揺れている――。これは一刻も早く戻ったほうが良さそうな雰囲気だね」


 ようやくエドヴァルドに下ろしてもらえたオデルも、上を見上げながら真剣な面もちで呟いた。パルヴィとヘルマンも彼の言葉に頷く。

 地下の入り口から伸びる整備された新道を、彼らは風を切りながら駆けて行く。防具に身を包んだ兵士たちは四人の速度に着いて行けず、次々と遅れを取り始めていた。しかし、先を行く四人は振り返らない。

 ただならぬ雰囲気を、皆は肌で感じ取っていた。







 フェンは空を見上げる。

 青一色だった空に、薄い茶色のが下の方に混ざり始めていた。

 混乱のただ中にいた城下町。一度目の破裂音は、花火の音だと勘違いしている者が多かった。フェンも最初はそう思っていた。空に花が咲かないのは、間違えて誰かが打ってしまったからだと思っていた。

 二度目の音で、初めて疑念が生まれた。そもそも花火は、パレードの開始を合図に使用されるだけのものだったからだ。今日という日のために、関係者は何度も式の段取りを確認しているはずである。そこまで大量の花火が余っているのだろうか。

 そして、三度目の爆音。

 それまでの音とは段違いだった。次々と重なっていく重い音は、ただでさえ緊張状態にあった民衆の心をさらにかき乱すには、充分すぎるものだった。

 追い打ちをかけるように、足下が揺れた。

 揺れ自体は余裕で立っていられるものであったが、これはただごとではない。

 フェンを取り囲んでいた兵士たちも、眉を寄せながら首を左右に忙しなく動かしている。


 ――もしかして、ラディムらに何かあったのか?


 知らず、槍を握る手に力が入る。

 ここはテムスノー国の兵士長として動くべきか、否か。

 フェンが迷ったのは一瞬だった。


「お前ら、一時休戦だ。今の音は俺たち・・・が絡んでいない。すぐに城へ向かってくれ。俺は音の原因を確認するべく海側へ向かう」


 フェンは対峙する兵士らに訴えかける。

 これは、賭けだった。

 今の音も、多くの兵士はフェンたちが仕込んだものだと思っているだろう。この訴えも、聞き入れてもらえない可能性が非常に高い。その場合、フェンは強引に突破して行くことを既に決めていた。

 兵士らはしばしの間、互いに顔を見合わせていた。フェンの真意がどこにあるのか、おそらく探っている。


――やはり、ダメか。


 強行突破するべく、仕方なくフェンが魔法の詠唱に入ろうとした、その時だった。


「本当に、今の音は隊長とは無関係なんですね?」


 フェンに槍の穂先を向けたまま、一人の兵士が声を発した。他の兵士は一斉に彼を見る。


「ああ、無関係だ。俺だけじゃない。姫様も、オデル王子も、ラディムもエドヴァルドとも無関係だ。だから俺は調べに行く。非常事態だ」

「俺たちにしてみれば、隊長に向けて武器を構えている今も非常事態ですよ」

「……確かにそうだな」


 フェンは思わず苦笑してしまった。つくづく、彼らには申し訳ないと思う。


「では、俺たちに指示を」

「え……?」

「『え?』じゃないですよ。俺たちがどのように動けばいいのか、指示をくださいと申しているのです。『隊長』」


 その兵士はフェンに向けていた槍の先を、再び天に向けて持ち直した。彼に続き、次々と他の兵士らも構えを崩していく。フェンは半ば呆けながら、彼らの挙動をただ見つめていた。


「お前ら……。俺の言うことを信じてくれるのか?」

「何年隊長の元にいると思っているんですか。隊長が嘘が下手なことくらい、充分に承知しています」


 うんうんと頷く兵士たちの口の端は、わずかに上がっている。


「それは初耳だな……」


 フェンは笑顔を抑えることができなかった。

 今までも混蟲メクスである自分を差別することなく、慕ってきてくれた部下たち。彼らを騙してしまったにも拘らず、それでも自分を変わらず『隊長』と呼んでくれる。フェンは胸の奥が熱くなるのを感じていた。

 ならば、是が非でも応えねばならない。フェンは顔を真剣なものに変え、腕を上げた。


「では、ここにいる三分の二は観衆の整理だ。速やかに帰宅を促すように。二人は城に伝えに行け。そのまま城で待機している他の奴らと、王及び城の警備に全力で当たれ。残りは俺と共に海側へ向かう」


