第八幕:師匠(八)

 2人は反射的に、その倒れてきた身体を受けとめる。

 鼈甲色の髪と、出会った時と同じままの意志の強さを感じさせる少し太めの眉と、瞑られた狐目。


「……セレナ!?」


 クシィの驚愕の呼びかけに、すぐさま抱きかかえられたセレナは目を開けた。

 そして彼女自身も驚愕したように、目の前のクシィとファイを見つめる。


「ど、どうして……2人が? あれ? 私、生きて――」


 クシィは彼女の言葉が終わる前に、「良かった!」と言いながら彼女を抱きしめる。

 隣ではファイが、「無事で何より」とセレナの手を握る。

 2人は涙を浮かべながら、失ったと思っていた命が救われていたことを喜んだ。

 だが、なぜだかはわからない。


「私、あの魔獣に喰われたんじゃ……」


 セレナの疑問に、ファイとクシィがそろって守和斗に視線で尋ねる。

 それにつられて、セレナも守和斗を見た。


 しかし守和斗はすぐには答えず、3人に優しく微笑だけ返す。


「き、き、きさま~~~! なんで生きている!?」


 そこに壁の上の方から、額に血を流したラクティスが身を乗りだしながら叫んだ。

 最もセレナが生きていることを信じられないのは、きっと彼だったのだろう。

 遠くからでもわかるぐらい、驚愕と混乱がうかがえた。


「女! きさまはあそこで喰われて――」


「ああ。あの死体、あなたの副官ですよ。喰われる寸前に交換したから」


 守和斗の答えをラクティスは理解できず、キョロキョロと死体と守和斗を見やる。


「なっ……なにを言ってるんだ! そんなわけあるか!」


「と言われても。実際、セレナさんはこうして生きているわけだし」


「ば、ばかな……だいたい、貴様……どうやって入ってきたんだ!?」


「まあ、実はずいぶん前から、ここにいたんだけどね」


「な、なんだとおおおおぉぉぉ!?」


 その守和斗の言葉に反応したのは、ラクティスだけではなかった。

 ファイとクシィが厳しい顔で守和斗を睨む。


「やはり、見ていたのか。あの時、尻尾の向きを変えたのは貴様だろう!」


「あっ! じゃあ、魔獣の爪がずれたのも……。ってか、なんで早く助けに来なかったのよ! 中途半端に手助けして……」


「それは2人に、体でわかってもらうためだよ」


 激しい剣幕の2人に対して、守和斗は相変わらず悠然としていた。


「俺も昔ね、父さんの言うことを守らずピンチになった時は、半殺しの目に遭うぐらいまでは放置されて、実体験で学んでいったんだよなぁ。だから、2人にもその方がいいかな……と」


 ファイがたじろぐ。


「貴様の父上は、悪魔か……」


「どちらかと言えば、爺さんの方が悪魔と呼ばれていたなぁ……。父さんは、悪魔と言うより鬼?」


「……いやな家族ね」


「でも、俺にとっては、父さんは無敵のヒーローだったよ。なにしろ俺、父さんと勝負して、まともに勝ったと思えたことなかったし」


「そ、そうか……」


「あ、あんたが……ね……」


 ファイもクシィも、ちょっと引いた。

 なにしろ2人にしてみれば、守和斗の強さは天上のもの。

 その守和斗に、「英雄ヒーロー」と言わしめる父親など想像もできない。


「ええい! なんだかわかんねーよ!」


 無視されていたラクティスが怒鳴った。

 そして、押さえつけから解放されながらも、忠実に「待て」を守っていた魔獣に指示をだす。


「【白虎baegho】! そいつらを食い散らせ!」


 待っていましたとばかり、今まで低く唸っていた魔獣は爆発するように吼えた。

 そして、一番手前にいた守和斗に食いつきかかる。


「――ったく。まだ、話し中……だよ!」


 言いながら、彼は振りむきざまに裏拳を放つ。

 その裏拳は、迫り来る魔獣の横顔をとらえて、そのまま巨体をふっとばす。

 あまりの勢いに、魔獣の象徴とも言うべき牙が一本、へし折られて別方向に飛んでいく。

 巨体はそのまま空中を飛び、壁にぶつかり、建物の中に轟音を響かせる。

 魔獣はそのまま気を失ったのか、ピクリとも動かない。


「なっ……なっ……なんだとおおおおぉぉぉ!?」


 ラクティスが叫んだ。


「――殴った! 学徒殿が魔獣を殴ったぞ!」


 セレナも仰天して、クシィとファイに訴える。

 だが2人とも驚いてはいるものの、半分は呆れ顔だ。


「な、殴ったわね。さすがにちょっと引いたわ」


「ちょっとなのか!? あの魔獣の巨体を殴って飛ばしたんだぞ!? そ、それにキングサーベルタイガーの牙って聖剣並みの強度があると言われてなかったか!? それ、へし折ったんだぞ!?」


