第93話、ゲルドーダス侯爵家

 お付きの治癒師と思しき女性に支えられながら応接室に入ってきたのは、威厳に満ちた強面の老人だ。まさにイメージ通りの悪の親玉。だけど病気なのか、単に高齢故か顔色はあまりよくない。健康に不安があるのは見れば分かるけど、こいつがゲルドーダス侯爵だろう。

「キースリング、お前の話は少々迂遠にすぎるぞ」

「父上! 大丈夫なのですか!?」

「騒ぐな。客人の前だぞ」

 おぼつかない足取りの老人は、支えられながらソファーに腰かけた。体にガタは来てるみたいだけど、眼光は鋭いし頭は十分に働いてるように見える。さすがは王都の裏社会を仕切るドンってところか。


 でも、なんだか気勢が削がれたわね。いくら私でも病気の老人をぶちのめす気にはならない。それに病床からわざわざ起きて来たってことは、なにか話でもあるんだろう。次期当主の話は侯爵の言う通り、取り敢えず殴るかって思うほど回りくどくて面倒くさい。私は駆け引きをしに来たんじゃないからね。

 侯爵の迫力は身体を悪くしていても、さすがという程のものがある。客観的に言って次期当主も悪くはないけど、侯爵にはとても敵うものじゃない。これが年の功って奴か。

 さて、ここからは少しは面白い話が聞けるかもしれないわね。ウチの幹部連中も同じことを思ったのか、大人しく席に座り直した。中でもジョセフィンはかなり興味深そうにしてる。


 侯爵はソファーに体を沈めると、重々しく語り始める。

「自己紹介など不要だな? まずは当家の愚息が仕出かしたことは、親としてお詫びしよう。済まなかった」

「その詫びの言葉は受け取るわ。だけど侯爵、分かってると思うけど、言葉だけで済ますほど私たちは安くはないわよ。ケジメをとる、私たちはそのつもりでここまで来たんだからね」

「当然だな。代償は支払う。だがこちらにも事情があってな。少し話に付き合ってくれ。その上で、そちらの結論を聞こう」

「話ね。私たちは暇じゃないけど、老人の話に付き合ってやるくらいの余裕はあるつもりよ。精々、面白い話をすることね」

「ふん、女風情がと思いきや、世の中分らんものだ。まずは王都の現状を教えてやろう」

 それは気になってたことだ。なんで王都がこんなに荒廃したままなのか。復興が進んでたって話は噓じゃないだろうし、てことはどこかのタイミングで何かがあったってことになる。


 私たちは王都の現状については詳しく調べようともしてなかったから知らなくても当然だけど、意外というか当然というか、厄介なことになってるようだ。

 侯爵によれば、端的に言って王都は危機にある。それは内的要因と外的要因による。

 内的要因は王都の戦力が限りなく少ないこと。それは公的な戦力だけじゃなく、裏社会の組織の戦力のどちらも。

 外的要因は外国勢力、特にレトナークの裏社会からの攻勢が凄まじいらしい。


 そもそも王都の裏社会は、戦争の時も地下に籠って疎開をすることはしなかったらしい。それどころか人気が無くなった王都の中で、組織だって火事場泥棒の真似事をやってたんだとか。

 侯爵はその部分は濁してたけど、ニュアンスからして間違いない。その折に王都が壊滅に陥った大爆発に巻き込まれて、王都裏社会の戦力も壊滅的な状況に追い込まれたらしい。頭が残ってても、手足がなくなったんじゃ身動きは取れないからね。締まらない話だけど、自業自得だろう。侯爵が口を濁すのは無理もない。


 戦後の初期の頃は住民も次々と帰って来て復興は徐々にだけど進みつつあったらしい。だけど、とんでもない横やりが入った。そいつらはレトナークで幅を利かせてる裏社会の組織。奴らは絶望感に染まる戻った王都の住民に対して、非常に良くないものを蔓延させた。麻薬だ。

