第20話 救援者

「さてエドヴァルド。お前も混蟲メクスだから魔法を使えるはずだが、どんなのが使える?」


 気を取り直したラディムは、脱出の方法を探るべくエドヴァルドに尋ねる。


「オレが使えるのは、拳や武器に魔力を宿らせて威力を上げる魔法だ」

「部位は?」

「手首から先だけだ」

「うーん……」


 ラディムはエドヴァルドの答えに思わず唸ってしまった。

 潔いまでの攻撃補助特化だ。彼女の家で出てきた氷は、もしかしたら魔法道具によるものだったのかもしれない。

 先ほど馬鹿力のエドヴァルドが思いっきり殴ったにもかかわらずひび一つ入らなかったことから、恐らくこの壁を覆っている魔法は打撃でどうにかなるものではないとラディムは考えていた。となると、エドヴァルドが使える魔法も効果は期待できなそうだ。

 一応、試してはみるつもりだが。


「そういうお前は、どういう魔法が使えるんだ。ラディム・イルギナ」

「だからいちいちフルネームで呼ぶな。俺は肘から手首までの腕が発動媒体で、使えるのは一通りの属性魔法だな。火、風、土、雷、氷。水も使えんこともないが、正直なところ苦手だからあまり期待しないでくれ。あと腕を媒介しないと発動しないから、直接放出させることはできない。一回腕に魔法を宿らせてから振るスタイルだな」


 子供の頃に湖で溺れたせいで、彼はすっかり水が苦手になってしまっていた。だから頭の中で『水』をイメージすることにかなり難儀する。

 魔法を使う際に必需なのは、『祈りを込めた言葉』と『イメージの力』なのだ。故に、ラディムは水の魔法を使うことが大変に苦手であった。先の魔道士との対決の時も、水に弱い土人形と戦うために仕方なく発動させただけにすぎない。

 だが今のところ水属性の魔法が使えなくて究極に困ったことはないので、特に問題はないと彼は考えている。


「使える魔法が多いんだな……。もしかして地上に住む混蟲メクスは、皆お前のように多くの魔法が使えるのか?」

「俺もはっきりとはわからんが、そうでもないと思う……。俺は二種混じっているからな。そのせいかもしれない」


 今まで深く考えたことがなかったが、言われてみれば確かにラディムの周囲にいる混蟲は、彼ほど多くの魔法を扱う者はいない。ラディムは自分が蜻蛉とんぼ蟷螂かまきり、二種類の昆虫を擁する混蟲だからだと漠然と感じていた。

 魔法が使えるのは混蟲だけだ。この国の祖先達は皆混蟲であるが、ムー大陸の魔道士の血の影響は混蟲ではなくなった『人間』には表れず、混蟲だけに顕現している。それが、彼らが人間から忌み嫌われる大きな要因の一つとなっている。


「なるほど……。で、お前はこの部屋を覆っている魔法、どういう物だと思っているんだ?」


 難しい顔をしたままエドヴァルドがラディムに尋ねると、彼は腕を組んで視線を宙に彷徨さまよわせた。


「うーん、そうだな……。あの金髪女は、この部屋は『魔力で囲っている』と言っていた。『囲っている』という言葉を信用するのなら、直接壁の強度を上げているわけではない――と推測できる。その場合囲っているじゃなくて『強化している』というふうに言うだろうし。で、お前の馬鹿力で壊そうとしてもびくともしなかった所を見ると、攻撃を無効化する、もしくは威力を激減させるような魔法が張られているんじゃないかと思うんだ。おそらく四方からこの狭い部屋を――ん、どうした?」


 エドヴァルドの顔が見たこともないほど間の抜けたものになっていたので、ラディムは堪らず言葉を途切れさせた。エドヴァルドは口を小さくポカンと開け、丸い目でラディムを凝視していたのだ。漆黒の目をそのまま丸くする様は、まさに蟻のようであった。


