第7話 いざ地下へ

「正気ですか陛下!? 地下なんて危険な場所に――」

「お前が付いているなら大丈夫だろう」


 なんて事は無いと言わんばかりにあっさりと言われ、何も言い返すことができなくなるラディム。ノルベルトが自分に絶対の信頼を置いてくれていることがわかり非常にありがたいが、しかし――とラディムは視線を彷徨さまよわせながら逡巡しゅんじゅんする。

 ノルベルトは目の前の書類の束に目をやりながら、静かに告げた。


「実はな、今まで何度か地下に介入しようと試みていたのだ。最近耳にする地下の様子は、あまり明るいものではなかったからな。今までずっと地下で生活していた者たちからしてみれば、私のやろうとしていることは侵略と大差ないように思えるだろう。だが、違う。地下で暮らす者たちにも地上と同等の秩序と生活を保障したいだけなのだが、私が不甲斐ないばかりに尽く拒否されておってな。情けないものよ」


 ノルベルトは少し哀しげな目で遠くを見つめる。

 自分を責める物言いに、ラディムは急に居た堪れない気分になった。フライアと同様にノルベルトを側で見てきたというのに、今まで彼の苦悩を全く察することができなかった。そのことが、無性に悔しかった。


「フライア。どうかエドヴァルドの力になってやってはくれぬか。私から詳しくは言えぬが、きっとエドヴァルドもそれを望んでおる。そして少しでも見聞を広めてきなさい。いずれこの国はお前に任せることとなるのだからな。できれば現状の地下の様子も報告してくれると助かる。……頼んだぞ」

「わかりました。ありがとう、お父様」


 フライアはノルベルトに一礼すると、ラディムに振り返った。少し申し訳なさそうな顔をしていた。


「……そんな顔をするな。自分の立場くらいわかっているつもりだ」


 ラディムは諦めたように肩をすくめ、苦笑した。

 ノルベルトが配慮してくれた職とはいえ、ラディムは王女フライアの護衛である。彼女の行く所に着いて行くしかないのだと、彼に選択肢はないのだと、そんなことはラディムもとっくにわかっているのだから。


「それで、肝心の地下への入り口はどこにあるか知っているのか?」


 ラディムの問いに、フライアはふるふると頭を横に振る。それに答えたのはノルベルトだった。


「入り口は城下町の東、立ち入り禁止区域の森の中にある。詳しくは大臣に聞くと良いだろう」


『大臣』という単語が出たところで、ラディムの眉間に皺が寄る。

 城で暮らす人間の中でも、特に大臣は混蟲メクスを毛嫌いしている。あまり積極的に接触したくはない人物だった。ラディムは先ほどフライアの居場所を聞いたから尚更だ。

 フライアもかの人物が苦手なのか、細い眉が少し下がる。しかしエドヴァルドを追うためには避けては通れない。

 それにしても地下への入り口が、立ち入り禁止区域に指定されていたとは。情報がないわけだ、とラディムは心の中で苦笑する。


「わかりました。それではお父様、行って参ります」

「二人とも、気をつけるのだぞ」


 フライアとラディムの後ろ姿を見送ったノルベルトは、椅子に背を預け、瞼を閉じた。


「エドヴァルドを頼むぞ、フライアよ」


 彼の祈るような呟きは、目の前の書類の束の中に消えていくのだった。







 鳥が羽を広げたような形状のテムスノー城。その『右翼』側は、主に兵士用の施設だ。訓練所や食堂、兵士たちの部屋などがここに固められている。

 大臣はこの兵士用の施設に頻繁に出入りをしていた。兵士長が、兵士たちの訓練の様子などを大臣に報告しているからだ。

 テムスノー国は絶海の孤島。それゆえに、大規模な争いは今までに経験がない。それは、テムスノー城に仕える兵士たちの存在も大きく貢献していた。

 力があることをあえて誇示させることで、得られる平穏もある。

 とりわけ、大臣はそのような考えを強く持っていたのだ。しかし、人間にはない能力を持つ混蟲メクスには複雑な想いを抱いている。混蟲が仕える魔法は、大きすぎる力だと考えていたからだ。故に、王女であるフライアに対する態度も硬く、鋭い。

 城の右翼側に足を踏み入れたフライアとラディムは、すぐさま二階へと向かう。二階には兵士たちに関する資料が置かれている部屋がある。この城の第二の執務室とも言うべき場所だった。大臣が右翼に来る時は、大抵ここにいる。

 扉をノックすると、かの大臣の声がした。「フライアです」と名乗ると、一拍置いた後に中へと促す返事がきた。

 フライアは遠慮がちにそっと扉を開ける。ここにはフライアも入ったことがないからか、彼女の緊張はピークに達していた。

 部屋の中は、大きな本棚が壁一面に並んでいた。兵士長から受け取った報告書を、大臣が紐で綴り、並べているのだ。一糸乱れぬ書類の並び具合から、彼の几帳面さがうかがえる。

 その大臣は椅子に腰掛け、資料の束に目を通しているところだった。金色の刺繍が施された白いローブを身に着けている彼は、知らぬ者が見たら聖職者と間違えてしまうかもしれない。