 かつては王都を縄張りに活動してるいくつもの裏社会の組織があったけど、敗戦による大幅な弱体化によって、一気にレトナーク側の勢力に駆逐されてしまったらしい。

 本来なら王都の裏社会の組織が防波堤になって食い止めるはずなんだけど、肝心の手足が失われてる状態じゃね。

 さらにだ。残った頭の部分も、間抜けなことに旧ブレナーク王国である王都とエクセンブラでの権力闘争に現を抜かしてる間に、その外国勢力に食い込まれてやりたい放題やられる羽目に陥ってたんだとか。その辺りの間抜けな事情には、ゲルドーダス侯爵家当主の病床も絡んでそうだけどね。


 現状を簡単に言うならば、王都は外国勢力の裏社会に完全に支配されてしまってる。

 しかも奴らにとっては所詮は外国だからか、酷い商売を平然と実行してる。ヤクの蔓延、誘拐と人身売買は当たり前。強盗や殺人なんかも無視できない件数が毎日頻繁に起こってる、らしい。

「レトナークの裏社会が大規模に入り込んでるのは間違いないが、それだけではない。エクセンブラからもちょっかいを掛けられている。お前たちも良く知っているだろうが、蛇頭会の連中だ。蛇頭会も所詮は外国勢力。ここぞとばかりにブレナークの勢力を駆逐するつもりなのだろうな」

 レトナークからの外国勢力が一気呵成に攻め込んで来れたのも、どうやら蛇頭会の手引きがあったからこそ成し得たことらしい。


 なるほど、蛇頭会は旧ブレナーク王国においては、エクセンブラを中心に活動してるけど、傘下の関連団体は国中にある。エクセンブラでも五大ファミリーとして君臨する奴らだけど、奴らは広く諸国に蔓延する国際的な組織でもある。私たちが言えた義理じゃないけど本当、ロクでもない奴らね。

 奴らの手引きがあったってのは、まぁありそうな話よね。

「で、かつては王宮の暗部を司ってた侯爵家が重い腰を上げ始めたってわけ? エクセンブラや闘技場の利権どころじゃないわよね。本家本元の王都がこんな状況じゃ、他に構ってる暇なんてないはずよ」

 外国の裏社会に対抗する、元いた裏社会の勢力は壊滅中。さらに国民を守るべき正規の騎士団や軍も壊滅中。王都はもぬけの殻も同然だ。自分たちの家や庭である王都をやりたい放題にやられるまでに至って、やっと王都に蔓延る権力者たちは危機を実感したんだろう。

 侯爵家は自前の戦力を抱えてるけど、それでも多数を誇る外国勢力には対抗できないらしい。

「指摘されるまでもない。だが力が足りん。いや、奴らを駆逐するだけなら可能だが、その後が続かんのだ」

「へぇ、あんたの戦力なら王都にいる外国勢力を全部叩き潰せるってこと?」

「そうだ。だが無傷に、とはいかん。こちらにも相応の血が流れる。そうなれば新たな戦力を送り込まれて駆逐されるのは、今度はこちらになるだろう」

 侯爵家が抱える戦力じゃ相手を叩き潰せても、自分たちもタダでは済まない傷を負う。そして、新たに追加でやってくる外国勢力に、今度は対抗できないって認識らしい。だから迂闊に手が出せない。手をこまねいてるってことか。


 侯爵はここで一息ついて私たちを眺める。

「キキョウ会か。お前たちを侮っていたのは否めん事実だが、嬉しい誤算でもある。単刀直入に言おう。力を貸せ」

 そう来たか。キキョウ会と手を組めば、自前の戦力も多くを失わずに済むかもしれない。さらには上手く立ち回れば犠牲はキキョウ会に押し付けて、自分たちは掠り傷程度で事を成すことができるかもしれないんだしね。