 てきぱきと指示を出すフェンの言葉に従い、兵士らも次々と動き始める。


「やっぱり、俺たちにはもうしばらく隊長が必要だな」


 一人の兵士の呟きに、他の兵士も同調する。フェンは彼らの反応に苦笑で答えた。


「これは、当分は引退させてもらえない雰囲気だな。そろそろ嫁さんでももらおうかと思っていたのに」

「そういうことは、せめて嫁さん候補ができてから言ってくださいよ」

「うるせえ」


 コツリとフェンの拳を受けた兵士の顔は、この上もなく嬉しそうだった。







「先ほどから何か音がするな」


 ガティスは窓の外を見つめながら、静かに呟いた。

 東領、スィネルの屋敷。城下町と離れてはいるものの、それでもスィネルの屋敷は城に近いほうだ。砲撃の音は小さいながらも、彼の耳にも届いていた。


「フライア様はパレードの最中に抜けてきたんだよね? だとすると、それ関係の合図ではなさそうだけれど……」


 顎を触りながら眉を寄せるスィネル。ガティスは無に近い表情のまま、彼に振り返った。


「俺が様子を見てくる。あんたはこのまま部屋にいろ」


 言うや否やガティスは上半身の服を脱ぎ捨て、すぐに窓から外に飛び立った。丸みを帯びたガティスの透明なはねが、陽の光に照り映えるのをスィネルは見た。


「相変わらず羨ましいよ。私にも翅があったのなら、フライア様の所へすぐに飛んでいけるというのに」


 ため息と共に吐き出された言葉。それは、スィネルの本音でもあった。

 混蟲メクスに偏見の目を持たない茶髪の領主は、ガティスが出て行った窓をしばらく見つめていた。

 陽は、まだ高い位置にある。いつもと変わらぬ穏やかな日差し。テムスノー国にとって特別な日でも、自然は祝福などせず、ただそこに在り続ける。


「なんだか、長い一日になりそうだね……」


 スィネルはため息を吐きながら、片目を隠す前髪をかき上げた。







 飛翔を続けるラディムは、既に城下町の外れまで来ていた。

 森を挟んだすぐそこに城下町がある。今のところ、城下町側に目立った混乱は見受けられない。どうやら兵士たちが上手く立ち回ってくれているらしい。

 ラディムは陸側と同時に、複眼で海側にも注意を向け続けていた。城に近付くにつれ、船の陰影もはっきりと識別できるものに変わっていた。


「ラディム、あれ……!」


 声を上げたフライアの指さす先は、岸壁だった。多くの木々が海を望むように生えているその岸壁は、明らかに抉れていた。海風が原因で自然に崩壊したにしては、とても不自然だ。


「くそっ!? 攻撃を仕掛けやがったのか!?」


 ラディムは思わずその場に止まり、無数の船を睨みつける。


「外の国の人間は魔法は使えないってオデル王子は言っていたけれど……。でも、これじゃあまるで……」


 魔法みたい――とフライアは震える声で呟いた。

 軍事大国、アルージェ国が使用する大砲。その大きさゆえに、現段階では船でのみ運用されている武器ではある。

 アルージェ国は『陸』での交戦に絶対的な自信を持っていることも、これが現段階で地上戦では使われていない理由の一つだ。しかしいずれ地上戦でも使えるように、小型化、及び量産化を図るための研究が、今もアルージェ国内で積極的に進められていることは、フライアたちの知るところではない。


「……フライア。しっかり掴まってろ」


 ラディムは再び城に向けて飛び始める。

 彼らのすぐ真下――港にペルヴォらが上陸したのを、崖下を覗かなかったラディムらは見ることはなかった。







「あれは、おっさん?」


 城まであと少しという距離。ラディムの複眼は、にび色の胸当てを着けた見慣れた人物を捉えた。

 城を東西から守るように存在する森。その端に、フェンと数人の兵士らがいたのだ。彼らは木々に隠れながら、崖の向こう――海を緊迫した面もちで見据えている。

 結構なスピードを出していたラディムは彼らの上を一度通り過ぎてしまったが、急旋回をしてかの人物の元へと下り立った。


「おお、ラディム! フライア様もご無事で!」


 離れていた時間はそう長くはなかったが、それでも二人の姿を見たフェンは喜びを隠せなかった。


「おっさんもアレ・・に気付いたんだな」

「ああ、揺れたからな。これは……どう解釈すれば良いのやら」


 ただでさえ、この国では船という存在は珍しい。オデルらが乗ってきた船も、その姿を見たのはごく僅かな人間のみだ。眼前に並ぶ未知の存在は、不安と畏怖の念を存分に彼らに植え付けていた。