「こちらにお出でになられるとは珍しい。どうされたのですかな」


 フライアの顔を見ずに答える大臣。フライアは一瞬怯むが、後ろからラディムがそっと肩に触れてくれたことで気を取り直し、決意を口にする。


「突然お訪ねして申し訳ございません。あの、地下の入り口がある場所を教えていただきたいのです」


 フライアの言葉に、大臣の視線が跳ね上がった。その瞳は驚愕に揺れている。


「地下、ですか。なぜそのような場所へ――」

「今から向かいます。父の――王の許しは得ております」


 先ほどとは打って変わり、毅然とした態度で告げるフライア。

 両者の視線がしばしの間交錯する。やがて大臣は瞼を閉じると、息を吐きながら静かに立ち上がった。


「わかりました。こちらへ」


 大臣の促すまま、部屋の端へと移動する二人。そこには小さな地図が壁に貼られていた。テムスノー国全体が描かれたその地図は、窓際にあるせいか端が随分と日褪せしていた。


「私は、混蟲メクスが好きではありません」


 鋭い眼差しで地図を見据えたまま、大臣は言い切った。

 ラディムの目元がピクリと歪んだ。そんなこと、今さら言われなくともわかっている。

 今にも声を荒らげそうな彼を、フライアはその手首を掴むことで落ち着かせる。ここで争っている場合ではないか――と、ラディムは奥歯を強く噛み締め、自身の内に発生した激しい感情に耐える。


「しかし……。混蟲であっても、あなたはこの国の王女です。王女であるあなたの身に何があっても良いとまでは、私も思わない。おそらく地下では、地上の常識は通じないでしょう。お気をつけを」


 淡々とした口調で言い終えた大臣は、地図のとある箇所を指差した。

 大臣から自身を案じる言葉を聞くなどとは思ってもいなかったフライア達は、思わず目を丸くする。だがすぐに平静を取り戻し、彼の指の先が示す場所を深く脳に刻むのだった。


「近いな……」


 テムスノー城は、左右から森に挟まれている。

 先ほどノルベルトから聞いた通り大臣の指先は東の森の中を指しているが、城からさほど離れていない。


「この周辺を立ち入り禁止地区に指定している理由は、他ならぬ地下への入り口のせいでございます。入り口には小さな結界が張られているのです。結界といえど、何らかの魔法を当てることですぐに壊れる弱いものではあります。が、すぐに再生されてしまう。生身の人間が触れると、火傷どころでは済まされないでしょう」

「混蟲の魔法か、魔法道具を使わないと入ることすらできないってわけか……」


 地上の介入を拒んでいるという、地下の者たち。

 二人の心は、まだ見ぬ者たちへの不安で溢れるのだった。







 日の光が眩しい城門前で、フライアは両手を目一杯天に突き出し、伸びをしていた。

 これは出発前の彼女なりの儀式らしい。遠出をする前には、必ずこの動作をする。おそらく緊張をほぐすためのものだろう、とラディムはそう解釈をしていた。

 ラディムは伸びをするフライアの背後に忍び寄ると、小さな肩に手を伸ばした。


「きゃっ!?」


 いきなりラディムに触れられたフライアは、両手を上げた状態で短い悲鳴を発する。

 ラディムは彼女の声には構わずに、フライアの足元を後ろから片足で払った。バランスを崩し倒れるしかないフライアの上半身をしっかりと支えると、そのまま膝裏に手を回す。

 別に嫌がらせをしたわけではなく、ラディムはフライアを文字通り『お姫様抱っこ』したのだ。


「ラ、ラディム!?」


 フライアはラディムの腕の中で顔を真っ赤にし、若干涙目で彼の行動の真意を問うてくる。


「あの……そんなに照れないでくれ。いや、こうした方が速いかなと思って……」


 同じく顔を赤くしたラディムはフライアから視線を逸らし、小さな声で告げる。こっちだって心臓が破裂しそうなんだ、とは思っていても言えなかった。


「『あれ』を頼む」


 かろうじて言葉にしたその言葉だけで、フライアは理解したらしい。フライアは両手を胸の前で組み、瞳を閉じた。


「風よ。我と共に在る者に、駿馬の如き早さを授けよ」


 フライアの口から力と祈りを込めた言葉が紡がれると、フライアと、そしてラディムの両脚が淡い緑の光に覆われた。


「おぉ、久々だがやっぱりこの感覚は凄いな。脚の重さをまるで感じなくなった」


 歓喜するラディムに、フライアは頬を染めたまま小さくはにかんだ。

 フライアが今使ったのは、触れた対象を駿足にさせる魔法だ。フライアが魔法を発動させる媒体は『胸』と『脚』なのだが、彼女の脚に触れている者も同様の魔法の効果を得られることができる。もっとも、フライアにそのような魔法を発動させる意志がないと、触れただけでは効果は得られないのだが。

 このように魔法が使えるのは混蟲だけだ。混蟲が人間に嫌われている原因は形姿なりすがただけではなく、確実に魔法にもある。それ故に、人間の前で魔法を使う混蟲はほとんどいない。

 だが彼らは混蟲同士。気兼ねする理由など何もない。


「じゃあ、行くぞ!」


 気合の掛け声と共にラディムは地を蹴る。次の瞬間、まるで早馬の如き速さでラディムは街道を駆け抜けていた。

 ある程度進んだところで今度は街道を外れ、森の中へと真っ直ぐに進む。


(これなら余裕でエドヴァルドに追いつけるはずだ。さっきの失態は行動で返す……!)


 舌を噛まぬよう黙っているフライアの顔を、ラディムは両の複眼でそっと見つめていた。

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