 クシィに食いかかるようにセレナは訴えた。

 すると今度は横で、かるいため息まじりにファイが応じる。


「う、うむ。まあ、驚いたが……こいつなら、これぐらいは不思議じゃない」


「ど、どういうことよ、それ!? なんで騎士ロールでもなんでもない学徒が……」


 セレナが理解できずに呆気にとられる。

 その様子にファイとクシィは、一瞬だけ顔を見合わして笑う。

 それはそうだろう。

 こんな不条理な力、信じられるわけもない。


「ところで、副管理官が身代わりになったということは……」


 ファイの問いに、守和斗がうなずく。


「ああ。あの副官……副管理官? まあ、どうでもいいけど、マーチという男ね。どうやら、殺しを楽しむ下衆げすの上、悔いる様子もないし、助けたついでにね」


「助けた……じゃあ、あの娘と村人たちは……」


「もちろん、生きているよ。俺の使い魔が見張っているから、無事に村に着いていると思う。……ああ。それから、あの少年も生きているよ」


 クシィが黒い瞳を輝かす。


「本当!?」


「かなり危険だったから、まずは俺が生命維持と新陳代謝の向上、回復をある程度同時にしたんだけど、なんとか間にあったよ」


「新陳代謝向上……」


「そう。ちなみに2人にもさっきから少ししているから、かなりキズは癒えているんじゃない? 体力は使うから、疲れてはいると思うけど」


「あ……」


 そう言われて、2人は体の痛みがかなり和らいでいることに気がついた。


「あとのことは、パイさんに回復魔法を頼んだからね」


「パイに?」


「ああ。説明もなしで空間転移テレポートで村に連れて行ったから、最初はパニックになっていたけど、村の様子を見たらすぐに働いてくれたよ。パイさんには悪いことしたかな」


「……いや。パイも村人を助けることができて、感謝しているはずだ。後で説明は大変だがな」


 そう言って、ファイは苦笑する。

 空間転移テレポートなどという、時間も距離も飛び越えてしまう不条理な力を垣間見れば、パニックにもなるだろう。

 だが守和斗はその不条理な力で、2人がこぼしかけた命をすべて救って見せた。


「無理を通す力……か」


「無理なものは、無理だよ。俺だって全部を救えるわけじゃない」


 守和斗はファイの独り言に答える。


「でも、それは本当に無理なのかな。今は無理でも、もっと努力すれば無理じゃなくなるかもしれない。より多く助けたいと後悔したなら、より強くなればいい。許せない理不尽を覆せるぐらい不条理に強くなればいい。俺は親父にそう教わった」


 守和斗が言っていることは、むちゃくちゃかもしれない。

 だが、それを聞いていたファイ、クシィ、そしてセレナも、「守和斗は自分と同じなのだ」と気がついた。

 自分の父親に憧れて、強くなろうと努力してきた人間なのだと。

 そして3人が目指している、「英雄の子」としての姿がそこにあるのだと。


「まったく。貴様は本当に私と同年代なのか?」


 ファイの問いに、今度は守和斗が苦笑する。


「俺は生まれた時から、『世界を救うために』と育てられてきたからね。訓練も教育も生活も……自分で言うのもなんだけど、普通の人の数倍は濃密な人生を送っていると思うよ」


「せ、世界……か。なるほど。それは規模が違うな……」


「た、確かに……」


 ファイとクシィも、釣られるように苦笑する。

 2人は今まで自国のこと、せいぜい自軍勢のことぐらいしか考えたことがなかった。

 他国、他軍のことまで救うなど、考えたこともない。

 ましてや世界すべてを救うなど、欠片も考えたことなかった。


「ふ……ふざけ……ふざけるな貴様!」


 ずっとあまりの衝撃に呆けていたラクティスが、やっと自我を取りもどして怒鳴り始める。


「【白虎baegho】! いつまで寝ている! 早く奴らを殺せ!」


「“あんた、韓国人かい?당신은 한국인입니까”」


 守和斗の言葉に、ラクティスは身震いするように反応する。

 そして、同じように韓国語で答える。


「貴様もプレイヤーか……」


「やっぱり韓国人か。『白虎baegho』の発音でそうかなと思ってね」


「ふん。そうか。プレーヤーなら話は別だ。お前も韓国人なんだろう?」


「いや。日本人だ」


「なっ!? 日本人チーターだと!? そうか。だから、不思議な力が使えたのか。【古代魔法】か【神気法しんきほう】ってヤツだな! 日本人はズルばかりする。まあ、いい。おい、それを教えろ! このオレに、それさえあれば、【英雄騎士ヴァロル】どころか、【勇士ブレアル】にさえなれそうだ。予算がなくて、こんな領地管理官なんて役しかもらえなかったが……これで逆転だ!」


