第12話

皇太后の御愛用される紅茶は、独特の香りと風味がある。アオが苦手であることを知っているのが、自分だけその紅茶を飲んで、アオには蝶国で一般的なものを淹れてくれた。

「やっぱり生まれ育ったところの紅茶が一番でね。どうしてもこれが飲みたくなっちゃうんだ」

そういって優雅に微笑む皇太后は、人知れず苦労してきた過去を持っている。それを労う意味でか、上皇は60歳で早々と引退し、この離宮を皇太后のために建てたのだという。


「あの……お時間とってもらって、すみません。実は、相談したいことがありました」

「……カインのこと?」

「……彼の問題というよりは、自分の問題なんです……」

皇太后も察しがついていたのだろう。昨日突然訪問したい旨を伝えたときも、ただ一言、「すぐおいで」と言っただけだった。

「どうしても、決心がつかなくて……。カインはずっとわたしのために待っていてくれているのですが……」


この一か月、本当に穏やかな時間を過ごした。城の本館で暮らしていたときは、やはりどこか肩が張っていたのかもしれない。ゆっくり落ち着く時間というものがそんなになかった。自分の仕えるべき人が、すぐ側にいたからかもしれない。

それがカインの家に引っ越してから、不思議とリラックスできるようになった。カインはアオよりもずっと年上で、カインの前では多少弱いところがあっても許されるような気がした。

自分のこともたくさん話せるようになった。五人兄弟の末っ子であること、ショウタとは幼馴染としてずっと一緒だったこと、蝶国に来てからのこと。


カインが留守の時は何となく気になるし、仕事でケガをすると、すぐ治ると分かっていても心配になる。カインもアオのことをずっと気にかけてくれているし、もっと甘えろと言ってくれる。

だけど、やっぱり一線を越えられない。自分がカインの全てを受けいれて、やがてショウタのように彼の子どもを産むというところまで決意することができない。

彼が手を出して来ないのをいいことに、いつまでも答えを先延ばしにしているのだ。


「……一緒に暮らして、どれくらいになるんだっけ?」

「もう一か月以上です」

「……そう、あの子、そんなに忍耐してるんだ……」

褒めるというよりも、感心するというよりも、何故か皇太后は悲しそうな顔をした。

「本当だったらね、蝶の一族みたいな血の気の多い連中は、相手を気に入った時点で全部奪っちゃうものなんだよ」


皇太后も18歳の時、実家の菓子屋の軒先でお菓子の販売をしていたところを、突然気に入られてしまい、独身であることを確かめられてすぐ連れ去られたのだという。

「泣いても喚いても許して貰えなかったし、強引に蝶国に連れ帰られちゃうし。両親にも会わせてもらえなくて……。一回逃亡しかけたことがあるんだけど、そしたら監禁されちゃって。もうほんとに嫌になっちゃってね」

30年前のことが昨日のように目に浮かぶのだろう。皇太后はアオではなく、遠い空を見ていた。


ショウタも似たようなものだった。蝶国に来てファロと面談し、何故か気に入られた彼は、翌朝は酷い状態だった。

皇太后と違うのは、ショウタは一年前から自分がそうなるという覚悟があったことだ。そして、まだ見たこともなかったファロ皇帝を愛すると決めていたことだった。

「ほんと、息子はいいお嫁さん貰ったと思うよ」

まだ安定期前で、夫婦揃って缶詰になっているわけだが、二人は何だかんだ幸せそうだ。


「あの、じゃあ皇太后さまはどのような心境の変化があって、上皇さまを受けいれるようになったのですか?」

「ハンガーストライキしたら、ガチ泣きされちゃって。この人世界最強なのにこんなところが弱いんだと思ったら、可笑しくなっちゃって。なんか吹っ切れたんだよね」

頼むから死なないでくれ、お前に死なれたら俺も死ぬ、と散々泣き喚いたらしい。世界最強の戦闘民族の頂点に立つ男の見っともない姿に、この人本気で自分を愛しているんだ、と納得したらしい。


「でもね、あながち嘘言ってたわけでもないんだって、すぐわかった。カインの両親の一件があって」

カインの父はその時近衛隊長で、皇太后よりも一年前くらいに、やっぱり人さらい同然で連れて来たお嫁さんがいたのだという。

しかしその嫁は、皇太后のように夫を受けいれることは終になかった。弟のアベルを出産し、そのアベルが三歳になったとき、『義務は果たした。探すな』という置手紙を残して消えたのだという。


「近衛隊長はね、奥さんの実家に大きな借金があったのを盾にして、その借金の肩代わりに奥さんを連れて来たんだ。奥さんも借金を払ってくれた恩があったから、10年間一緒にいたみたいだけど、もう十分だと思った途端に姿を消した」

「それでは、カインさんのお父さんは、奥さんを追って出国したのですか?」

どうしても国外で暮らしたい嫁がいるときに、まれに蝶の一族が外国で暮らすことがあると聞いたことがある。子どもの教育は他所では難しいらしいが、夫婦二人だけなら、国外で暮らすこともできるのかもしれない。


「……いや、彼はもう奥さんとの結婚生活が破綻していることを理解していたからね……」

その先、皇太后は言い淀んだ。迷っているようだったが、アオをちらりと見ると、決心したように告げる。


「死んだよ。衰弱死した」

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