第19話 閉じ込められた二人

 未だ名の不明な銀髪の男と、金髪のポニーテールの女パルヴィがラディム達を連れてきたのは、女王蟻一族の居住区内にある部屋の一室だった。

 その部屋の中には、天井まで届こうかという大きな灰色の箱が存在していた。箱には入り口のような簡素な扉はあるのだが、それ以外には特に目立つ物はない。

 その灰色の箱の中に、ラディムとエドヴァルドだけが押し込められた。直後、灰色の箱の外から鍵がかけられてしまう。


「あなた達が今いる部屋だけど、魔力で囲っているから物理的に壊すなんてことは無理よ。脱出は諦めてね」


 パルヴィは明るい声で箱の中の二人にそう言い残すと、銀髪男と共に他の者たちを引き連れ、部屋を後にした。フライアとエドヴァルドの両親は、別の場所に連れて行かれてしまったのだ。

 二人が閉じ込められたのは、部屋と呼ぶには狭すぎる灰色の空間。少し広い棺桶と言った方がしっくりとくる狭さだった。当然の事ながら、居心地は悪い。

 この部屋に連れて来られる前にエドヴァルドは槍と煙幕弾も没収されてしまっていたので、今の彼女は丸腰も同然だ。

 一言で言えば、最悪な状況だった。


「はぁっ!」


 エドヴァルドは気合いの掛け声と共に右の拳を壁に叩きつける。だが――。


「なぁ、やっぱり壊すのは無理だって。諦めろ」


 ひび一つ入らない灰色の壁に歯軋りするエドヴァルドを見やりながら、ラディムは力なく呟いた。

 エドヴァルドはラディムの言葉など聞こえていないと言わんばかりに、またその拳を壁に叩きつける。だが、先ほどと同じ結果が待っているだけだった。


「金髪女が去り際に言っていただろ。この部屋は魔力で囲っているから、物理的に壊すのは無理だって。いらん体力を消耗するだけだぞ」


 だがラディムの言葉を聞いたエドヴァルドは、怒りをあらわにしながらラディムの胸ぐらを掴んだ。


「たとえオレの拳が砕けようとも、必ず脱出してみせる! 貴様は王女様のことが心配ではないのか!?」

「俺が心配していないと、本気で思っているのか」


 静かに、それでいて低い声で放ったラディムの言葉に、エドヴァルドの瞳が僅かに揺らいだ。


「……すまない」


 囁くように言いながら、彼女はそっとラディムから手を離す。

 この場からすぐにでも飛び出して行きたいのは、ラディムとて同じであった。だが彼はその感情を必死で抑えていたのだ。


「わかったんなら、とにかく一旦落ち着け」

「オレのせいで、王女様を巻き込んでしまった……」


 エドヴァルドは唇を噛みながらそこで俯く。


「いや、落ち着けとは言ったけど落ち込めとは言ってねえ……」


 見たことのないエドヴァルドの落胆ぶりに、ラディムは少し焦ってしまう。非常時とはいえ彼女らしくない振る舞いだ。もしかしたら、これが本来の彼女の姿なのかもしれないが。


「危険な目に遭うかもしれないってことは、あいつも覚悟の上だって言ってただろ。あれは嘘じゃない。フライアがあの目をした時の覚悟は本物だ。普段は割とすぐ泣くけど、意志だけは強いってことは俺が保証する。そんなあいつが、お前のことをどうしても放っておけないってよ」


 このまま彼女に沈んでいられると、状況面でも精神面でも困る。正直なところラディムは人を励ますことは苦手であったが、彼なりに頑張って言葉を探しながら続けた。


「それに、フライアも馬鹿じゃない。いざとなったら身分をばらして、命だけは助けてもらうかもしれないし」


 これはほとんど彼の願望に近い台詞であった。

 地下で王族という肩書きが通用しないとは何度も聞いてきたが、さすがに女王蟻も自国の姫の命を奪う――などということはしないでほしいと願う。

 俯いていたエドヴァルドが顔を上げる。下がっていた彼女の肩も再び元の位置に戻った。


「……お前も王女様も、本当に物好きなんだな」

「俺も一緒にすんな。お節介なのはフライアだけだ。あくまで俺は、あいつに付いて来ただけなんだからな」


 そのお節介なところが気に入っているあたり、ラディムも同じ穴のむじななのかもしれないのだが。しかしそのようなことは口が裂けても言えない。照れを誤魔化すかのように、ラディムはエドヴァルドの鼻先に指を一本突き出した。


「あと、俺はお前に一服盛られた恨みは忘れてねえからな」

「それに関しては謝る。お前はともかく、どうしても王女様には危険な目に遭って欲しくなかったんだ。本当はあのまま帰還していただきたかった」

「おい。謝ると言っておきながら『俺はともかく』ってどういうことだコラ」

「お前なら多少自分の身に火の粉が降りかかろうが、問題ないだろう」

「…………」


 表情筋を動かすことなく淡々と告げるエドヴァルドに、ラディムは色々と気が削がれてしまった。これは馬鹿にされているのか、それとも誉められているのか。しかしこの調子なら、もう彼女は大丈夫だろう。


