黒の女王、地上へ

 魔法製のランプの光が踊るように揺らめく、地下の坑道。

 土の匂い香るその中を、足音をほとんど立てず歩く人影が三人分。彼らは一列に並び、黙々とある場所を目指していた。

 中央を歩くのは、腰まで届こうかという艶の良い黒髪を持つ女性だ。身に着けている漆黒のドレスは、彼女の存在を隠すかのように足首まで覆っている。

 全身を黒で包んだ、どこか神秘的な雰囲気を匂わす女性の名は女王蟻、ルツィーネ。そして女王蟻の前後を挟むようにして歩いているのは、あぶ混蟲メクスパルヴィと、カブト虫の混蟲ヘルマンだった。


 今まで地下を支配してきていた、ルツィーネを始めとした『あり』の一族。しかし先日、フライアが地下に訪れた事により、彼女らが今まで縋りついていた地位は呆気なく崩れ去る。

 今まで女王蟻一族が混蟲であり続けた背後には、魔道士ペルヴォプラの存在があった。

 激しい支配欲を抱えていたルツィーネ一族であるが、あれは彼女らが本来持つものではなかった。本能に見せかけた、ペルヴォプラの暗示であったのだ。

 彼女らの中に流れる蟻の血を利用し、支配欲だと錯覚させていた。腹を痛めて産んだ我が子の一人を無理やり混蟲に変え、もう一人を殺すという判断を下してしまうほどの、歪んだ支配欲を――。

 その意味では、彼女もかの魔道士の犠牲者と言える。

 だが、その事実を知らないルツィーネ。彼女は現在、激しい自責の念と立ち向かっていた。

 娘達に許して欲しいとは微塵も思っていない。この罪悪感は一生背負わねばならないものだと、彼女は決意すらしていた。



 坑道内ですれ違う者達は彼女らの姿を見た瞬間、一様に驚き、そして慌てて頭を下げる。しかし女王蟻は微笑さえ浮かべ、片手を上げて軽く彼らを制した。今まで冷酷であった女王蟻の変わり様に、さらに彼らは目を丸くしながら見送る――。

 これを何度か繰り返しながら、三人は確実に目的地に近付いていた。

 彼女らが向かう先は地上――テムスノー城だ。

 王女であり、そして本物の混蟲であるフライアを前にした女王蟻は、自身が刃を向けようとしていた相手の器と、そして力の片鱗を垣間見た。あの刹那の邂逅で、地上をも制圧しようという考えは、既に彼女の中からは消え去っていたのだ。

 地上――王宮は、あれから何度か地下とコンタクトを取ってきた。そして今日、地上と地下のこれからの発展のために、初めて正式な会合が行われるのだ。



 あまり代わり映えのしない景色の中を進み続けること、数刻。

 速度を落とすことなく進み続けていた彼女らだったが、不意にパルヴィが振り返った。


「ここらで少し休憩をいたしますか?」

「いや、良い。聞くところによると、以前やって来たという外の国の者は、あの断崖絶壁を登ってきたのであろう? それと比べたら、地下を歩くことなど大したことではない」


 比べる必要があるのかははなはだ疑問だか、パルヴィは女王蟻の意思に逆らうつもりはない。少し苦笑しながらも、再び前を向き歩き出す。



 それからさらに歩き続けた彼女らは、ようやく地下と地上を繋ぐ入口まで辿り着くことができた。

 入り口の前では、王宮からつかわされた数人の兵士らが佇んでいた。女王蟻の案内役としてである。

 彼らは女王蟻の姿を見た瞬間、一糸乱れぬ動作で敬礼をした。しかし女王蟻は何かに躊躇ためらうように、入り口を出た瞬間足を止める。


「ルツィーネ様……?」


 パルヴィが振り返りながら不安げに呼ぶと、ルツィーネは手で日差しを避けながら顔を上げた。

 彼女の視界に広がるのは明るい緑。木々から伸びた枝は、まるで光を求めるかのようにグンと天を覆っている。

 初めて踏んだ地上の土は、地下の地面よりも色濃く、幾分か柔らかい。

 眼前に広がるのは地下にはない色、そして景色。

 女王蟻も混蟲メクスの二人も、しばし周りを物珍しげに見渡していた。


「地上の光は眩しすぎるな」


 やがてポツリと洩らした女王蟻は、天を仰いだまま顔をしかめる。

 それは、彼女に同行していたパルヴィとヘルマンも同様の意見であった。

 祖先達が地下に住まうと決めた日から、彼らは陽の光というものと無縁の生活を送ってきていたのだ。

「だが――」とルツィーネは森に囁くかのように続ける。


「嫌いではない。たまになら、この光も良いかもしれぬな」


 木々の隙間から覗くテムスノーの城を見上げながら、黒の女王は口角を上げた。


「すまぬ、待たせたな」


 少しだけ戸惑いを顔に浮かべていた兵士らに、ルツィーネは穏やかに話しかける。


「では参りましょう」


 そして再び彼らは歩き出す。

 女王蟻は僅かに目を細めながら、誘導する兵士らの後ろ姿を眺めていた。

 地下とは段違いの光量にはまだ慣れない。でもこの眩しさはきっと、テムスノー国の未来の暗示でもあると彼女は信じていた。

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