「少なくとも、お友達になりに来たわけじゃねえってことはわかる」

「そうだな……。そういえば、お前は以前レクブリック国の船を見ているよな? あれらはそう・・なのか?」

「いや、違う。レクブリックの船はもっとキラキラしていた。あと、あんなに物騒な雰囲気じゃなかったな。旗の模様も違う」

「ふむ。少なくともレクブリック国の船ではない――ということはほぼ確定で良さそうだ」


 二人が話している間、地に這うようにして崖に接近していた一人の兵士が、突然声を上げた。


「隊長! 奴ら港から地下に侵入してきています! 港に接近できない船からも、次々と小型船が出て港に向かっております」

「ちっ……」


 兵士の報告に、思わずフェンは舌打ちを洩らしてしまった。

 港は、外に出たい人間や混蟲メクスのために造られたものであるというのに。

 交流はレクブリック国限定――というテムスノー国側の事情など、他国には全く関係がないのだと思い知らされる。


「どうやら急いだほうが良さそうだ。ラディムはどうするところだったんだ?」

「城に戻る途中だった」

「それが良い。姫様。城に戻られたら、くれぐれも外に出られませぬよう」

「あの……フェンさんは?」

「我々は、このまま地下へ向かいます」

「そんな――!」


 海に視線を固定したまま、フェンは硬い声で答える。


「港から地上に到達するには、地下を通るしかない。つまり、地下で抑えることができれば、地上は安全というわけだ。だからラディムに頼みがある。城に戻ったら、できる限り多くの兵士を地下に送るように伝えてくれないか」

「いや、今ここで俺が魔法であいつらを蹴散らして――」

「しなくていい。お前はフライア様を守ることを第一に考えろ」

「でも――」

「奴らがどのような武装をしているのか、現時点ではわからん。いくらお前が自由に空を翔けることができるといっても、さっきのような島を揺らすほどの攻撃を一斉に仕掛けられたらさすがにヤバいだろう。歯がゆいだろうが、ここは頼む」

「…………」


 ラディムは先ほど見た、抉れた岸壁を思い出す。

 確かにあのような威力の攻撃を連発されたら、いくら魔法を扱えるラディムでも苦しいだろう。

 ラディムは船の大群を見据える。一体、どれほどの人間がやって来たというのだろうか。

 剣や槍で武装しただけの人間であれば、空から魔法を放てば蹴散らすことは容易いだろう。だがフェンの言う通り、彼らがどのような武装をしているのかが不明だ。弓矢で一斉に射られる可能性もないとは言い切れない。


「……わかった。すぐに応援を送るように伝える」

「頼む。よし、お前ら、すぐに地下に向かうぞ。何としてでも地下で食い止めるんだ!」

「はい!」


 フェンの号令に、兵士らは威勢よく返事をする。だがその顔には不安が滲み出ていた。


「行くぞ、フライア」

「うん。あの……皆さん。私の脚に触れてください」


 ラディムに抱えられたまま、フライアはフェンや兵士らに告げる。ラディムはすぐに彼女の言葉の意図を理解したが、フェンや兵士らは目を丸くしている。


「フライアが良いって言ってるんだから、早くしろよ」


 彼らの反応に、少しニヤつきながらラディムは促す。フェンたちは困惑しながらも、「失礼致します」と恐る恐るフライアの脚に手を置いた。


「風よ。我と共に在る者に駿馬の如き早さを授けよ」


 フライアの風の魔法の加護を受けたフェンたちは、思わず感嘆の声を洩らしていた。


「それで少しの間は、移動スピードが段違いに早くなるはずだぜ」

「まさか姫様のお力を直に受けることができようとは……。本当にありがとうございます。必ずや、吉報を城に届けるように致します」

「お気をつけて……」


 文字通り風のように走り去るフェンたちの後ろ姿を見届けた後、再びラディムは城に向けて飛び立った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る