 それにしても、こいつらは私に仕出かしたことを忘れたわけじゃないわよね。あまりにも図々しいと思うけど。

 はっきり言って、気に入らない。

 理屈は分かる。同じくブレナークの勢力同士、酷い商売しかしない外国勢力を叩き出したい。王都はキキョウ会の会長である私と懇意であるゼノビアとカロリーヌの地元でもある。そこを助けるために侯爵と手を組むってのは合理的な判断だ。ゲルドーダス侯爵家次男がやらかした事件に対する代償も支払う意思はあるらしいしね。

 でもね、それは気に入らない。体よく利用されるなんて冗談じゃない。理屈は通っても納得はできない。

「……お断りよ。私たちはあんたの手駒じゃない。王都には友達もいるから、この街を助けてやることに異存はないけどね」

「ならばどうする? 例え今いる裏社会の勢力をお前たちが単独で排除しても、奴らはすぐに次を送り込んでくるだけだ。それともずっと、王都でその戦いを続けるか?」

 それは無理だ。私自身は王都に思い入れは全然ないし、エクセンブラが今の家だからね。侯爵の言ってることはその通り。でもね、気に入らないものは気に入らない。

「侯爵、私は王都を救うことには異存はないし、手助けをする気もある。だけど、あんたたちに手を貸す気にはならない。それだけのことよ」

「だったら!」

 横からいきりたつ次期当主を制して黙らせる。

「私はゲルドーダス侯爵家には手を貸さない。だけど、別の勢力になら手を貸すわ。それなら王都を助けることに変わりはないわね?」

 ここで我がキキョウ会が誇る情報班の主人に視線を送ると、心得たばかりに頷く頼もしいジョセフィン。

「キキョウ会が協力する候補はこちらで調べています。侯爵、伯爵家と言えばお分かりですよね?」

「まさか、あの伯爵家への橋渡しをしろと?」

 実は私はよく分かってないけど、ジョセフィンが言う相手ならそれでいい。侯爵の反応を見るに仲の悪い相手、いや、苦手な相手っぽいわね。

「……王都をこのままにはできん。女だがキキョウ会の力を借りねばどうにもならん。しかもあの伯爵家か。だが、やむを得ん、か」

「父上、どうなさるのですか?」

「オーヴェルスタ伯爵家との橋渡しをする。伯爵は病床だが、事実上あの家は奥方が仕切っているからな。問題あるまい」

「ですがあの奥方は行方が分からないのではなかったのですか?」

「奥方自身から内密にと頼まれていたのでな。すまんが、お前にも黙っていた。彼女は男の我々では手が出せん場所にいてな。手引はしてやるからあとはお前たちでやってみせろ」

 王都の権力者はゲルドーダス侯爵家だけじゃない。そしてそいつらは小規模ではあるものの、それぞれで自前の戦力を持っている。どいつもこいつも自前の戦力を失うのは惜しいし、全員で力を合わせてどうにかしようとするほどお人よしの集まりでもない。主導権を握って成功できれば良いかもしれないけど、上手くいかなければ失脚は免れない。


 ここで侯爵が語った言葉が真実とするなら、キキョウ会がゲルドーダス侯爵家に力を貸せば成功する可能性は相当高くなるはずだ。

 侯爵家単独で外国勢力を撃破できるなら、キキョウ会が手を貸せば確実に、それも傷は少なく大勝利できるだろう。そしてそれは侯爵家が一気に王都での名声をものにすることにも繋がる。奴らが表舞台に出て花を咲かせる事にもなるかもしれない。本当にそうするのかも分からないけど、私がそれを気に入らないって思うのは当然だよね。

 そんなわけで、王都で力を貸すなら違う奴にするってわけだ。


 正直な話、私はその伯爵家とやらがなんなのか全然わかってないけど、話の流れ的にそこに乗るしかない状況ね。ジョセフィンの提案なら間違いないと思うから別にいいんだけど。

「ジョセフィン、その辺は任せるから侯爵家と話を詰めておいて。さてと、話はこれでひと段落ね。じゃあ、次は代償の話といこうか」

 ゲルドーダス侯爵家は気に入らないけど、王都にとって必要不可欠な存在であることは間違いない。友達の地元を守らせるという意味でも潰してしまう訳にはいかない。少なくとも今はね。

