体主霊従と霊主体従

 体主霊従と霊主体従。知っている人には当然すぎる言葉であり、知らない人には全く意味不明なこの言葉。皆さんは御存知かしら? ま、敢えてこのエッセイを読みに来るような尖った人でしたら当然のように知っていると思います。


 今回間違ってこの記事を読んでしまったそんなビギナーの方のために少し説明しますと、体主霊従とは現実世界が先にあってそれが後で霊的世界が従うと言う意味の言葉で、霊主体従と言うのは霊の世界が先にあってそれに現実世界が従うと言う事になります。


 え? 意味が分からない? ま、確かに霊的素養がなければすぐにピンとは来ないですよね。霊とは目に見えないものと言う事で、まぁ雑に説明すると心ですわな。で体って言うのは物質な訳でそのものズバリの身体の象徴でござるよ。


 今は目に見える世界重視で体主霊従の世界観が支配していると言えますよね。目に見える、科学万能時代です。唯物主義、自分中心主義、利己主義の世界とも言えましょう。端的に言えばお金中心主義と言えば分かりやすいでしょうか。お金は欲望の象徴ですし。


 この世界が行き着くところはみんなバラバラで協力出来ない世界ですね。現代社会を見渡しても多様性と言う言葉で何も決断出来ない流れの中にあります。

 そうして身欲から現れる欲望は尽きる事がありません。現実世界は有限なのに、です。世界中で争いが絶えない訳ですねぇ。


 んで、霊主体従と言うのは見えない世界第一主義です。心が大事、心を中心にまず何をするにしてもそれをする意義を大事に考えます。霊感があるならその感覚を中心に考えて行動する生き方。端的に言えばそれは愛でしょうか。とは言うものの、今の風潮だと愛もお金で買えたりするのですが(汗)。

 つまり、損得勘定ではなく、愛を中心に生きる人は霊主体従の生き方をしている人と言えるのではないかと思います。雑に分類した場合ですが。


 目に見えない愛の世界は減る事がありません。みんなで分け合えます。分け合えば更に広がります。そうする事で優しい世界が広がっていきます。下町の世界はお金がなくてもみんなが笑顔。それは情で人々が繋がっているからです。心を切り捨てた世界は寂しいですよね。


 後、この生き方もバランスが大事です。霊も体も半分ずつ、どちらにも偏らない事。どちらも大切ですからね。そうした上で霊を中心とする、愛を中心とする生き方をするのが重要なんです。ここで神様を中心とか言う胡散臭がられそうなので特に明言はしませんw


 と言う訳で、今回特に難しい話ではなかったと思います。お金中心で生きるんじゃないヨ、人情が大事だヨ。それが幸せに繋がるんだわさと言う当たり前の話なのでした。

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