#60 ヨークオラ・フォックスは非実在の舞踊です


 図書館に向かっていた。まずこの街の人間では図書館のヒンゲンファールさんが一番信用できる。翠を不当疑惑の中から救い出してくれた人間が信用できない人間なわけがない。この手紙に何故「フィアンシャに行くな」と書いてあったのか、ますます謎は深まるばかりだ。


 商店街を通って図書館に向かうルートを通ろうと考えていると爆破されたバリケードが気にかかった。もしレトラを襲撃したフェンテショレーに生き残りが居るとしたら、フェンテショレーの本拠地に逃げ戻ってこのことを報告することだろう。そうしたら、第二波の襲撃が起こることは簡単に分かることだ。しかしながら、翠は軍師ではない。バリケードを修復するくらい手伝うが、戦略を立てることなんてできない。レトラから一人で出ていって安全な地に逃げることも難しいそうだ。


 ある程度進んでいくと図書館が見えてくる。人が出入りしているのを見るあたりちゃんと開いているのだろう。近づくと向かいに立つ特徴のある建物が目に入ってくる。宗敎設備のフィアンシャである。レトラのフィアンシャがここにしかないのであれば、置き手紙が示唆している入ってはいけないフィアンシャはここであることは明白だろう。


(ん……?)


 フィアンシャの中から音楽が聞こえてくる。雅楽のような音楽が気になって、目を向けると半開きになった扉から踊っている人々を見ることが出来た。わざわざ宗教施設の中でやっているうえ、非常にゆっくりした動きを見ると、大分厳格で伝統的な踊りなのかと思ってしまう。そういえば、伝統的な舞踊といえば以前ヨークオラ・フォックスのことをインド先輩に教えてもらった。

 ヨークオラ・フォックス(Yorkhola Fox)とはイングランド北部のノース・ヨークシャー州ヨーク近辺で発達した舞踊の一つであるという。香港がイギリス領になってから、ヨークに出稼ぎに渡った中国人が故郷の踊りを忘れないようにしようとイギリス華僑コミュニティの中で伝承されてきたらしい。掛け声がオラ、オラと聞こえたためにYork ola 「ヨークのオラ」と呼ばれていたが新聞記事として取り上げた記者がオラをスペイン語の挨拶であるHolaと間違えて、現在のスペルYorkholaが定着した。Yorkhola foxはスペイン人技師であるホセ・フォックス・コヴァルビアス・レオン(Jose Fox Covarrubias Léon)によって成立したこのヨークオラの現代風のダンスのことらしい。両手を前に伸ばし腰を落として上下に激しくシェイクしながら体を左右に揺らす不可思議な振付に対して当時のイギリス人の知識階級が「見ていて理性が飛びそうだ」と評したとされているが、伝統的な中国舞踊と現代的な要素の合流を先進的と見たドイツ人生物学者ヨハン=パウル・ガッセー(Johann Paul Gassé)が20世紀末に日本に持ち込み「よっこら狐踊り」や「よっこらふぉっくす」として一部の地域で現在でも伝承が続いているらしい。近年この伝統的舞踊はライトノベルに取り上げられ話題になり、昨今地域を挙げた継承に向けたプロジェクトを始めたようである。

 ここまでの話を聞いて、伝統舞踊と云うものはどのような流れを経てもその文化を継承し続けるのだなあと感動したものだが、すぐ後でインド先輩に今まで説明した舞踊の話は全部大嘘であると言われてずっこけてしまった。ただ、インド先輩も実際にインドに住んでいたころは何回かインドの伝統舞踊の一つであるバラタナーティヤムを鑑賞したことがあるらしく、文化を凝縮した伝統舞踊はとっても重要なんだよということを伝えたかったのだろう。


 確かに伝統舞踊を理解しようとするのも重要だが、今はもっと重要なことがある。



"Salaruaこんにちは、, hingvalirsti.ヒンヴァリーさん"

"Ar, salar cenesti.あら、こんにちは"


 図書館に入ると何もなかったかのようにヒンゲンファールが居て安心した。近づいていって挨拶をすると、色々と感情が湧き上がってくるが、今回はそんな話をするために来たのではない。

 「手紙」という単語は分からないが出来る限り伝えてみよう。司書であるヒンゲンファールなら手紙の内容が何か良く分かるだろう。


"Merえっと, fqa mol fal pernalこれが机にあって mal selene miそれで俺は書いて firlex kranteerlあることが知りたい."

"Hmmふむむ......"


 一気に言ってから細かいことが気になる。"pernalペーナル"は「机」じゃなくて「椅子」じゃなかったかとか、"kranteクランテ"は「書く」で、"-erlエール"は「~するもの」を意味するわけだが、直訳の「書くもの」ではなくて「本」を意味しなかったかとか。しかし、多分大意は通じているだろう。置き手紙が机にあろうが、椅子にあろうが内容は変わらないし、ヒンゲンファールにとってもどうでもいい話だろう。

 そんなことを考えているうちにヒンゲンファールの表情は酷く深刻にものを考えているような顔になっていた。手紙の内容が良く分からなかったのか、それとも……


"Cenesti翠君......"

"Jaはい......?"


 ヒンゲンファールは深刻な表情のまま手紙を掴んでこちらを見てくる。翠もその反応に、次の言葉を待つ。

 すると、ヒンゲンファールは翠から目をそらして手紙に指を滑らせて尋ねた。


"Selene co tydi君、フィアンシャest el fi'anxa?に行きたくない"

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