第88話、霧の人里

 遭難中にやっと発見した人里は、明かりはあるけど遠くからだと霧に包まれてるように見える。

 霧か、立ち上る煙のようなものも見える気がする。なんだろうね。

 宵闇の中、ぼんやりと光る様は何とも幻想的だ。若干、薄気味悪くもある。


 人里を見下ろす、まだ離れたところにある丘の上。

 集団移動の乗り物をここで停止して人里の様子を観察する。いきなりこんな夜半に集団で乗り込んだら、混乱を引き起こすかもしれないしね。ちょっと様子を見る程度の常識は弁えてるわよ。

「小さな村かな。それにしても霧? ここら辺にはまだ霧なんて立ってないけどね」

「周囲を丘に囲まれた窪地みたいだな。霧の発生源はよく分からんが。誰かあの村に心当たりがある奴はいるか?」

 オフィリアが乗り物を降りた一同に聞いてみるものの、芳しい反応はない。余程の僻地なのか、ド田舎なのか。


 一旦、少数で現在地や王都への道筋を尋ねに行って、場合によっちゃ村には入らない方がいいかもしれない。村人をビビらせに来たわけじゃないしね。外敵を警戒してか、入り口らしきところには魔道具の灯りを持った見張りがいるし、まずはその人のところに行ってみよう。ド田舎の村にあるとも思えないけど、もし宿でもあれば泊まらせてもらうってのもありね。

「いきなり押し掛けるのもなんだし、まずは少数で村に行こうか。補給の必要はないけど、宿があれば泊まりたいし、それが無理でも王都への道のりくらいは把握しておきたいわね」

「だったらあたしが探りに行こう。ミーア、一緒に来てくれ。オフィリアたちは念のため周囲の探索を頼む」

「ああ、こっちは若い連中とざっと見回ってくる。危険はないと思うが、アルベルトとミーアも頼んだぜ」

 私が霧に包まれた村を眺めてるうちに、どんどん役割が決まっていく。自分で村に行こうかとも思ってたけど、特に文句もないし任せる。一応、未知の土地だ。油断せず、外套の刻印には意識して魔力を通わせておくように注意はしたけどね。キキョウ会の外套は魔力伝達率が桁違いに高いから身に纏うだけでも構わないんだけど、意識すればそれだけ効力が高まるんで念のためにね。


 村へはアルベルトとミーアが、周辺の探索にはオフィリアとジョセフィンをリーダーにして、ほかの若衆たちを引き連れていく。この丘の上を仮の拠点にして、ここには私とヴァレリア、グラデーナ、連行中のゲストのみが残ることになった。


 日が出てさえいれば、人里を囲む丘の上を巡るだけでも周辺の調査は簡単にできるだろう。だけど今は夜間。いくらオフィリアたちといえど、遠くまで見渡すことはできないし、村人に遠慮してる今は大っぴらに光魔法を使うわけにもいかない。

 探索は慎重に。丘の下なら光魔法を使っても問題ないし、ある程度の距離まで探索の足を伸ばすようだ。


 村へ訪問するアルベルトとミーアはアルベルトの自前のバイク一台に二人乗りで向かった。

 果報は寝て待て。残る私たちは特にすることもないけど、みんなが働いてくれてる最中にまさか本当に寝るわけにもいかない。デルタ号の陰で火を焚くと、紅茶を飲みながら帰りを待つことにした。



 温かなヴァレリアを抱きしめながら、うつらうつらとしてると、一台のエンジン音が近付いてくるのに気が付いた。一台ってことはアルベルトたちか。

 村に行って帰るだけにしては、ずいぶん時間がかかったような気がするけどね。何かあったのかな。

 リミッターを解除してるらしく、かなりの速度で飛ばしてきたバイクだけど、停車すると同時に転げるように私たちの傍にやってきた。たき火の明かりに照らされたアルベルトとミーアの顔は心なしか青ざめてるようにも見える。


