塔の上で2

 部屋の中にはもう一つ扉があった。ニーナの案内で、僕はその部屋の中へと入った。

 小さな部屋に天蓋付きのベッドが一つあり、部屋全体に薬草を燻したような匂いが漂っている。靄のような白い煙を上げているのは、ベッドサイドの小さなテーブルに置かれた香炉からのようだ。

 

「これは痛み止めを調合をした薬剤です。意識はなくても、痛みを感じておいでのようなので」


 医師の一人が説明するのに頷いて、僕はベッドに近づいた。ニーナがそっとオーガンジーのような薄布を持ち上げて、誘うように僕の方に目配せを送る。

 そこには一人の少年が横たわっていた。

 怪我をしたのが六才、それから十数年たっているとのことだからダリルと同じくらいだろうか。寝たきりになってからも成長はしているが、その顔にはまだ幼さが残っている。

 髪の色は赤茶色、なるほど赤毛のサムを身代わりに立てる口実にもなったに違いない。ありとあらゆる薬草を煎じて命を繋ぎ、僕も知らなかったけれどモンフォール王国が提供した魔法の秘術も使っているらしい。

 フリーバッグにも使われている錬成陣の原形となった魔法で、今となっては使い手が皆無の時限空間魔法の一つだという。

 余談だが、ダンジョンなどに設置されたワープの魔法陣もそれである。


「十才くらいに見えるでしょ? これってその魔法の副作用なのよ」


 眠ったままの少年の髪を撫でるニーナの姿は、確かにどう見ても姉と弟のようだ。

 その魔法を使わざるを得ない理由を、すぐに知ることになった。

 少年を覆う上掛けを、ニーナがゆっくりと取り去る。


「……っ!」


 事前に説明は受けていたけれど、話しに聞くのと実際に目の当たりにするのとでは雲泥の差がある。思わず声を出しそうになって、僕はゆっくりと息を呑みこんだ。


「……挫滅した部分はすぐに医師によって切断されたの。でも状態はどんどん悪くなるばかりで」


 ニーナは、そこで言葉を切った。

 初めはひざ辺りだった傷口が、壊死が進んで既に大腿部にまで及んでいる。

 不完全とはいえど、状態維持に類する魔法を掛け続けていたおかげで、なんとか十年という月日を乗り切ったのだろう。


「……この魔法を操れる唯一の老人が、つい先日亡くなったの」


 魔法陣の研究をしていた研究者であり、ドリスタン王国では十の指に入る魔法使いだった人物だ。もちろんこの老人一人でこの魔法を発動してわけではなく、彼の発明した魔法陣によって数十人という魔法使いが、交代で魔法を維持できるシステムを考案したらしい。


「ああ、それでか……部屋に入った時から気になってたんだよね、このケンケンパみたいな模様」

「け、ケンケン……? え、なに?」


 磨き上げられた乳白色の床には、いくつかの魔法陣が定着していた。全体を見れば知らない魔法陣だが、フリーバックの内布を錬金する時の錬成陣や、ワープの魔法陣など、ところどころ類似点があるようにも思う。


「彼が亡くなって、同じように魔法使いを配置して試みたけど、術は発動しなかったの」


 床に描かれた魔法陣を指でなぞって、順に書かれている呪文を確認した。僕が触っても発動はしないようだ。

 もしかしたらその老人の属性やスキル込みの魔法陣だったのかもしれない。要は誰でも発動できる様式、汎用仕様ではなかったということだ。


「……それで急に慌ただしくなったんだね」

「病状がどんどん進んで薬だけでは抑えられなくなって……ねえ、もしかしてリュシアンなら」

「いや、僕ではだめだ。なにしろ無属性だからね。それに、たとえ時間をかけてこの魔法陣を改良しても、それこそ時間稼ぎでしかない」

「……そ、そうよね、ごめんなさい」


 しょんぼりとなってしまったニーナに、僕はちょっと申し訳ない気分になってしまう。今の段階では、すべてを解決できる手段を提供できることは出来ないのだ。

 僕は、フリーバッグから青い液体の入った薬瓶を一つ出した。


「それって例の回復薬? え、嘘、竜の目……」


 ニーナが驚くのも無理はない。傷薬では数百本に一本の割合で神話級を作れるが、実のところオリジナル回復薬で成功したことがなかったのだ。


「あの薬草畑で出来た色違いのべス草を使ってみたんだ。これ、ちょっと内緒なんだけど……」


 ニーナの耳まで顔をよせて、抑えた声で付け加えた。


「確実に一~二ランク上乗せした判定の薬が出来るんだよ」


 くすぐったそうな表情で耳を抑えたニーナに、ちょっと近づきすぎたかと反省しつつも「べス草は基本の薬草で、ほとんどの薬に使われるからね」と、一つヒントを付けてから尋ねた。

 

「この意味が分かる?」

「……あ、そうか。ほとんどの薬で上位判定が容易に作れる?」


 完成した薬の判定は、当然ながら実力にもよるが運もある。

 特に神話級ともなると、ほぼ運といっても過言ではない。回復薬で神話級が出来ないのは、この薬が僕のオリジナルだからだと思っていたのだが、このことでちょっとだけ運が足りなかったのだとわかった。

 色違いのべス草、鑑定結果によると植物にしては珍しく運のステータスが付加されており、そこには無限大と記されていたのだ。

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