お風呂事情

「部屋の中でしたら、自由に歩いてもかまわないとのことです。お庭に出るときは、このメリッサにお申し付けください」


 外は歩いちゃダメってことね。まあ、他にもいろいろ緩和されてることもあるし、もともとのしきたりを知った後だと、かなりの妥協策って感じがするな。

 ペシュを通して話してきたあの人も、今は様子を見るようにって言ってたし、どうやら近いうちに直接会えるとか言ってたしな。少なくとも、ここが敵地でないと知れただけでもよかった。

 ただ、ここが本来の居場所であるとは到底思えなかった。もっとも、これはただの勘だけど。

 言葉には慣れた。ここでの生活には正直不便はない。メリッサやエレもよくしてくれる。

 ただ、圧倒的に退屈だった。

 準備期間の今は、ひたすらお披露目に向けての立ち居振る舞いの指導や、行事などの歴史、趣旨などを、滾々と聞かされる毎日だ。

 大人になるにつれ久しく思わなくなったが、今のこの身体がそうさせるのか、窓の外の広い芝生の上を何も考えずに思いっきり駆け回りたい、と叫びたくなる。

 散歩をせがむワンコの気持ちが、ちょっとわかった今日この頃である。


「……はあ」


 思わず漏れた大きなため息に、メリッサとエレが顔を見合わせた。

 午前の勉強会が終わり、明るい窓辺でちょっとティータイムという場面である。


「どうかなさいましたか?」

「うん……、いや。そういえば、風呂ってあるのか?」


 思わず愚痴をこぼしそうになったが、すぐに思い直して別のことを聞いた。

 言っても仕方がないことを言うより、なにか打開策、というか少しでも気分転換になるような提案をしようとしたのだ。この辺は、社畜時代に培ったある意味自己防衛的な思考であった。しかも相手も不愉快な気持ちになることもない、いわゆる大人な対応というやつである。

 ふと、「――ほんっと、お前って子供らしくないよな」と、どこからともなく揶揄するような声が聞こえた気がして、不思議な気分になった。

 いつか誰かに、そんな風に言われたような……?


「お風呂……でございますか?」


 戸惑ったようなメリッサの声に、俺は現実に引き戻された。


「あれ? ここってお風呂ないのか。なんだったら、温かいお湯でも貰えたら」


 ここがどういう世界なのかは、付け焼刃ではあるが最近の勉強会でおおまかに知ることができた。確か、貴族や金持ちの家にくらいしか、風呂がないような生活基準だった気がする。確かにこの部屋は豪華だけど、この施設内全体がこうだとは限らないし、すくなくとも俺の行動範囲内では風呂場のようなものはなかった。

 朝の手や顔を清める水も、普通に冷たい水だった。季節は春だか秋だがわからないが、特に暑くも寒くもない時期ではあったが、それでも身体を拭いてもらうときはいささか水が冷たく感じるのだ。


「お身体を清めるのは、決められた禊の間にてお願いします」


 これまでは臥せっていたので、メリッサが身体を拭いてくれていたが、神子は本来決まった場所で身を清めるらしい。それについては説明を受けたけど、それって儀式とか行事の前だけじゃないの?


「えっ、禊? ……当然だけど水だよね」

「とても神聖な湧き水です」

「……冷たそうだね」

「清らかなありがたい水場だそうです。神子様しか入場できません」


 うれしくない特権である。どうせなら、温泉でも湧いていれば万々歳だったんだけど。

 ――ああ、とりあえず他のことは我慢するから、せめて風呂でゆっくりと肩まで浸かりたい!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る