#312 作戦会議
シャリヤは運ばれてきたスパゲッティを見つめて、どう食べたものかという感じで困惑していた。ユエスレオネに麺料理が無かったわけではない。多分、こっちでの食事のマナーに気を配っているのだろうと思った。
そんな様子を見て、谷山は首を傾げていた。
「ペペロンチーノ、苦手なのかな」
谷山の声に反応して、シャリヤもまた首を傾げる。
"
"
「だそうですよ」
「いや、分からないからね? 翻訳してくれると嬉しいんだけど」
「ええっと、『食べ方が分からない』って言ってます」
谷山は得心したように「なるほど」と言って、手をポンと打った。
「異世界人だもんね。こっちの食べ物にも慣れてないだろうし」
そう言いつつ、フォークでパスタを巻き取って口に運んだ。シャリヤも見様見真似でパスタを口に運ぶと、目を輝かせた。
"
「気に入ってもらえたようで何よりだ。ところで八ヶ崎君、訳文について一つ質問があるんだけど良いかな」
「質問ですか?」
「二行目のこの部分、英語だと『(不明)が運ぶことを命じられ』って訳されているけど、君は『家族が殺され』と訳している。これはどういうことなんだい?」
自分の手元の訳文を見てみる。谷山が指し示した部分は "...
"
その旨を説明すると、谷山は感心した様子で息をついた。
「なるほど、興味深いね。研究者たちはこの部分を直訳してしまったわけだ」
「まあ、そうなりますね。文字資料だけでは慣用句は中々分からないと思います」
「それにしても、なんで『どんぐりの餡を運ぶこと』が家族の死に繋がるんだろうね」
「確かにそうですね……」
バネアートは普通に食されるスイーツだ。それが慣用句として、家族の死の婉曲表現として使われているのには何らかの理由があるはずだった。
しかし、幸せそうな顔でペペロンチーノの楽しんでいるシャリヤにそれを訊くのは憚られた。それに今すぐ慣用句の由来を訊く必要性も感じなかった。俺がこれから向き合わなければならない文書は修辞と詩藻に富んだ美文ではなく、シェルケンの形式的な文章だ。
話題を変えようと、俺は会話のターンを取った。
「シェルケンが攻めてきたことはどれくらいの国が知っているんですか」
「まあ、周知のことだよ。下手に隠すと変なことになるからね。ただ、彼らが異世界から来て、シェルケンという名前で、目的が言語の強制というのは日本の中でも僕とあと数人しか知らない事実さ。世間では『正体不明の武装組織によるテロ行為』ということになっている」
「いきなりあいつらは異世界から来ましたと言っても、混乱を引き起こすだけでしょうしね」
「そういうこと」
そう言って、谷山は水の入ったピッチャーに手を伸ばした。それをシャリヤの前のコップに差し向ける。いつの間にか水が消えていたらしい。
シャリヤの顔は少し赤くなっていた。谷山が居なければ、ヒーヒー言い出しそうな感じだ。どうやらペペロンチーノの辛味が合わなかったらしい。それほど辛いとは感じなかったが、もしかしてリパラオネ人は辛いものが苦手なんだろうか?
確かにユエスレオネに居たときも辛い料理はあまりなかったように感じたが、どうなのだろう。
"
「お、今のは『ありがとう』って言葉だね?」
シャリヤの言葉を注意深く聴きつつ、谷山は俺に顔を向けて訊いてきた。首肯すると、彼はホクホクした顔になった。単純な人間だなと一瞬は思ったが、こういう人こそ異世界語を素早く習得するのかもしれない。
好きこそ物の上手なれ――万人に対する箴言だ。
「最初の "
「ラテン語にもあるやつだね。分かるよ」
一般人は聞いたこともなければ、覚えることもほぼ無いであろう文法用語をさらっと知っていると言われてしまった。なんだか恥ずかしい気もするが、それならそれで話が早い。
谷山はナプキンで唇を拭いてから、先を続けた。
「そういえば、これは個人的な興味なんだけど」
「はい?」
「君はどうやって、その異世界語を勉強したんだい?」
「ええっと……それがカクカクシカジカありまして……」
異世界語を話す連中が侵略しに来ている現状でさえ非現実的なのに、自分自身の遍歴は思えばもっと非現実的だった。
どう答えれば良いのか、言葉の先を迷っていると谷山はニヤリと悪い笑みを浮かべる。
「スリーピング・ディクショナリー?」
「違いますっ!」
大人の悪い冗談に反射的に答えてしまう。谷山はカラカラと笑い、シャリヤは首を傾げてこちらを見つめていた。
"
痺れを切らしたようにシャリヤは俺の袖を引いて、訊いてきた。とても純粋な目だ。さっきの谷山の言葉を一体どう訳せば良いのか、俺は全く分からなくなってしまったのであった。これが通訳の難しさというものか。
その後は俺がシャリヤと谷山との間の通訳をして、三人で他愛もない話を続けた。盛り上がった歓談が、これまで無かったものを埋め合わせてくれた。
帰り際、谷山は理由は分からないがいつも以上にそそくさとしていた。この後も仕事があるのだという。次、俺が訳すものの準備をしなければならないのだという。そのために一日二日は休めるだろうと言っていた。
「十分に休暇を取ってくれ」と言う彼の顔を見ながら、俺の脳裏には一つの作戦が浮かんでいた。
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