「ユカリ、あそこはまずい。すぐに離れよう」

 隣でコクコクと頷くミーアもだけど、要領を得ないわね。一体なんだってのよ。

「おまえら、しっかりしろ。いつもの調子はどうしたんだよ? もっと具体的に言ってくれねぇと、ユカリにもあたしにも分からんぞ」

 どっちかといえば、いつもは突っ込まれる側のグラデーナの珍しい突っ込み。ワイルドだけどしっかり者のアルベルトや、大人しいけど実力に相応しい度胸を身につけたはずのミーアが、こうまで取り乱すとは一体何が原因なのか。

「す、すまん。ふぅー、ちょっと待て、何か飲み物をくれないか」

 冷めた紅茶を差し出すと、アルベルトは勢いよく飲み干す。一息つけたのか、乾いた口を潤せたからか、少しは落ち着いたようだ。

「それで? 何があったのよ」

「……ああ。あたしとミーアはあそこで信じられないものを見た。今でも信じられない。夢でも見てたみたいだ。あたし一人なら夢で済ませても良かったが、ミーアも同じものを見たからな。夢じゃなさそうだ」

「うん、夢じゃないわよ。落ち着いて何があったか、順を追って話してくれたらいいから」

 まだ混乱は残ってるようだけど、話しながら落ち着いていってるようだし、このまま話をさせよう。


「分かった。まずは、そうだな。ぼんやりとした灯りを目指して、霧の中をバイクを進んだんだ。村の入り口にはここから見ても分かるとおり、見張りが立っていた。そいつはぼーっと突っ立ってるだけで、あたしらが近づいても無反応だったんだ」

 眠かったのか、酒でも飲んでたのか。いずれにしろ、見張りとしての役目は果たせてないようね。

「不審に思ったが、取り敢えずバイクを停めてから徒歩で近づいたんだ。だが、そいつに近寄って話しかけても全然反応がなくてな。いくら話しかけてもぼーっとしていて埒があかないから、無視してそのまま村に入ったんだ」

 うーん、妙な話ね。何かの病気かな。でも立ってられるなら、それほど重い病気ってわけでもなさそうだけどね。

 グラデーナやヴァレリアも不審そうな顔をするけど、取り敢えず先を話すようにうながす。


「村の中には灯りが全然なくてな。さすがに店や宿があったとしても分からなかったんだ。外を出歩いてるのもいなかったし、見張りはあの状態だったしな。ここは出直しかと思ったが、念のために村の中を探っておくことにしたんだ。狭い村だし時間は大して掛からんと思ってな。あたしとミーアは手分けして、村を周ることにした。だが、ある程度歩き回った村はずれの馬小屋で、妙な物音を聞いたんだ」

 だんだんと饒舌になるアルベルト。なんだか飲み屋にいる時みたいな饒舌ぶりだけど、真剣な顔はいつもとは違って緊迫感がある。

「物音ね。それで?」

「奇妙な音だった。何かを食べるような汚らしい音だったから、動物でもいるのかと思ったが時間が時間だ。エサが与えられるような時間じゃない。だがな、どんなに下品な奴でも、そんな音を立てながら食べる奴はいないような酷い、気持ちの悪い音だったんだ」

 なんだか妙な流れになってきたわね。

「さすがに不気味に思ったがな。確かめないわけにもいかないだろ? こっそりと覗いてみることにしたんだが、そいつを見てあたしは自分の目を疑った」

「そいつ? 誰かいたのか?」

「ああ。真っ暗闇の中だったが、そいつが普通の人間じゃないことくらいは分かった。信じられないような光景だったんだが、ちょうどそこにミーアが合流してな。確かめてもらった」

 ミーアは口の出すのも恐ろしいと、しきりにコクコク頷くだけで自分の体を抱きしめる。

「ちょっと、話がよく見えないわ。結局、何がいて何をやってたのよ?」

 グラデーナもまどろっこしいといった面持ちで不満そうだ。

 アルベルトとミーアは覚悟を決めるようにお互いに頷き合うと、意を決して発言した。


「……人を食ってやがった。少なくとも人型のなにかをだ」


 え、食人の習慣がある人たちってこと? 

