騒動の行方

 フォレストグリズリー、それは立ち上がると体長三メートル前後にもなる大型モンスターだ。

 竜種や幻獣種など例外はあるが、動物型ではかなり大きい部類に入る。発達した筋肉に包まれた強靭な体躯に、金属をバターのように切り裂きさく爪、そして岩をもかみ砕く頑丈な顎。

 ランクで言うならB+ランク、本来ならこの森にいるはずのないモンスターだ。

 今朝から響いてくる振動は、その熊があたりかまわず木々を薙ぎなおし、大地を踏み鳴らしていたのが原因だった。

 数は、三匹。ほかにもモンスターが入り込んではいるが、厄介なのはなんといってもこの巨大熊である。

 なけなしの薬草園の柵と、すでに崩れかけた結界石による防御結界で辛うじて園の外周あたりに縫い付けているが、この前線が崩れれば一気に薬草園を抜けて屋敷の方へとなだれ込むことになる。

 

 三匹のうちの一匹は、エヴァリストとクリフ、ニールが対峙している。

 リュシアンは素早く目を走らせて、もう片方の状況を確認する。

 もう二匹は、少し離れたところにいた。

 すでに傷を負った騎士数人と、彼らから少し離れて立っているピエール。その周辺には、なぜかチンピラのような男たちが累々と転がり、数人はすでに事切れているようだった。

 どう見ても仕掛けた側であるチンピラたちが、なぜやられているのか疑問に思ったが、とにかく今はこの状況を少しでも有利にすることが先決である。

 急いでカバンの中から一つの巻物を取り出した。

 その時、ふとピエールと目があった。リュシアンを見て、驚くその瞳には絶望の色が浮かんだ。なぜ来たのだと誰何するようなそれに、リュシアンは振り切るように視線を外した。


(こっちだって言いたいことはあるけど、今はそれどこじゃない!)

 

 持っている魔法の巻物は五本。

 風と闇の補助魔法が一本づつ、炎の攻撃魔法が二本、あとは水の攻撃魔法だ。本当は水の回復魔法があればよかったが、正式な魔法陣の写本には回復魔法は載ってなかった。載っていたのは、例のとんでも眉唾本。

 超級回復魔法で、その名もフェアリーサークル。またしても冗談のような五連魔法陣である。範囲効果で状態異常解除と傷回復の重複魔法、とのことだった。

 水魔法の属性を持つ者でも、これを扱えるものは今はほとんどいないという。なにしろ必要になる魔力量が半端ないらしい。

 巻物にすると五本必要で、嵩張るうえにそれぞれ全部探している間に戦闘終わるんじゃないかと、リュシアンは余計な心配をした。


「何をしに来た、リュク! お前は下がってろ」


 そうこうしてる間に、父に見つかってしまった。熊との一進一退の攻防中のエヴァリストは、こんな戦場にのこのこやって来た息子に叱責の怒号を浴びせたのだ。わかってる、本当なら五才児がこんなところにいていいはずがない。でも、ここで帰るわけにはいかなかった。


「……父様、少しだけ下がってください」


 あえて父の叱咤に耳を貸さず、手に持った巻物を振るようにして一気に広げた。素早く、小さな手のひらを滑らせる。

 瞬間、フラッシュのような光とともに描かれた魔法陣が剥がれ、そのまま円陣が目の前いっぱいに展開された。鮮やかな黒く輝く魔法陣にギョッとしたが、すぐに効果は表れてモヤモヤと霧のようなものが発生した。

 対象は範囲、闇魔法のブラインドである。

 いわゆる指向性の霧、幻惑魔法だ。特定の相手の命中率が著しく下がるというものだ。

 

「あっ、熱っち!? うわっ、アッツ!」


 手に持っていた巻物の中央が、剥がれたはずの陣の形に熱を持っていた。ちょっと火も出た。


(結局、燃えるのかよっ!)


 確かに一瞬で燃え尽きはしなかったが、真っ黒に焦げている。つまむようにして持っているが、とにかく熱い。おまけに、リュシアンの前髪はまた燃えた。このままでは前髪が無くなってしまいそうだ。


(なんで? 僕の錬金がダメだった?それとも、魔法陣が剥がれたあと燃えたから、摩擦が多かった? ほら、マッチみないな感じで?)


 せっかく作った巻物は一回でダメになった。

 あの苦労は一体なんだったのかと、思わず途方に暮れてしまう。

 ともあれ魔法自体は無事に発動された。今は、それが重要である。魔法を食らったフォレストグリズリーはものの見事に空振りを連発していたのだ。


(よし、目つぶし攻撃は有効だ)


 突如空中に発現した魔法陣に全員の視線が釘付けになったが、非常時だった為そのことに言及する者はいなかった。あえて言うなら父、エヴァリストのジト目が気になった。

 リュシアンは、気が付かないふりを貫くことにして、もう一つの補助魔法、風の防御系魔法も加えて使って、この場の戦況をさらに有利にした。

 いちいち燃える巻物に辟易しながらも、リュシアンは次は火の魔法が入った巻物を手にする。

 

 幻惑と防御魔法のおかげで、エヴァリスト側の形勢はなんとか均衡を保つまでには回復していた。

 こちらを気にしている様子は見せるものの、とりあえず父はリュシアンを黙認することにしたらしい。あとで覚えとけよ、的な感じかもしれない。

 そして、問題はピエールの方だ。

 騎士数人でグリズリー二匹を相手になんとか持ちこたえてはいるが、傷だらけのピエールが小さなナイフ一つ持ってその場に佇んでいた。

 戦いに参加するわけでもなく、立っているだけ。いっそ騎士たちに任せて逃げればいいものを、なぜか逃げないのだ。

 そのせいで、むしろ戦う騎士たちの邪魔になっている。なぜか熊はひどく興奮状態で腕をふりまわし、地団駄を踏むように足を踏み鳴らしていた。

 その辺に散らばるチンピラどもが、さっきからヨロヨロと起き上がろうとしては興奮した熊によってなぎ倒され、踏みつぶされていた。時々聞こえてくるカエルが潰れたようなうめき声は、転がったチンピラを暴れまわるグリズリーが蹴散らしているためだ。

 本来戦闘員でないエヴァリストやクリフの方が、こちらの鎧を着た騎士たちよりも傷が浅いのは、恐らくこの熊の興奮状態の違いだろう。

 そのことに気が付いて、素早く視線をピエールに向ける。

 原因はすぐにわかった。腰にぶら下がっている小さな巾着袋、そこから時折さらさらと粉状の物が落ちていたからだ。


「ピエール、その巾着袋を捨ててっ!」


 暴れるグリズリーを見つめる少年は、その声に反応しなかった。恐怖で足がすくんでいるのか、もしくは……すべて覚悟の上のことなのか。

 そして鋭い爪を持つグリズリーの腕が振り上げられた。


「あんの馬鹿ッ…!」

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