面会

 敷地面積こそ広いが外装は質素な上級神官の住居を兼ねた建物から、広大な神殿裏庭を横切ると、神子が使う本神殿を模した白亜の建物がある。

 神子が不在の間も、定期的に手直しが加えられ、神殿関係者はまるで神子が存在しているかのように振る舞っていた。なぜなら、教会にとっては、女神と同等に敬うべき存在であり、まさしく力、権威の象徴でもあったからだ。

 神殿の奥深くに神子は存在する、そのようにして何とか威厳を保とうとしたが、結局のところ人の心は移ろいやすく、百年近く姿を見せないうちに行事さえ形骸化し、信仰さえ薄れていった。

 人々は神や精霊を軽視するようになり、時にはその怒りをかって大飢饉を招くこともあった。実際に、最近の帝都近隣では、干ばつや、逆に大雨など気候の変動が激しく、そのために国はかなりの財源を割いているとのことだ。

 

「神子様に、取次ぎを頼む」


 神子の居室の手前で、二人の護衛らしき青年にマリーアンは声を掛けた。彼らは小さく礼をして、一人が扉をノックして部屋の中に入っていった。しばらくすると、中に入るように促されて扉の向こうへ進んだ。


「ようこそいらっしゃいました、マリーアン様。初めまして、イツキと申します」

「……お初にお目にかかります。お会いできて光栄に存じます」


 足のつかない椅子に座ったまま、その少年は丁寧なお辞儀をして迎えてくれた。少女と見まごうほどの可憐な姿で、妙に大人びた微笑みを浮かべている。

 マリーアンはにこやかに返事をして礼を取り、後ろに控えるエルマンも合わせるように顔を伏せたが、目線だけで少年の姿をこっそりと観察していた。

 薄い色合いの金髪に、特徴的な碧の瞳――。

 記憶の中にある三の妃シャーロットとまるで生き写しのような面差し。そして、よく知るコーデリアの容姿とも重なる。

 今度こそエルマンは確信した。間違いない、と。

 けれど、彼は「イツキ」と名乗った。

 その様子から、誰かに名乗らされているとも思えなかった。


「…………それで、こちらの者が、神子様をお世話する神官です」


 いつの間にか少年とマリーアンの会話は進み、気が付くとエルマンが紹介される展開になっていた。すっかり考え事をしていた彼だったが、それを感じさせないほど自然にマリーアンの横に移動して、胸に交差にした手を当て軽く頭を下げた。

 ちなみにこれは神への礼拝に準ずるもので、正式な礼は、跪いてこれと同じ動作を行うことになる。


「初めまして、エルマンと申します。誠心誠意、神子様のお役に立てるよう精進いたします」


 けれど、すぐに返ってくると思われた返答はなく、少し間をおいてエルマンはゆっくりと顔を上げた。

 少年は、まんじりともせず、ただ小さく口を開いていた。

 まるで何かを言いかけて、そのまま固まったように。そして、小さく呟いた。


「……エルマン?」


 その表情は、先ほどまでの作り物のような泰然とした笑みではなく、急に素に戻ったかのような印象があった。

 意図して口に出したわけではなかったようで、まるで確かめるように二度三度と、己に言い聞かせるように繰り返し口ずさんだ。


「あ……っと、すみません。なんだか急にぼうっとしてしまって。ご挨拶の途中で失礼をしました。ええと、エルマン様ですね。こちらこそよろしくお願いします」

「神子様、どうか私のことはエルマンとお呼びください」


 神事の補助、そして側付きとしてお世話をする立場の下級神官であるエルマン。女神の次に敬われるべき神子に対し、それは当然の進言だったのだが、なぜか少年は戸惑ったように口を噤んだ。

 まるで心の葛藤と闘うかの百面相をする姿からは、初めに受けた泰然たる神子の貫禄はどこかへ吹き飛んでいた。

 すると、しばらくして「あれ?」という顔になった。


「……この声って、もしかしてあの時の?」


 この時になって、ようやく目の前にいる青年神官が病床に伏せていたところを救ってくれた人物だと、少年は気が付いたのである。

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