彼方の真実

 何とも言えない表情の息子に苦笑して、エヴァリストは少しだけ流れゆく景色の車窓を眺めた。

 言葉を切った父親に、ここからが本番かなとリュシアンは気が重くなる。


「お前には兄がいた、第三王子のミッシェル様だ」


 ぽつりと、話を始める。

 公式記録では母親と実家への帰省中の馬車での事故死。そして本当のところは山賊に襲われての不慮の死……もっともこれさえも真実ではないことは、限られた人たちの中では周知の事実であった。

 今から五年ほど前のことである。

 助かったシャーロット妃も、この後なんとか王子を無事に産んだが、怪我の後遺症でそれからはほとんど寝たきりだったらしい。


「暗殺…」

「そうだ、そして首謀者は…」


 その続きを口に出そうとしたリュシアンを、エヴァリストは首を振って止めた。


「断言はできないし、証拠もない」

「でも……」


 重い溜息を一つ吐いて、息子の気持ちを慮るように少しの間沈黙する。

 いきなり兄がいたことを知り、そして既に暗殺によって命を落としたと知ったリュシアンの心中は複雑に入り乱れていた。まだ実感が沸かないということもあるかもしれない。


「あ、あの、それで母…シャーロット妃は…」


 リュシアンは知らなかったわけではない。ただ、それは教科書の中での事実でしかなかった。だから聞いてしまった。わずかな希望をにじませて。


 エヴァリストはすぐには答えず、やがて独り言のような口調でゆっくりと続きを語りだした。

 王は彼女の怪我の療養のために、実家にほど近い場所に離宮を用意した。そこで生まれたばかりの第四王子とともに、しばらくは静かに平穏な時間を過ごしていたという。

 そんな時、幼い王子の失踪未遂があったらしい。まだろくに歩けもしないはずの幼子が、屋敷の近くの林の中で発見されたのだ。

 見つけ出した数人は、その時おかしな証言をしている。

 王子は林の中で眠り込んでいたのだが、木々の狭間に反射する鱗のようなものが横切ったのを見たと言い、落葉を踏む獣の足音がわずかにしたと。そして真冬だったにも関わらず、助け出された幼子の身体はとても温かったらしい。

 その後、それは誘拐未遂事件だったと明らかになる。

 林を抜けた先のとある民家にかけ込んだ男が、王子を誘拐しようとしたことを白状したのだ。

 とても錯乱した様子で、輝く馬に突き飛ばされただの、でも鱗のような感触がしただの、あれは竜だったんだとか、とにかく支離滅裂な証言をして警備隊を混乱させた。

 結局、王族に対する誘拐未遂ということで犯人は王宮に送られたが、それからどうなったのかは、その証言の真偽と共に今となっては知る由もない。


 この事件がきっかけとなりシャーロット妃は王子を逃がす決意をする。王が、この事件を聞きつけて王子を手元へと呼び寄せることを危惧したからだ。

 それはもちろん、我が子を案じてのことかもしれない。けれど、王宮は安全なところではないのだ。

 何も知らずに腕の中で眠る可愛い我が子を、もう決して失うわけにはいかない。すでにミッシェル王子を失っている彼女は、その身に変えてもこの子だけは守ろうと心に決めたのだ。


 実家から連れて来ていた侍女数名と、知己の騎士に護衛を頼み屋敷から王子を逃がした。シャーロットまで姿を消すとすぐに計画が明るみに出てしまうので、身を切るような思いで我が子と別れるしかなかった。

 生きていてくれるならそれでいいと、祈ることしか出来なかったのだ。

 それから侍女たちはシャーロット妃の実家へと逃げのび、事情を了解した妹のアナスタジアは、実子として嫁ぎ先の伯爵家へと隠した。

 この事実を知っているのは、オービニュ家兄弟の中では長男のファビオだけである。

 もちろんこの王子失踪は、陛下の知るところになったが公式には引き続き母親と共に療養中との見解を示した。世間では失踪しただの、本当は暗殺されただのと勝手な噂も流れたが、どれも否定も肯定もされず結局のところ、遠方での療養中なのだろうと落ち着いた。


「シャーロット妃は馬車の事故から二年後、療養先の離宮で亡くなった」

 

 エヴァリストは、硬い声で最後にそう締めくくった。

 わかっていたことだったが、リュシアンは乾いた息を必死で飲み込んだ。さっきから口は何度も開くのだが、言葉がうまく出てこない。

 出会うことさえ許されなかった兄。そして記憶にないはずの母親。でもその胸に抱かれ、愛情を注がれたのだと痛いほどに感じていた。

 なぜ愛する家族が引き裂かれなくてはならなかったのか。

 胸の奥底にもやもやと渦巻く、初めて感じる激情に戸惑った。思わずリュシアンは、シャツの胸の辺りをギュッと握った。

 今までは、ぼんやりとした輪郭しかなかった血の繋がった肉親の理不尽な最後が、はっきりとした形で記憶に刻み込まれていく。


 その表情から息子が何を考えているのか、遠からず悟ったエヴァリストだったが、あえて口を挟むことはしなかった。この話をするにあたっては、もちろん幾許かの不安はあった。

 復讐に溺れるリスクが、絶対にないとは言えないからだ。

 リュシアンは何度も命の危険にさらされているし、現に実の兄と母は凶刃に倒れている。

 これを許せとは少なくとも言わないし、むろん罪は贖われるべきものだ。

 でも自分の息子が復讐によって歪むことは、きっとシャーロットの望むところではないとエヴァリストは思うのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る