「また、それか……」


 守和斗は、ため息をついた。

 だが、やはりこの世界で日本語は特別らしい。

 少なくとも、日本語を読める人間はいなかったのだろう。

 だから【古代魔法】や【神気法】などというものも、ほとんど伝説的なものに過ぎなくなっている。

 実体がどういうものか、誰も知らないのだ。


(いや。逆か。そうなるようにするため、日本語を読めるヤツはプレイヤーにさせなかった。ゲームバランスが壊れるから。いや、待てよ? なら情報を潰してしまえば良いだけだ。……ということは、すべてを把握・・・・・・していない・・・・・ということか……)


「おい。聞いているのか、日本人チーター。それを教えれば命を助けてやるぞ!」


「残念だけど、それはできない。俺はプレイヤーじゃないしね」


「あん? じゃあ、お前はゲームマスターなのか?」


「違うよ」


「じゃあ、何なんだよ、貴様は!」


 守和斗は、また言語を他の者にもわかるように元に戻す。


「俺は、万能力者アルティメイタム。あんたに、最後の言葉を届けに来た」


「アルティメイタムだと?」


「そう。これが最後通告アルティメイタムだ。すべての罪を公に告白し、裁きを受けろ。さもなくば、俺があんたを処する」


「……ぷっ! 日本人は、本当に今でもアニメ文化だな! そんな台詞言って恥ずかしくないのか? それともファンタジーRPGの勇者にでもなったつもりか? MMORPGに勇者はいないぞ!」


 腹を抱えながら、ラクティスはヒーヒーとした嗤いをもらす。


「はあ~。笑った。……もう、いい。どうせ、そんだけ強い力なら、1日1発とかしか使えないとかなんだろう? だとしたら、使い勝手が悪そうだ。それに古代魔法とか使えても、魔力に強い魔獣相手なら大したことないだろう。……餌になれ、まとめてな!」


 背後でその魔獣【キングサーベルタイガー】が、低く唸りながら動きだす。


「みんな俺の左腕をつかんで、絶対に離さないように」


 守和斗の言葉に3人の娘は立ちあがって、言われたとおりにおのおので彼の左腕をつかんだ。

 ちょうどその時、背後で魔獣が雄叫びをあげる。


「よーし、やっと起きたか! 行け! そいつらを無残に食い殺せ!」


 振動をともない、魔獣があっという間に守和斗達に近寄る。

 巨大な爪をともなう、前足が大きく振りあげられる。

 だが、守和斗は慌てずにラクティスを指さす。


「強制執行!」


 爪が振りおろされはじめる。

 守和斗達が消える。

 ラクティスの背中が誰かに押される。


「――えっ!?」


 ふりかえった刹那、ラクティスは背後に守和斗達を見る。

 四つん這いになった彼が、次に見たのは地面。

 そして、上から被さる大きな影。



――ぐしゃっ!



 無残に飛び散る肉片と血しぶき。

 だが、それだけではなかった。


 突然、魔獣も苦しみはじめた。

 雄叫びをあげると、悶絶しながら白目をむく。

 吐血。

 そして地響きを立てて身体を横たわらせた。


「……魔獣まで死んだ?」


 不思議そうに上から見る守和斗。

 その横にクシィが来て、ボソッとつぶやく。


「呪縛……かも。そもそも魔獣を従わせる方法なんて……」


「ほむ。ちょっと見てくるよ。ここにいて」


 そう言うと守和斗は、躊躇いなく広場に向かって飛び降りた。

 いや。飛んでいった。

 空中を滑るように飛び、そして魔獣の死体の上で停止する。

 呪文もなく、しかもあれだけ自由に飛ぶことなど、風の魔術でも難しい。


「……なんというか」


 いつの間にか、クシィの隣にファイが来ていた。

 そして、守和斗を見ながら苦笑する。


「あまりにレベル差があると、『戦い』にもならんのだな……」


「そうね。戦う前に、もう決着はついているようなもんだものね」


「我らとの腕試しは、かなり手抜きしてくれたのだろうな……」


「腹立たしいけどね」


「怖いな……」


「そうね。……でも、あたしは目指したいわ」


「私も目指すさ……。『理不尽』という敵を倒せる『不条理な力』というやつを」


 2人の少女は、目指す先にいる者・・・・・・・・を強く見つめるのだった。

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