 うーん、人食いときたか。この世界においても時代錯誤もいいところだ。ここは人食い族の村ってことになるのかな。それは分かり合えそうにない連中ね。それにしても、妙な時間に食事をするもんね。それとも、たった一人の変わり者がいるってだけかな。

「食ってやがったのは、目に全く生気がない奴だった。そいつはさ、あたしには死人にしか見えなかったよ」

 へぇ、死人か。え、死人が死人を? あれ?

「……ちょっと待って」

「待て待て待て! 死人だと? 死人が人を食ってたのか!? どういうことだ、見間違いじゃねえのか?」

「あたしが一人で見てきたんなら、その言葉を黙って受け入れてもいいんだがな。残念なことにミーアもあたしと同じ意見だ」

「死人だって!? そんなのいるはずねぇって言いたいところだが、お前らがそうまで言うんならな……。ユカリ、どう思う?」

「どうもなにも……」

 それって、ゾンビ? いやいやいやいや、ま、まさかね? この世界にはいわゆるアンデットはいないはずだしっ! いるわけないからっ! ヴァレリアもそういったものは苦手にしてるのか、固い表情で私にしがみつく。

 一応、伝説の大昔には教会の連中がアンデット退治で大活躍したとかの記録はあるけど、現代にはアンデットの目撃例は全くない。私は教会の権威のためのプロパガンダ程度にしか思ってなかったけど、本当にアンデットが存在するってこと!?

 もしそうなら、私たちじゃ手に負えないかもしれない。下手に手を出して物理攻撃で倒せないようなら、最悪の事態になりかねない。伝説で教会の連中ばかりが活躍したってことは、通常の物理攻撃は通用しないのかもしれない。既に死んでる奴らなわけで、これ以上は殺せないってんならお手上げだ。燃やせばいけるかな? まぁ、そもそも近寄りたくもないけど。


「あたしの意見としては、迂闊なことはやめた方がいいと思う。エルフの伝承にもアンデットの話はあるが、ろくな話じゃなかった」

「そうすると、あたしらは手出しせずに、どっかの街の教会に通報でもするのが一番ってことか。だが教会ってのはな」

 教会ってのは、裏じゃどうだか知らないけど、少なくとも表向きには大層ご立派な組織だ。神の教えに従って弱者に救いを与える。清貧で高潔な人々がいるって話になってるようね。

 キキョウ会に対しても、小うるさいことを言ってくるような連中だ。私たちは完全に無視してるけどね。

「そう言えば、生存者はいるの? まさかあの村の全部がアンデットの巣窟ってことになってるとか?」

「あたしとミーアもほかに誰かいないか探ったさ。まさかと思って魔力感知で村中を探りまくったが、生物の魔力反応はなかったな」

 つまり動物まで含めて生あるものは何もいないってことか。もう村人たちは全部アンデットになってるか、食い尽くされたってことになるわね。


「あれ、じゃあ、あの村の入り口でボーっとしてたって見張りは? そいつもアンデットなの?」

 話によれば、話しかけても無反応でボーっと突っ立てたってことらしいけど。

「そうとしか思えねぇ。最初に話しかけた時には気付かなかったが、改めて魔力感知で村中を探ったときには、奴も魔力反応がなかった」

 魔力反応が全くないってことは、生きてないってこと。つまり、死んでるのに立ったまま。なんで動かないのかは分からないけど、時間の問題かもしれないわね。


 少しの沈黙と私へ視線が集まる。それを受けて私もどうするか決める。

「みんな、私は撤退しようと思う。殴って倒せる相手ならともかく、どうやれば倒せるか分からない上に死人を相手にするなんてやってられないわ」

「あたしも同意見だ。オフィリアたちが戻り次第、とにかくここを離れるぞ」

 グラデーナも賛同して、アルベルトとミーアも頷く。ヴァレリアは顔を隠してよく分からないけど、まさか反対はしないだろう。連行中の奴らはデルタ号の中で待機中だから、何も知らないままだ。まぁこいつらのことはどうでもいわね。