「なあ、ひとつ聞いていいか? お前はどうしてそんなにフライアの心配をするんだ。護衛だから心配すんのは当たり前かもしれねえけど、その……まだお前、一ヶ月しかフライアと一緒にいないわけじゃん?」


 エドヴァルドはずっと男として育てられてきたから、心も男で――。もしかしたらフライアに特別な感情を抱いてしまっているのでは――。

 なぜか得も知れぬ危機感を抱いてしまったラディムは、思わず聞いてしまっていた。

 エドヴァルドは小さく息を吐き、長い睫毛を伏せながら彼に答える。


「オレが王女様の護衛になったのは、陛下の計らいだった」

「うん……?」


 まったくの見当違いな返答に、ラディムは眉を寄せる。だが彼女がまだ何か言いたそうにしていたので、開きかけた口を閉じ、続きを待った。


「あのまま地下に居続けたらオレの身が危ない――。そう考えた両親は、オレを地上にやることを決心した。そして、陛下に直接相談を持ちかけたんだ」


 エドヴァルドはそこで小さく息継ぎをすると、眼前の灰色の壁にそっと触れる。


「オレの出自を聞いた陛下は、すぐにオレを王女様の護衛に就かせてくださった。だが、それは表向きの役割だ。本当の目的は……陛下の目の届く範囲にオレを置くことで、地下の手の者からオレを護るためだった」


 エドヴァルドの告白に、ラディムは軽く息を呑んだ。


「そうだったのか……」


 確かに急にフライアの護衛を増やすなど、変な話だとは思っていた。

 フライアは混蟲メクスなので、王宮内に彼女のことを快く思っていない人間は大勢いる。だがその人間達は、直接危害を加えてくるような度胸のある輩ではない。ラディムの存在で、牽制は十分にできていたはずなのだ。

 そしてラディムは知るところではないのだが――フェンが捕まえた地下からの不審者達。彼らはエドヴァルドの探索と、地上の偵察を兼ねた者達だったのだ。


「だからオレは、本当に陛下に感謝しているんだ。陛下のお心に少しでも報いるため、せめてオレに与えられた表向きの役割くらいは全うしなければならないと思っている。オレが王女様を深く心配する理由はそれだけだ。お前は何か勘違いしているようだが、別に王女様に対して忠誠心以外の思いは抱いていないから、安心しろ」


 どうやら質問の意図を見透かされていたらしい。ラディムはばつが悪そうに、彼女から目を逸らして頬を掻いた。とりあえず、女性同士の禁断の世界の扉は開いていないようなので安心した。


「それはともかく。やけにオレに追いつくのが早かったが、どうやって牢の位置を知った? かなり複雑な道だった筈なのだが」

「あぁ。それはだな……。情報を求めて入った酒場のおっさ……おねーさんに教えてもらったんだよ」

「もしかして、アウダークスのことか……」


 エドヴァルドはその情報だけで、誰のことなのか瞬時に理解したらしい。顎に手をやり、嘆息しながらぽつりと呟いた。だがエドヴァルドが呟いた名に聞き覚えがなかったラディムは、眉間に皺を寄せる。


「アウダークス?」

「あぁ。その酒場の看板に『キャシー』と書いていなかったか? それは仕事用の偽名だ。本当の名はアウダークスという」

「へえ……」


 ラディムはそう答えるのが精一杯だった。彼にとってはあまり重要でない情報だ。エドヴァルドのことを教えてくれて地図も描いてくれたことには非常に感謝をしているが、できれば存在もろともすぐに忘れたいくらいだった。

 あの大きな手で体に触れられた時のことを思い出してしまったので、ラディムは頭を振って無理矢理その記憶を霧散させた。


「さて、そろそろお喋りタイムは終わりにしよう。本格的に脱出方法を試していくぞ」

「だがお前、さっき自分で諦めろとか言っていなかったか」

「力ずくでこの壁を壊すのを諦めろって言っただけだ。魔法で囲まれているなら、魔法で打ち消せるかもしれねえだろ」

「なるほど……」


 エドヴァルドは漆黒の目を僅かに丸くする。ラディムの言葉に本気で感心しているようだった。

 昨日までろくに話をしたことがなかったので、ラディムは今まで彼女の性格を掴めていなかったのだが、もしかするとエドヴァルドは考えるのが苦手なタイプなのかもしれない――とふと思った。

 思い返せば、壁を壊しての派手な逃走といい、牢獄での大雑把な作戦といい、その可能性が濃厚だ。

 無表情なことが多いものだから、てっきり『できる頭脳系』だと何となく勝手に思いこんでいたのだが、『見た目は冷静沈着だけど実は腕力バカ』の可能性が高そうだ。

 今までラディムの中で作り上げていたエドヴァルド像が、崩壊していく音を聞いた気がした。

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