第七部 Akrunfter
第一章
#307 翻訳者・八ヶ崎翠
ここはどこなのだろう。
どうやら、いつの間にか寝てしまっていたようだ。その間に場所を移されたらしい。先程までの野戦病院とは打って変わって、ここは静かな空間だった。白い天井、花の刺さっていない花瓶、白いシーツ、と首を回していくと視線の先に銀髪の少女が現れた。シャリヤだ。
疲れた様子でぐったりと寝入っている。静かな寝息とともに肩が上下している。
一体ここはどこなのだろう、と更に首を回すと部屋の隅に背中を預けて、腕を組んでいる男が目に入った。男は窓の外を眺めていたようだが、俺がじっと目を向けているとそれに気づいたのかこちらに顔を向けた。
迷彩柄の野戦服じみた服装に似合わない温和そうな顔に丸眼鏡をしていた。
「起きたかい」
「えっと……」
状況が上手く飲み込めない。男はそんな俺の様子をじっと見ながら、次の言葉を待っていた。
「一体何が起こっているんですか?」
「実は僕たちも良く分かっていないんだ。簡単に言えば、東京にいきなり現れた武装勢力が市民を襲撃して、自衛隊が応戦して今睨み合っている状態だね」
男が言っている言葉の端々から、俺がどこに居るのかは容易に察することが出来た。
「東京? ここは日本なんですか?」
「ん、そうだけど」
「マジか……」
小声で呟く。夕張は俺とシャリヤを地球に転移させたらしい。
戦闘に巻き込まれて混乱しているのだろう、と見做されたのか、男は柔和な視線を向けるだけだった。しばらく彼と話していると、ベッドの横に座っていたシャリヤが顔を上げた。サファイアブルーの綺麗な瞳は真っ直ぐに俺の方に向いていた。
彼女は俺の顔を見るなり、いきなり飛びついてきた。
"
"
"
抱き締め合って、お互いの無事を確認する。シャリヤの純白の頬が触れ合う。暖かさに安心を覚えた。
ふと、男に見られているのを思い出して、急に恥ずかしくなってきた。しかし、当の男は俺達二人を何故か感心したような顔で見ていたのだった。
彼は胸ポケットを弄りながら、ゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。そして、俺の目の前で名刺を差し出す。
「自己紹介が遅れたね。僕の名前は
「俺の名前は――」
「八ヶ崎君だろう?」
声が出なくなる。何故この男は自分の名前を知っているのだろう?
疑問はすぐに解消された。
「そこの彼女が良く分からない言葉で何かを訊きまくっていたからね。自衛官達に手当り次第という様子だったから、手に負えなくなった現場の上官が僕に彼女を任せたってわけ、それで君を見つけた」
谷山の話を聞いて、シャリヤもきっと心細かったことだろうと思った。これまで、少なからず言葉が通じているか、そうでなくても文化は通じている場所で暮らしてきた。
しかし、ここは日本だ。彼女にとっての異世界。俺を探し求めて、狼狽するのも当然だ。しかし、それはこの男が俺の起床を待っていた理由にはならない。
「そこまでして、俺に興味があるってことは何か理由があるんですよね」
「ははっ、話が早いね」
谷山はこれまた和やかな笑みを見せ、先を続けた。
「話は単純さ。彼らの言語の翻訳に協力して欲しい」
「彼ら……?」
「ああ、東京を襲撃した武装勢力のことだよ」
彼は一枚の写真を懐から出してみせた。そこにはユエスレオネで見たような容姿の人々が多く居た。その背後には前哨地のような建物が建っている。
「英語、中国語、韓国語、ロシア語、フランス語、アラビア語と大体の言語で呼びかけたんだが、応じる気配がない。現状交渉の手立てが無いんだよ」
「なんで俺がそいつらの言語を分かると思うんですか」
「ああ、それはね」
そういって、谷山はもう一枚写真を取り出してみせた。白と朱色の配色の看板のような板にリパーシェで "
「彼らの基地にあったものを偵察部隊が引っ剥がしてきたものだ。入口にあったらしいから、僕は『止まれ』って書いてあるもんだと思ってね。これで少し彼女をテストさせてもらったんだよ」
彼の洞察力の高さに驚きつつ、俺は頷いた。階級が高そうなだけあって、有能だということらしい。
「彼女を廊下に立たせて、こちらに来るようにジェスチャーで指示した。それから、この看板を見せる。そしたら、予想通り彼女はその場で止まったんだ。それで――」
「分かりました」
楽しそうに話す谷山の話を遮って、告げる。つまるところ、彼なりの検証を通して彼らとシャリヤ・俺の繋がりを突き止めたというわけだ。
「お受けしますが、条件があります」
「僕たちに出来ることなら考えてみよう」
谷山はそう言いつつも表情に多少の険しさを含ませた。
俺はそれを無視して続きを言う。
「俺とシャリヤの衣食住を保証してください」
「そんなことで良いのかい?」
「ええ、実は帰るところが無いんですよ」
シャリヤは当然として、俺は生まれからして故郷という場所も親も居ない。頼れる人間は一人も居ない。だから、使えるものは全て使って、自分の生活を護らないといけない。
彼らにとって俺に利用価値があるなら、俺には交渉の余地がある。衣食住くらい保証してくれても良いはずだ。
谷山は逡巡しつつ、「うん」と首肯した。
「それじゃあ、ホテルを用意させるよ。食事はルームサービスで取れるところ、洋服は言ってくれれば調達させるようにする。全部、防衛省のツケだ。それで良いかな?」
「ありがとうございます」
頭を下げる。暫くの間、生活に困ることは無いだろう。
「ところで、さっきの看板の語なんだけど読めるのかい?」
「ええ、"
「ぷす……?」
「"
「ううむ……やっぱり、僕に語学は向いていないらしい」
残念そうに顔をしかめながら、谷山は腰に手を当てた。
「でも、君が見つけられて良かったよ。彼らのことがより分かるように期待しているよ」
そういって、彼は部屋を後にした。
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