 周辺探索に出たオフィリアたちがいつ戻るのか分からないけど、夜が明けるまでには戻るだろう。村の方を警戒しつつ、待つしかない。



 ちょっとだけ恐れてたゾンビの襲撃もなく、しばらく時間が経つとバイクや車の音が近づいてきた。戻ったようね。

 オフィリアを先頭にして若衆たちが続き、ジョセフィンが最後尾を務めたみたい。最後のジョセフィンが私の傍までやってくると、オフィリアから報告が始まる。

「よお、待たせたな。ユカリ、朗報だぜ。北にずっと行ったところにデカい河があった。河沿いを下流に向かえば王都まで問題なく行けるだろ。そんで、ここらの周辺探索だが、そっちは特に収穫はなかったな。な、ジョセフィン」

「探索範囲は広めに取ったんですけど、なーんにもなかったですね。周辺にはちょっとした小山や林があるくらいで、特にこれといったものは」

 ふぅ、これで迷子はおしまいね。どれだけの距離があるのかは分からないけど、ずっと河に沿って行けば到着するんだから気楽なもんよ。

「村の方はどうだったんだよ?」

 待機組みんなで顔を見合わせてから、アルベルトが私たちに聞かせたのと同じように聞かせてやった。


 一通りの状況を聞いたオフィリアの第一声はらしいものだった。

「あたいの炎で焼き尽くしてやろうか?」

「近寄るのは止めておきましょう。アンデット化の原因が不明ですし、下手をすればわたし達もそうなる恐れがありますよ」

 ……そういやそうね。元からアンデットしかいない村ってわけじゃないだろう。ってことは何かが原因でそうなったはず。その原因がぱっとは分からないし、それを突き止めようって気もないけどさ。

 アンデット化の話を聞いて、村に行ったアルベルトとミーアが蒼白になってる。まぁ一晩一緒にいた感じだと大丈夫だろうけど……。大丈夫か?


 キキョウ会一同が一連の話を聞いて、もうここから早く離れたいって気持ちになった頃、良く晴れた空に朝日の光が差し込んだ。

 今日もいい天気ね。なんとなくしばらくの間、無言で朝日を眺める一同。

 徐々に日が昇って、丘に囲まれた集落が明るく照らしだされ始める。すると、村を覆いつくしてた霧が少しずつ晴れていくのが分かった。

 寂れた村だ。まぁ、こんな僻地にあるんじゃ当然か。特徴もないごく普通の田舎の村って感じね。特徴がないかと思いきや、霧が晴れ始めて初めて気が付いたけど、どうにもおかしいところが一つだけあった。あれはなんだ。

「お姉さま、あれはなんでしょう?」

「どう見ても怪しいよな……」

「迂闊に手を出すべきじゃないが、あれは怪しすぎるな」

 村を覆う霧、その発生源が明らかになったんだ。それは湖沼やなんかの水源って感じでもない。穴だ。村のすぐそば、そこに大穴があいてるのが見えた。そこから異常な勢いで霧というか煙というかが、噴き出してるんだ。あれは一体。

「なんだか地獄の窯でもあいたかのような光景ですね」

 言い得て妙ね。地獄から噴き出すアンデット化のガスか。真実はどうだか知らないけど、そう考えるとしっくりくる。

 私の魔法を使えば穴を塞ぐことくらいならできるけどね。だけど塞いだことによって、どこにどんな影響が出るかも分からない。やっぱり手出しは無用ね。触らぬ神に祟りなしだ。


「さてと、北の河に向かって出発しようか」

「おう! さーて、河に着くまでに何か獲物がとれるといいな」

「お腹空きましたね」

 何事もなかったかのように振舞う私に乗ってくる一同。一睡もしてないのに、なぜか眠くはない。一刻も早くここから離れたい気持ちの表れか。

 とにかく、誰も何の異存もないようだからね。速やかにそれぞれの乗り物に乗って、整然と北を目指す。


 あーあ。偶然たどり着いたのが、名湯・秘湯の類で、温泉好きが良く訪れる名所であるらしいって展開にでもなれば面白かったのに。

 よりによって、アンデットってのはどうなのよ。

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