「本当に突然どうしたんだ。腹でも痛くなったか?」

「お前……意外と考えることができる奴だったんだなと思って……」


 エドヴァルドが放った言葉に、ラディムは思わず頬を引きつらせてしまった。


「ひょっとして俺、かなり馬鹿な奴だと思われてたのか? 失礼すぎるだろ!?」


 確かにまだ世間には疎いかもしれないが、最低限の常識はあると自負していた。何より魔法を扱うことに関しては、普通の混蟲よりも訓練をしてきたのだ。

 エドヴァルドは驚愕の表情を崩さず、興味津々にラディムの顔を覗きこんでくる。

 狭い場所なので互いの顔が近い。理由はわからないが、急激に後ろめたい気持ちがラディムの中に発生してしまった。

 ――いや、この状況は不可抗力だから。

 今この場にいないフライアに対し、何故か心の中で言い訳をしていた。

 目を逸らしても、エドヴァルドの整った顔が複眼に映ってしまう。彼女の視線から逃れるように、ラディムは頭を掻きながら何とか喉から声を絞り出した。


「あー……。もしかして、初めて見る俺の一面に惚れたのか? 悪いけど俺は――」

「死ね」


 間髪入れず、氷のように冷たい目と声で返されてしまった。


「いや、本気にすんなよ! ちょっとお茶目な冗談を言ってみただけだろうが!」


 ラディムは慌てて言い返す。これで彼女が頬を赤く染め、俯きながら「馬鹿……」などという反応を返されていたら、それはそれで大変問題ではあったのだが。冗談を本気でキレて返されてしまったのも、釈然としない。


「くだらない冗談はいい。それより、お前にはここにかけられている魔法を何とかする案はあるのか?」


 話の腰を折ったのは元はエドヴァルドの方なのだが、いちいちそれに文句を言っていると話が進まない。ラディムは小さく溜め息を吐き、彼女の要求通りに答え始める。


「一通り魔法を使ってみて、この空間を覆っている魔法を相殺できないか試してみる」


 気を取り直してラディムは腕を交差させると、魔法を発動させる体勢を取る。まずは風の魔法から試してみようか――。

 ラディムがそう考えた時だった。

 ガラスのような物が割れる、甲高い音が響いたのは。


「――――?」


 思わず二人は顔を見合わせる。

 音は壁のすぐ側から聞こえた。耳を凝らすと慌しい足音もする。だが足音は一人分しか聞こえない。

 その足音はすぐに途切れ、またガラスが割れるような音がした。そしてまた同じような間隔で、同じ音。最終的に甲高い音は四回鳴った。

 いったい外で誰が何を――。

 二人が言い知れぬ不安に侵食される寸前で、その声はした。


「そこにいるんでしょ? エドヴァルド」


 壁の向こう側から聞こえてきた声にエドヴァルドは小さく息を呑み、ラディムは腐った肉の臭いを嗅いだような表情になってしまった。

 今の声は間違いなく、酒場の主人キャシーことアウダークスのものだったからだ。


「オレはここにいる。しかしアウダークス、なぜここに――」

「静かに。奴らに気付かれるわ。あと、その名では呼ばないでちょうだい。部屋を覆っていた結界は壊したわ。そこからもう出て来れるはずよ」


 今の音は結界を張っていた媒体を壊した音だったらしい。結界を解除させる方法に頭を悩ませる前にあっさりと解決されてしまったが、まぁ、助かったのでラディムは素直に良しとした。

 早速ここから出ようとしたところで、エドヴァルドが動く。肘を後ろに引いて一瞬動きを溜めた後、すかさず壁に拳を突き出した。壁は先ほどの頑丈さが嘘のように、呆気なく崩れ去った。

 わざわざ壊さなくても、入ってきた扉がある。実はエドヴァルドは、物を殴って壊すことが単に好きなだけなのでは――とラディムは思ったが、そんなことを話している状況ではなかったので、黙ってエドヴァルドの開けた穴を潜って外に出た。

 灰色の箱の外には、ガラスのような破片が粉々に飛び散っていた。おそらく、これがパルヴィ達が設置した魔力の込められた結界なのだろう。どうやらラディムの予想は当たっていたようだ。


「助かったアウダークス。感謝する」


 脱出に成功したエドヴァルドは、淡々とアウダークスに礼を告げた。そのアウダークスの姿をようやく改めて見たラディムは、思わず変な声を洩らしてしまいそうになってしまった。

