教室騒動

 入学式が終わり、先ほど発表されたクラス分け通りに生徒がそれぞれの教室へと入っていった。

 リュシアンとエドガーは同じクラスだ。エドガーは誕生日を迎えたばかりで十才になっていた。年齢はリュシアンより上ではあるが、教養科が同じⅡで、しかも1組だったので一緒のクラスである。というかむしろリュシアンの年齢でⅡが珍しいし、新入生自体が珍しいと言ってもいい。

 リュシアンはさっそく一番前の席を陣取った。張り切っているわけではなく、後ろの席だと人の頭が壁になって前が見えないからだ。

 するとエドガーが、当たり前のように隣に座った。


「ところでさ、それ……」

「それ?」


 そして座るが早いか、リュシアンに詰め寄った。


「それだよ、それ。頭に乗ってるやつ! ずーっと気になってるんだよ」


 首をひねるリュシアンに、エドガーはじれったそうに頭の上を指さした。最初に会った時に紹介しそびれてたチョビのことである。


「ああ、そういえば……」


 こみあげてくる笑いを堪えるような顔をして、頭の上からチョビを降ろそうとした。リュシアンはこの時、完全に油断していた。

 家の者と別れ、一人で見知らぬ土地に来てそれなりに緊張していたところに、肉親であるエドガーとの邂逅は思った以上に気を許す要因になっていたようだ。


「僕の従魔で、……っ!?」


 言いかけた瞬間、頭を激しく殴られたような衝撃を受けて、うっと呻いて思わず手で押さえた。するとそこにいたはずのチョビがいない。同時に、ガガッ! と硬いもの同士がぶつかり合うような音がした。

 音の方へと視線を向けると、そこには丸くなったチョビが床に転がっていた。

 カッと一瞬にして、頭に血が上ったが、すぐに深呼吸してゆっくりと立ち上がった。


(大丈夫、チョビはあのくらいの衝撃はなんてことない。だけど……)


 そこには、手を上げただろう大柄な少年が仁王立ちで立っていた。時折、気にするようにチョビの方を振り向いていたのは、無抵抗ですっ飛んでいくとは思わなかったからだろう。

 むやみに手を出さないようにチョビに言い含めていたのが仇になった。攻撃されそうになったら、せめて避けるように言っておかなければならない。

 見たところ彼は、このクラスでは最年長だろう。ニーナより年上かもしれない。ここでリュシアンはなんとなく事の成り行きを理解した。

 リュシアンが何才に見えたかはともかく、これはやっかみとか嫉妬とかそういう事だと悟った。あまりにも幼稚で自分勝手な行動に、怒りよりも呆気にとられる状況である。


 教養科は特殊な学科だ。他の科は上がって行けるのに、教養科のみまったく昇級できないという者もいる。その特性から、一般常識や礼儀作法、品性といった抽象的なものも多いからだ。教師との折り合いが悪いだけで、容易につまづくことがある学科なのだ。

 王都の教養科でも同じような問題を抱えている事案でもある。

 この少年の場合は、少なからず素行に問題ありではあるだろうけれど。


「お前っ! なんのつもりだ!?」


 激昂して立ち上がったエドガーを目で制して、リュシアンはその少年に目もくれずにチョビの下へと歩いて行った。その態度が気に入らなかったのか、彼は前を横切るリュシアンの肩をどついて、よろけたところを乱暴に襟首を掴みあげた。

 それこそ体重の軽いリュシアンなど、振り回されてひょいっと持ち上げられてしまった。

 リュシアンが顔を上げると、けれど少年はギョッとしたようにして手を離した。

 金色の髪の下、その額からつーっと血が流れてきたからだ。さすがに流血沙汰になどする気はなかったのか、少年はビビッて後ずさっていった。最初にチョビを飛ばされた時、とっさに踏ん張ったその爪がリュシアンの頭皮を軽くひっかいたのだ。ごく浅い傷でも頭部は大げさに流血するので、周りの野次馬も思わずどよめいた。


「……どいて」


 さすがに頭に来ていたリュシアンは、立ちふさがるやたら大きな少年の身体をぞんざいに押しのけた。そんなに強く押したつもりはないが、彼はよろけるようにして後ろの机にぶつかって転びそうになっている。

 小さな石のように身を縮めたチョビを、そっと抱き上げた。

 ぎゅうっと閉じていたまん丸の黒目がパチッと開いて、竦めていた身体を大きく伸ばすとチョビはさっそくリュシアンの身体をいそいそと登り始めた。その様子からチョビに何のダメージもなかったことがうかがえる。

 肩口からいつものように髪の毛を伝って登ろうとして、チョビはピタッと足を止めた。

 そこで初めて主人が流血していることに気が付いたのだ。むろん傷つけたのは自分の爪だが、チョビはちゃんと状況を理解していた。なぜそうなったのか、ということを。


 次の瞬間、教室全体の空気が急に重くなった。

 比喩ではなく、本当に空気の手のひらに強く押しつぶされているように、身体が床へと押し付けられているのだ。教室が一気にざわめき、女の子の小さな悲鳴が聞こえてきた。


「チョビッ!」


 リュシアンが強く名を呼ぶと、その現象は起こった時と同様なんの前触れもなくふっと消えた。


「大丈夫だよ、ちょっと血が出ただけだから。なんでもないよ」


 リュシアンがざらざらの頭を優しく撫でると、ギチギチギチと顎を鳴らしてごりごりごりといつにもまして激しく角を擦りつけてきた。相変わらずの溢れんばかりの愛情が痛い。


 エドガーが慌てて駆け寄ってきて、白いハンカチを血が流れるリュシアンの額に押し当てた。さすがは伊達にお王子様をやってない。相手が女の子なら間違いなくフラグが立ってしまう状況である。

 実際のところは、すでに無属性の自動回復でリュシアンの傷は治っていた。もともとチョビの爪でなければ、怪我さえしなかっただろう。

 そんなことなど知らないエドガーは心配そうに医務室へ行こう、と言った。この場を収めるのには、ちょうどいい頃合いだと思ったリュシアンは大人しく頷いた。


「……言っておくけど、今度、僕の家族に手を出したら許さないよ」


 すれ違いざま、リュシアンは問題の少年を見上げて静かに言った。

 それまで怒っていたエドガーが、思わず息を飲んだほどだ。その言霊に押されたように、喧嘩を売った少年などは足を掬われたようにその場で尻もちをついた。


(おっと、いけないいけない。ちょっとブラック出ちゃった)


 子供相手にすこし大人げなかったと反省しつつ、手のひらに移動してきたチョビを改めて異常がないか確認した。あれくらいのことで傷一つ負わないのはわかっていても、それと心配するのとは別問題なのだ。


(なんか僕ってば悪目立ちしてるのかな? まだ何もしてないんだけど……)


 今現在、学園での最年少。スキップで教養科Ⅱクラスからのスタート、そして従魔まで持っているとなれば、妬み嫉みもそれなりに受けるだろう。加えて、学園のお姫様であるニーナや、王族であるエドガーと親し気となれば注目されるのも無理はない。

 リュシアンはあまり気が付いてなかったが、実際にはめちゃめちゃ目立っていたのである。

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