エドガーの決意

 エドガーは、王都への道を急いでいた。

 もっとも、逸る心とは裏腹に、気分と足は重くなる一方ではあったが。

 それでもエドガーは、ある決意を胸に馬車を急かしていたのだ。


 宿場町でもほとんど宿泊せず、その都度、馬を乗り換えることでエドガーは一週間ほどで王都へ到着した。すでに深夜に近かったが、父親である国王は面会を了解してくれた。おそらくエドガーの母親に下した処分のことで来たのだろうと予想したからである。

 多少の反発はむろん想像していたし、エドガーにとっては寝耳に水だっただろうと思っていた。けれど、息子から飛び出した意外な申し出は、さすがの王様をも仰天させたのだのだ。


「な、なんと申したのじゃ? 継承権を放棄すると、そう言ったのか」


 深夜の、それも息子との対面だったので、二人は王族と賓客のみが使う客間の一室に、軽装のまま向かい合って座っていた。湯気の立ち上るお茶が彼らの前には置かれているが、今はそれを運んできた者も、衛兵さえも部屋の中にはいない。


「母に、これ以上の愚行を重ねさせるわけにはいきません。俺は……これ以上、母に失望したくない」


 エドガーにとって、今やリュシアンはかけがえのない弟であり、友人だ。もし万が一にもリュシアンが害されるようなことがあれば、おそらく母親を許すことはできなくなるだろう。


「イザベラのことは聞いておるか?」

「はい、この町に入った時に聞きました。……命が救われたことは、心から安堵しました。でも、同時にこのままではやっぱりいけないと、決意をあらたにしたのも確かです」

「決意…?」

「母の処罰のことがなくとも、継承権のことは申し出るつもりでした」


 この帰郷の際、本人は頑なに口を噤んでいたが、リュシアンの身に何事か起きたことは、なんとなくわかっていた。

 折を見て護衛を問いただしたが、言葉を濁すばかりで教えてもらえなかった。もちろん、リュシアンもエドガーには何も言わなかったので、本当のところ何が起こったのかは知らない。


「どこまで…、知っているのじゃ?」


 これは今回の事だけでなく、これまでの事を聞かれているのだと気が付いたエドガーは、苦笑しつつ首を振った。

 エドガーは正真正銘、正確なことは知らないのだ。

 すべては、幼いころから耳にしてきた噂話などから推理した憶測に過ぎない。

 なにしろ後宮の女官たちは、おしなべておしゃべりだ。いやでもいろいろなことが耳に入ってくる。はじめは意味が分からなくても、知識がついてくるにつれだんだんと理解できるようになる。それでも、当初はそれらはすべては外のこと。自分とは関わりのない、余所での出来事だと耳を塞いでいた。

 噂や悪意の渦巻く後宮にあって、寂しい幼少時代を過ごしたエドガーだったが、唯一でかけがえのない支えもあった。

 すでに後宮を出た、長兄エルマンの存在である。時折訪れる聡明な兄は、エドガーを正しく導いてくれていた。心無い噂に流されないように、下手な甘言に惑わされないように、そして母親の毒に犯されないように。

 エドガーにとって、兄エルマンは文字通りヒーローだった。

 学園都市に留学していた兄に影響されて外に興味を持つようになり、希望通り王宮を離れることが出来、そして噂の弟に出会った。

 幼いころから母親によって敵だ敵だと耳打ちされてきた弟は、実によくできた少年だった。思いやりがあり、理知的で、どこか大人びたところがあり、なにより優秀だった。

 母と女官たちの噂を鵜呑みにしていたら、確かに自分の地位を脅かす存在にしか見えなかっただろう。あまつさえ、その才能を妬みすらしたかもしれない。

 けれどくだんの弟は、エドガーを友人として慕ってくれ、ひたむきな信頼を傾けてくれた。家族とのつながりがひどく希薄な王家という特殊な環境の中、出会ってほんの数年足らずのその弟は、なぜか本当に肉親なんだと感じることができる数少ない存在になったのだ。

 

 幼い頃から積み重なった、バラバラだったパズルのピースが徐々に埋まっていった。

 女官たちや、城内でのいろいろな噂話。子守歌のように聞かされた母親の恨み言。時折口ごもる、エルマンの気遣い交じりの助言……すべてのピースが嵌ったとき、恐ろしい現実がエドガーを襲った。

 リュシアンの実母とミッシェル王子を死に追いやった事故の真相。さらに生き残った忘れ形見のリュシアンが、今現在に至ってなお、謎の刺客に狙われているということ。

 とどめは船での一件だ。

 ――もう、考えるまでもないだろう。

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