第十五章 現つ神
カーテンのむこう
精密な細工が施された机に、フカフカなソファーが置かれた豪奢な一室。
その部屋を経由してさらに扉の向こう、天蓋付きのベッドが設置された寝室に、二人の男が時折会話しながら近づいていく。その足音は、毛足の長い絨毯に吸い込まれる。
薄いカーテンが引かれているため、寝ている人物は見えない。
「それで、結局どうなったのだ」
「……当初、簡易奴隷紋による拘束を試みたのですが、レジストレベルが常人のそれではなく、やむをえず同席させた精霊使いを使いました」
「例の親子か……」
「はい、最初は拒否しましたが……」
「まあ、よい。だが、手荒な真似をするなと言い置いておったに、このように事を荒立ておって」
「申し訳ございません。思った以上に抵抗も激しく……、精霊の術を使う護衛の件は聞いていたのですが、ここ数か月監視していた者の話では、最近は傍に侍っておらぬとの報告があり……実際には、身を潜めていたわけですが」
言い訳がましく答えているのは、白装束の初老の男。
先日の襲撃時もその場にいて、いろいろと指示をしていた男だ。肩書は司教だが、地域派遣ではなく、本部所属の中間管理職といったところだ。少なくとも僻地所属のどこぞの元大司教などより、ずっと権力はあると思われた。
そして、質問しているのは、更に金のラインの入った肩掛けをしている白いひげの男である。この肩掛けは、枢機卿レベルの者がつけることができるものだった。
さらに言いつのろうとした司教に、枢機卿はうるさそうに虫でも払うようなしぐさをしてため息をついた。
「それにしても、これで一か月だぞ。よもや目をさまぬではないだろうな」
「すみません……精霊の拘束術をも破りそうだったので、手加減ができなかったようで」
白ヒゲの男は、天蓋ベッドのカーテンを開けた。
真っ白な羽毛の枕に、少し長めの金髪が広がっていた。
そこには、まだ幼さの残る少年が横たわっていた。瞳は閉じられ、髪と同じ金色のまつ毛が頬に影を作っている。心なしか唇も渇き、いささかやつれた感のある顔が、本当に長く目を覚ましていないのだろうことを物語っていた。
何気なく手を伸ばそうとすると、まるでそれに反応したように瞼がピクッと動いた。
「……ん? 今、動かなかったか」
伸ばした手をひっこめ、様子を見るように覗き込む。
すると、ゆっくりと瞼が上がり、何度か瞬いたのちに、湖のような澄んだ碧の瞳が現れた。その瞳は、少し驚いたような色を乗せて、目だけを動かして辺りを見回している。
「おお! お目覚めになられましたか、心配しましたぞ」
急に声をかけられて驚いたのか、少年はビクッと肩を竦めて恐る恐る声の主を見上げた。咄嗟に何かを言いかけたが、勢い余って咳き込んだ。
深呼吸のように息を吐き、今度は慎重に口を開く。
『……×▽〇△……、〇□?』
それは問いかけのようであったが、二人には全く聞き取ることができなかった。
「……何を言っているのだ?」
「一か月も眠っていたのです、声が掠れて聞きづらいだけでは?」
しかし何を聞いても要領を得ず、一向に言葉が理解できなかった。何かをこちらに訴えている様子はあるので、何かを話しているのは確かなのだが、まったく言葉が通じなかったのである。
「よもや間違えて連れてきたのではあるまいな。言葉も話せぬとは……」
「そんなはずはありません。魔界は、文字こそ数種類使っておりますが、会話は共通語のはずです」
「……? ま、かい」
言葉の一つに反応した少年に、白装束の男が慌てて向き直った。
「そうです! あなたは先日魔界からこちらにおいでになりました。覚えておいでですか? 私の言っていることがわかりますか?」
思わず身を乗り出したのは、司教のほうだ。本人にその気はなかったのだろうが、かぶさるような勢いで近づいてきた男に、少年は驚いたように慌てて身を起こそうとした。
『△□っ、……!?』
少年が身をよじって逃げるしぐさをした途端、それは起こった。
いきなり襟元から黒いものが飛び出し、ぶわっと白い煙のようなものが立ち上ったのだ。そして、どこからともなく少年を守るように身を盾にした少女が現れたのである。
白装束の男たちも驚いたが、守られた少年も驚いて目を白黒させている。しかも、現れた少女が真っ裸なのを見るや、ひっくり返るほど驚いている。
「な、何者だ!? 誰だっ、名を名乗らぬか……いや、それより一体どこから」
「いや、待て、少し姿が見えた。……コウモリ、おそらく彼の契約コウモリだろう」
そもそもが人に変化できる契約コウモリは稀なため、その存在はあまり知られていないのだ。司教が驚くのも無理からぬことであった。
「……だ、誰? △〇っ、□……×△□」
ちょっとした混乱の中、口早に交わされた会話の一つを拾って、少年は首をかしげて自分を指さした。司教の少女を誰何した問いかけを、自分に向けられたものだと勘違いしたのだ。
少女の存在が少年の態度を多少なりとも軟化させたこともあったのだろう。条件反射のように名乗ろうと口を開いて、なぜか少し詰まったように逡巡したのち、はっと気が付いたように顔を上げた。
多少たどたどしくはあったが、今度は皆がわかる言葉ではっきりと答えた。
「えっと、何だっけ……そうだ。イツキ、……俺は宮田、斎だ」
少年は、ようやく思い出したといわんばかりに、どこか聞きなれぬ不思議なイントネーションでそう名乗ったのである。
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