記憶の中の風景

 翌朝、身支度を整えゾラと共に部屋を出ると、すでにアリソンさんは朝食の用意を始めていた。


「おはようございます。お手伝いします」


 僕の挨拶ににこやかに答えたアリソンさんは、僕の早起きに驚きながらも、とんでもないと手を振って笑った。


「あらあら、ウチの娘はまだ寝ているのかしら。リュシアンくんは気にしないで、お客様はゆっくりしてらしていいのよ」


 今日はとても天気がいいから朝の散策でもしてらっしゃいな、と勧められた。僕は少し迷って、昨日彼女が井戸の水が使えないとぼやいていたのを思い出して、ついでだからと背負子に乗せられた水樽を手にした。


「じゃあお言葉に甘えて湖周りを歩いてきます。こちら持って行きますね」

「え?……あら、でも」


 場所は大体聞いているし、水場はそこしかないと言っていたので迷うことはないはずだ。けれど、僕が背負子の肩掛けを腕に通そうとした途端、ゾラが横合いから手を伸ばしさっさと背負ってしまった。

 アリソンさんも、大きな樽を持ちあげた僕を止めようとしたが、ゾラが替わったことで「ありがとう、悪いわね」とお願いする気になったようだ。

 いや、僕だってその気になればそのくらい持てるんだけどね。

 ただ無属性の身体強化で体力の底上げはあるとはいえ、見かけはそれこそ小さなおこちゃまである。やっぱりどんと任せられる信頼とか、包容力とかに欠けるのかもしれない。

 大袈裟な話ではなく、これは冒険者としてはあまり嬉しくない。

 ジーンが、ひょっとすると僕は成長が遅れるかもしれないと言っていたが、この先冒険者をやっていくのにいささか不利なんじゃないかと不安になってしまう。

 一刻も早く独り立ちしたいという僕にとっては前途多難な課題でもある。

 ついついため息が出てしまうが、ここでゾラに僕がやる! というのもある意味子供じみた態度なので、素直に任せることにした。

 背後から「行ってらっしゃい、お願いね」というアリソンさんの声を聴きながら、僕達は重い木の扉を開いて小屋の外へ出た。


「眩しっ……!」


 朝日に照らされた湖の湖面がキラキラと光を反射して、思わず手のひらでひさしを作る。目の前には大きな湖が広がっていた。碧の湖面に、青々とした木々、それが清々しい朝日に照らされて何とも神秘的な風景だった。


「……やっぱり、昨日のは気のせいじゃなかった」


 湖のほとりをゾラと二人歩き始めて数分、僕は思わず呟いた。


「どうかなさいましたか? リュシアン様」

「うん……」


 ゾラの問いかけに気もそぞろのまま頷いて、一つ一つ記憶の糸を手繰り寄せていった。学園一年目の武術科の恒例新人合宿。そこで僕は少しの間行方不明になった。その間の事を、つい先日まですっかり忘れていたのだが、カエデと出会ったその日ふいに記憶が蘇った。

 そう、……僕はこの湖を見た。

 そしてあの美しい生き物を見たのだ――。

 無意識に湖の中央に視線を送る。

 あの辺だ……あの辺に、シカのようなスラッとした獣が立ってた。今考えると、湖の上に普通に獣が立てるはずもなく、あれは夢を見ていたのだろうかとも思う。

 すると、ちゃぷっと湖の中央が丸く盛り上がった。


「ん? ……なにか」


 魚かとも思ったが、それはすぐにぱちんっと弾け、わずかな水紋を作りながらこちらにするすると近づいて来た。なんだろうと立ち止まった僕の足元、そこに湖の中から白い手がヌッと伸ばされた。


「わっ!?」


 驚いて後退った僕を、あっという間にゾラが抱えて後方に飛んだ。それと前後して、湖の中から何かが飛び出してきて今まで僕がいた場所辺りにぺちゃっ! と勢い余って突っ伏した。

 それは薄い水色の光沢のある生地のワンピースのようなものを着た、僕と同じくらいの年恰好の少女であった。

 ――だ、誰!?

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