 アウダークスは、先ほど酒場で会った時とは全く異なる格好をしていたからだ。

 まるで奴隷かと言いたくなるような、薄茶色の簡素な布製の服。腹の部分は覆われておらず、割れた腹筋が嫌でも目に付く。同様に太い腕も足もあまり布で隠されていない。

 赤い長髪は後ろで一つに束ねられており、先ほど化粧で厚く塗られていた顔は今はすっぴんで、雄々しい素顔を晒している。

 フリフリのピンクのエプロンを着ていたのが信じられないほどの、むしろ惚れ惚れしてしまうほどの、非常に男らしい格好であった。


「こっちよ」


 しかし口調は変わらない。アウダークスは短く言うと、その見た目からは想像できないほどの速さで駆け出した。

 すぐさまエドヴァルドがその後に続く。アウダークスの姿に呆気にとられていたラディムも、慌てて二人の後を追った。


「どうしてわざわざここまで来たんだ。アウダークスも捕まる可能性が――」


 走りながらエドヴァルドがアウダークスに問うと、彼は苦笑しながら振り返った。


「セクレトたちが捕まったと聞いて、呑気にいつもの生活を続けられるわけがないじゃない」

「えっと……。それじゃあ最初から、俺たちと一緒に来れば良かったんじゃ……」

「乙女には色々準備ってものがあるのよっ」


 ラディムが疑問を口にすると、アウダークスは凄まじい剣幕で今度は逆に振り返った。


 ――あぁ、うん、乙女ね……。


 色々と言いたかったラディムだが、ここは黙っておくべきだ、と彼の中の何かが叫んだ。こんな所でツッコミ返しなんかで死にたくはない。


「それにエドヴァルドのことだから、何かヘマをやらかしそうな気がしてたのよねえ。案の定捕まっちゃってたし。やっぱり時間差で行って正解だったわね」

「…………」


 無表情だったエドヴァルドの顔が、僅かにムッとしたものに変わった。

 どうやらエドヴァルドは猪突猛進タイプ、というラディムの評価は当たっていたようだ。

 しかしそれならば、最初から忠告しておいて欲しかった……とラディムは思わず溜め息を吐くのだった。


「セクレトたちはこの近辺にはいなかった。おそらく、女王蟻の元へ直に連れて行かれていると思うわ。急ぐわよ」


 アウダークスが告げた直後、前方に二人の兵士の姿が見えた。兵士たちもラディムらに気付き、サーベルを抜きながら彼らに向かって突進してくる。


「何だお前ら!? 止まれ!」

「怪しい奴め!」

「どきなさい!」


 アウダークスは刃物を見ても勢いを止めることなく、兵士たちに向かって突き進んだ。強靭な両腕を広げ、そのまま豪快にラリアットをかます。サーベルを振るう間もなく、哀れ二人の兵士は白目を剥いて仰向けに倒れてしまった。

 安らかに眠れ――。

 敵ながらそのやられっぷりが少し可哀相になってしまったラディムは、心の中で密かに祈る。


「で、どうして女王蟻の所へ連れていかれてるなんて、そんなことがわかるんだ?」


 再び走り出した彼らは、またしても駆けながら会話を交わす。


「言ったでしょ。私は元々、女王蟻の一族に仕えていた兵士だったって。罪人の処遇はよく知っているの。あなた達がさっき閉じ込められていたのは、魔法を使う者を幽閉するための装置と部屋よ。お兄さんが混蟲だから、きっと厄介だと思われたのでしょうね」

「でもフライアは? あいつも一目見て混蟲だとわかるはずだが」

「それについては私もよくわからない……。でも、丁寧な扱いを受けているとは到底思えないわ」


 アウダークスの返答にラディムの胸がざわつく。


「くそ……無事でいてくれよ、フライア」


 ラディムは奥歯を強く噛み締め、アウダークスの後ろを走り続けた。







 海底からゆっくりと浮上するかのように、意識が戻ったのを自覚した。

 全身が、重い。

 フライアは鮮明にならない意識の中、それでも瞼を開けようとする。しかし、その小さな挙動さえ取ることができない。

 鉛を乗せられたかのような、この全身の重さには覚えがある。魔法力がなくなった時の疲労感だ。揺らめく意識の中、フライアはさらに自分の中から魔法力がなくなっていくのを感じ取った。

 自分は一体、どこで、何をされているのか。

 そしてラディムは? エドヴァルドは?


 カチャリ。


 すぐ側で少し硬めの音がした。瞼が開かないので確認をすることができないが、両手首から圧迫感がなくなったのを感じ取る。そこで初めて、フライアは自分が手を拘束されていたことに気付いた。しかし自由になったということは――。


 ――ラディム?


 頭の中で黄の髪の少年の姿を思い浮かべるが、彼女の鼓膜を叩いたのは別の声だった。


「ごめんなさい……」


 それは、聞いたことのない少女の声。

 肉体に食い込んでくるような悲壮な声に、フライアの胸は締め付けられる。


「ごめんなさい……」


 動くことができないフライアに向けて、声の主は再度、謝罪の言葉を口にした。

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