#86 ヒンゲンファールさんと時計


(遅い……)


 窓が全面ガラス張りの二階の窓辺の椅子に座りながら、図書館の周辺を見渡す。時刻はすでに1時5分、このままだとあの高潔なヒンゲンファール女史が人との待ち合わせに十分以上遅れてくるという事実を作ってしまうところだった。


 家を出た後、ここに付いたときにはすでに12時59分だった。完全に遅刻だと思って、図書館のドアを開けるもののカウンターには誰も居なかった。昨日勉強していた別室で待機しているのかと思ったら、部屋には鍵がかかって入れない。あと考えられることはヒンゲンファールが単純に遅刻しているということだった。


 窓ガラスを指先で叩いてみる。

 暇すぎて死にそうだ。図書館には誰一人、人が居ないというわけではないが、丁度食堂が空いている時間と重なっているため、いつもより閑散としていた。知り合いも居なければ、何かを読むものを持ってきているわけでもない。


(イェスカの手紙をここで読み始めるわけにもいかないしな)


 窓から見えるのも灰色の街並みだけだ。無彩色、色があるにしても乾燥したオリーブ色やペールトーンな赤色がぽつぽつと屋根や道端に止まる車に見えるくらいで、風景を見ても面白みに欠けた。

 そんなこんなで待ち続けていると、人影が見えた。それがヒンゲンファールさんだと分かったのは図書館に近づいてきたからであった。時刻は1時13分と思っていたところ針が振れて、14分を指し示した。


"Salarua, cenesti.こんにちは、翠"

"Salaruaこんにちは......"


 ヒンゲンファールはいつも通りの落ち着いた雰囲気でこちらを見据えて、挨拶した。端整な顔立ちに特段に焦っている様子はない。彼女は時計を一瞥して"Ers vynut liestu.良い時間ね"と自分に確認するように呟いた。


 溜息をついた。

 ヒンゲンファールさんでさえ、ここまで遅刻するということは他の人ならどうだろう。この異世界の人々、少なくともこの地域の人々は時間にルーズなのだ。待ちくたびれて、待っていた10数分が二倍にも感じられた。決めた時間から24も待たされて……。


(24分?)


 何か妙な引っ掛かりを感じた。24分といえば、シャリヤに2時50分に帰るといったときに帰ってきた「3時14分」までの間の時間だ。ヒンゲンファールも12時50分に約束をして、1時14分に来た。良く分からない共通点だった。


"Hingvalirstiヒンヴァリーさん, selene miちょっ ekce tisodと考える fal fqa'd時間が liestu.欲しい"

"Hm?...... firlex, ja分かった."


 ヒンゲンファールは先に部屋を開けようと鍵を探しに行ったのか何処かへ行ってしまった。教えてもらう前にこの24分の謎を解きたかった。


 シャリヤもヒンゲンファールも36分で一時間繰り上げているはずだ。だからこそ、12時50分や2時50分が1時14分や3時14分になる。この世界は一日は24時間で、時計は12時間制で時針は一日二周するまでは、地球の時間と同じだ。しかし、多分一時間が何分かとか、一分が何秒かとかが違うのではないだろうか。

 一時間が36分なら、一分に対する秒数が増えているはずだ。一日が86400秒として、一分の秒数にxを立てるとして86400=24(36x)でx=100なので、一分は100秒ということになるだろう。


(本当に100回も振れてるんだろうか。)


 実際に図書館の壁に掛けてある時計を見ながら、数える。分針が一つ振れるまで、秒針は一周のうちに125回振れていた。


(そっか、「秒」の定義も地球と違うのか。)


 秒の単位は流石に測り切れないが、予想した計算より多く振れているということはそもそも1異世界秒は1地球秒より短いということになる。

 ともかく、この異世界の時計では1地球秒より短い1異世界秒が存在し、125秒が一異世界分で、36分が一異世界時間、24異世界時間が一異世界日ということになっているらしい。ヒンゲンファールやシャリヤに「50分」といった時に見せた不思議そうな顔も納得できる。36分で分針は一周するのだから、「50分」を表す時計の状態はこの異世界の時計ではありえない。


 要するに、彼女らは「12時80分」と聞いたような違和感を受けたはずだ。彼女たちは翠の指示する分数が36分を超えていることを異様に思っただろうが、彼が念を押してきたので何故そう言ったのかを考えた。結果、1異世界時間と24異世界分後であると解釈した。これが多分、24分の謎の真相だ。

 彼女たちは遅れたんじゃない。正しい時間を求めようとしてそう解釈したんだ。


"Cenesti翠君, Deliu mi私は…… nat mili co待った方がいい?"


 既に鍵を開けて、部屋で待っていたヒンゲンファールは部屋からこちらを怪訝そうに見ていた。何を考えているのか、多分良く分かっていなかったのだろう。手を振って、すぐに行くことを指し示す。


"Nivいえ, mi tydiest.今行きます"


 ヒンゲンファールは頭を傾げながら、部屋に招き入れてくれた。

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