#366 レトルト辛麺と疑いの中で


「谷山さん、すぐに迎えに来るって言ってましたよ!」


 部屋の隅から戻ってきた豊雨は安心した様子で、そう言った。同じ日本人、しかも自衛官が横についていてくれるからか、さっきまであった彼女の緊張した面持ちはすっかり消え去っていた。


「取り敢えずは大丈夫そうですね」

「はい! もし一人で帰らさせられたら、どうしようかと……」

「そのときは俺が居ますから」


 なんだかんだ言って、俺もケートニアーだ。荒事に長けてるわけじゃないが、経験のない人間というわけでもない。

 そんな俺の言葉を聞いた豊雨はくすっと小笑いした。


「カッコいいですね、男子高校生にそんなこと言われちゃうとは」

「はあ、馬鹿にしてるんですか?」

「いえいえ、頼もしい限りですよ。本当に」


 一通り笑ってから、彼女は真面目な顔になる。


「そういえば、今日の昼に電話した件ですけど、一体何があったんですか?」

「今日の昼……ああ、警備人事を知っている人間について訊いたやつですよね」


 こくりと頷き、豊雨は先を続ける。


「八ヶ崎さんが、いきなりそんなことを訊いてくるとは思えません。語学研修所で何かあったんですか?」


 首を傾げる豊雨に俺は今日の語学研修所での顛末を話した。聞いていくうちに彼女は怪訝そうな顔になっていく。


「ユエスレオネ連邦がうちの機密情報を知っているということですよね」

「そうだと思います。でも、何故俺みたいな下っ端にそれを見せつけたのかの意図が不明なんです。しかも、他国の機密情報も持っているみたいで」

「うーん……」


 何かを考えている様子の豊雨の前へ通話中に作っていた麺を置いた。湯気が立つそれを見て、彼女はバツが悪い表情を浮かべる。


「別にいいですよ、谷山さん、すぐ来るって言ってますし」

「食べて下さいよ。ここのレトルト買うの初めてなんで一人で食うのもなんか怖いんで」


 肩をすくめると、豊雨はしょうがなさそうな表情でフォークに手を付けた。


「それじゃありがたく。いただきます!」


 俺もまた麺を啜る。ソフト麺のような独特な食感の麺にあんかけのあんのようなスープが絡み、味はピリッとした辛味と甘みが混ざったような感覚だ。不味くはないが、美味くもない。だが、思わず卓上調味料を倒したり、サブチャンネルに店主が土下座している様子を投稿しないで済んだのは評価できるところだろう。

 グルメレビューサイトで評価2.9が出てるような味と言ったら良いだろうか、豊雨も何だか珍妙な顔つきで麺を食べていたのだった。


 そんなときに、玄関のチャイムが鳴った。


* * *


「ゆーちゃん、大丈夫だったかい?」


 玄関先に現れたのは、丸眼鏡の男――谷山だ。思ったより早い到着だ。

 走って駆けつけてくれたのか、彼の息は少しだけ乱れていた。部屋の奥でいつの間にか寝ていた豊雨。その無事を確認すると、安堵した表情でため息をついた。


「全く、異世界にもストーカーが居るとは度し難いね」

「ストーカーかどうかは分かりませんが。とにかく追われていたのは確かみたいです」


 静かに寝息を立てる豊雨を二人で、見下ろしつつ見解を話し合う。豊雨にも伝えた今日のドキュメントの話を、本人の事はそれなりにぼかして伝える。すると谷山は顎をさすりながら、小さく唸った。


「機密が外に出てて、今日ゆーちゃんが追われた。確かに流れ的には相関関係があるようにも思えるね」

「谷山さんはどう思いますか?」

「今は推測しかできないよ。そもそも語学研修所でまともに研修をやってないってことだし、何のために上級者を呼んだのかさっぱりだね」

「……もしかしたら、リパライン語を既に理解している人間には帰って欲しいということなのかもしれないですね」


 ふむ、と谷山は納得したような声を上げる。


「相手国にリパライン語が上手い人間が居ると、外交の取り引きが同じ地平で行われてしまう。だから、リパライン語ができない人間を集めて、それ以外は国に帰らせる。こうしてユエスレオネ連邦は外交の主導権を握るわけだ」

「そうですね、これもまた憶測ですけど」


 そんな話をしていると、豊雨が目をこすりながら起きてきた。


「あ……谷山さん……」

「おはよう、ゆーちゃん。寝顔可愛かったよ」

「っ……!」


 豊雨はハッとして目を見開く。恥ずかしかったのか、顔を真赤にして腕を組んだ。


「谷山さんらしいですね。それじゃあ、後は任せましたよ」

「ああ、責任をもって送って行くよ」


 玄関の先へ去っていく谷山と豊雨を見送りながら、俺はなんだか肩の荷が降りたような気がしていた。


* * * *


 人通りの少ない夜道を二人は歩いていた。一人は日本の外交官見習いと、もう一人は自衛隊の幹部だ。二人はそれまで沈黙を保っていたが、しばらくして外交官見習いの方が口を開いた。


「谷山さん、やけに早かったですね」

「……ん? 八ヶ崎君の家に付いたのが早かったってことかな?」


 見習いは頷く。


「あそこから大使館は1キロメートルちょいあります。単純計算で17分は掛かるはずですけど、谷山さんは約半分の7分ほどで到着しています」

「そりゃ、まあ、偶然近いところを歩いてたからね」

「……」


 幹部の方ははっきりと言い切らなかった。見習いはそれに疑問に思いつつも、それ以上追求することはできなかった。

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