 だからと言って、タダで済ますわけにもいかない。どの程度で手打ちにするか。まずは向こうの出方を見ようか。

「手を出した方から手打ちにしろと言うのだ、安くは済まさんよ。既に準備はしてある。これを見ろ」

 侯爵が秘書のおっさんに視線を向けると、私に紙切れを一枚差し出した。代償の内容でも書いてあるんだろう。

「これね。どれどれ」

 受け取って中身を確かめる。


 一つ、ゲルドーダス侯爵家は今後、キキョウ会への一切の関与をしない。

 一つ、ゲルドーダス侯爵家はエクセンブラ闘技場に関わる全てから手を引く。

 一つ、ゲルドーダス侯爵家はキキョウ会に対して賠償金100,000,000ジストを支払う。


 ふーむ、なるほど。

 1番目と2番目は当然として、3番目は舐めてるわね。1億なんて少なすぎる。それから金だけで済むなんて本気で思ってるんだろうか。ウチから手を引くって事自体に、かなりの高値を設定してるみたいだけど、到底納得できる内容じゃない。

 これじゃダメね。

「あのね、侯爵。私は交渉なんてする気はサラサラないの。こんなもんで済むわけないわよね? 安くは済まさん? 安すぎるわね。これが私にしたことへの代償の全てだって言うのなら、喧嘩を売ってると受け取るわよ」

「……どの程度なら納得する? お前たちが考えている以上にこちらの状況も厳しい。これで納得できないのなら要求を言ってみろ」

 まさかこの程度で済むと本気で思ってたの? そっちの懐事情なんて知ったこっちゃないわよ。

「とりあえず、王都にあるキキョウ会への敵対勢力の情報を寄越しなさい。全部とは言わないわ。あんたらが邪魔に思ってる勢力だけで構わないから、それだけでも寄越しなさい。闘技場の件でこれ以上の横槍は面倒だしね。この際、ついでにぶっ潰すわ。あんたの次男以外にも捕まえてる連中がいるから、それ以外がいいわね」

「……分かった。そっちのジョセフィンとやらに伯爵家の情報と一緒に渡しておく。それでいいな?」

 こっちも少しは譲歩したんだ。この程度の情報提供は当然よね。

「それだけじゃないわ。賠償金が少なすぎる。あんた、キキョウ会を舐めてんの?」

「今更それはない。だが、こちらも手持ちが厳しい。商売がまともにできる状況じゃないのは分かるだろう? これ以上は出せん」

「それなら金以外でも構わないわ。土地、いや、私たちが拠点として活用できそうな建物を一つ寄越しなさい。大きいのがいいわね」

「おい、どこか適当なのを渡してやれ。これでいいな?」

 侯爵は秘書のおっさんに短く命じた。随分と簡単にくれるもんよね。

「まぁいいわ。ウチのジョセフィンとその部下たちは残していくから、情報のやり取りはそっちでやっておいて。終わったら、あんたがくれた拠点まで案内してあげて。私たちは先にそっちに移動するから」

「どこまでも我儘な女だ。いいだろう。準備が出来次第、案内させる。ジョセフィンとやらは、しばらく待っていろ」

 侯爵たちは全員が一旦退室するようで、連れ立って応接室を出て行った。


 まぁ、こんなもんかな。

 情報班にはみんなでここに残ってもらって、ジョセフィンと一緒に侯爵家から情報提供を受けてもらう。代表が一人で聞くよりも全員で聞いといた方がいいだろうしね。

 私たちは先に拠点に移動して、そこを整えるとしよう。壊滅した王都の中じゃ、無事なのは貴族街くらいだからね。さすがにそこの界隈から提供はされないだろうし、私たちとしてもやりにくい。外縁部なら倒壊を免れた倉庫もたくさんあるし、多分提供されるのはその辺りになるだろう。

 迎えが来るまではお茶とお菓子をむさぼり尽くそうかな。

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