大神殿にて3

「仕方のない人ね……でも、まだ皇帝になって半年くらいだったかしら。国内も安定してないだろうから、気持ちはわからなくもないけれどね」


 そそくさと逃げるように消えた皇帝に呆れた教皇だったが、そんな事情を知っていたためか、少しばかり同情もしていた。


「なるほどな。最近ではコロコロ変わりすぎて、即位式を催すこともままならぬと聞く。どうりで、あの男に見覚えがないと思ったわ」

「あの男などと、失礼ですよ。今の皇帝の……あら、なんだったかしら? えと、陛下は去年即位したのよ。いやだわ、忘れっぽくなっちゃって……名前なんておっしゃったかしら」

「どっちが失礼なんだか」

「仕方がないじゃない。だって、ここ数年でもう八人目よ。名前を覚える間もないわ」

「いつだったか、乳飲み子だったこともあったな」

「……ええ、そうね」


 肩を竦める魔王に、教皇は苦笑するしかない。


「……それで、数か月前に起こったあの騒動、だったわけだな」


 言わずもがな、リュシアンも巻き込まれたカエデの輿入れ……というか、家族や村を人質に取った脅迫まがいの事件のことだ。足場の脆いにわか政権を、過去の英雄の名で補強しようとした浅はかな計画だった。


「ええ、あの件については、私も後になって聞かされたわ」

「教会の一部の馬鹿どものせいで、いろいろ大変だったそうだな。そなたも休まる暇がなかろう」

「あの事件では、かえって少し掃除も出来たりもして悪いことばかりではなかったけれど、なかなかメスを入れられない部分もあるのよ。私が、もっと動けたらいいのだけれど」

「気持ちはわかるが、あまり無理をするなよ」

「大丈夫。それに、私が数年間かけて仕込んだ種が、ようやく芽を出しそうなのよ……」

 

 そこまで言って、教皇がふと俯いて前かがみに倒れかけた。後方に控えていた女性二人が慌てて教皇を支え、すぐにその場を移動させようと動いた。


「……っソフィア!?」


 水晶玉の向こうの魔王が、驚いたように立ち上がって思わず名を呼んだ。

 今はすっかり名を呼ぶものがいなくなったが、旧知の仲の二人は、時折名を呼び合うこともあるらしい。向こうから見たら、教皇が崩れ落ちて、画面から消えてしまったのだからかなり驚いたに違いない。


「平気よ……ごめんなさい、ちょっとめまいがしただけよ。あなたたちも、ありがとう」


 身体を支える白装束の女性達にお礼を言って、彼女たちが止めるのを遮って、教皇は再び水晶の前に座った。


「どうやらちょっと長話が過ぎたようね。ともかく、こちらのことは心配しないで。コーディの大切なあの子がこちらに来るのだから、くれぐれもよろしく頼むわよ」

「わかっている、もとよりコーデリア本人が張り切っているからな。俺は手を回して動きやすくするだけだ。むしろ俺は、そなたの身辺が手薄になっているのが気がかりだ。コーデリアもこちらに返してきたし、以前、側に置いていた少年も近頃は見ぬからな……」

「ふふ、大丈夫。私の事は心配しないでって言ったでしょう?」

「そなたの大丈夫ほど当てにならぬもはないぞ。なんなら、俺のほうから人を……」

「だめよ、さっきも言ったでしょう? 今は、私の意見だけでは、いろいろ自由にならないのよ」


 教皇は確かに最高権力者だが、ある程度の影響力がある意見が徒党を組んで数で押して来たら、彼女とて何事も自由にはならないのである。ソフィアが身体を壊してからの数十年、それら不穏な勢力は着実に力を増してきたのだ。計画的なのか、たまたまそうなってきたのか、彼女が気が付いた時にはすでに遅かった。

 もちろん、ただ手を拱いていたわけではない。

 先ほど魔王にも語ったが、細々ながらいろいろ手は打ってきた。それが、少しずつ芽を出しつつあるのだ。


「ヴィンセント、ともかくこちらの事は私にまかせて。今は、なんとか皇帝陛下を懐柔する手立てを考えて、あの子達を迎え入れる条件を整えることを優先しましょう」

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