五章【純白の白紙に……】

第1話〔じゅんぱくのはくしに……〕①

 もの凄い衝撃が体を奔り、自分が死んだのだと知った。残してしまった私の半身は一向に戻らない。でも、私はいつまでも待ち続けたい。彼女が私である限り、私達の望みは一緒なのだ。


 ――こんなに幸せな気持ちは死んで初めて感じる。




  *




 親が妹を別の場所に移す言った、僕はそれを拒む。何故なら人々が噂するあの病院は、死ぬ人間が行くところだからだ。今となってはそれが間違いだと言うことを僕は目の前の、本当の妹から聞く。


 ――久しぶりに感じるこの幸せを二度と間違えたりはしない。




  *




 嵐は去り、体は残骸と共にどこかの岩礁に打ち上げられていた。手に残る母の温もり、最期まで握っていた手が今も腕だけとなって繋がっている。両手で抱え込み、涙を流した。


 何も見えない。何も聞こえない。何も漂わない。何も舌を濡らさない。何も感じない。でも、何故か心は残っている。闇に飲み込まれ、闇に落ちた後もずっと心だけは堕ち続け、鮮やかな故郷と懐かしい鐘、海風臭い、舌が塩がらく、首を巻く温もりが愛おしく頬を濡らす。


「かあ――さん――」


 振り返らぬ瞳映る、あの姿――。


「おかえりなさい、頑張ったわね」


 ――あれから一度として流れなかった頬の熱さを感じる。


 ここがどこだろうと、誰が望まなくとも、彼が完全に消さなかった理由など。――今はゆっくりと考えることが出来る。


 ――理想という、生涯を掛けて誰もが辿り着く幸せを。




  *




 元気を振り撒く別れの手振りが、右に左に大きく動く。


「お姉ちゃん、今度は元気な時に来てね」


「私はいつだって元気よ。美音こそ、負けないようにね」


 松葉を支えにした女の子と変わった医者の見送りを受け、二ヶ月の通院生活との別れ。


「ねぇお父さん、お姉ちゃん病院に居る間いつも元気ないね」


「そうだね。きっと、病院が嫌いなんだよ」


「お姉ちゃんも薬の臭いが嫌いなんだね」


 ああ。と、頭を撫でる医者はどこか哀悼を表する。


「完治おめでとう。せっちゃんなら三日で治ると思ったが」


「私はどっかのアニメに出てくる緑の宇宙人じゃありません」


 もくもくと出入り口の陰に隠れ、声をかける前から気付かれていたことに不審を持って体を立たせた女店長が煙草を口に銜えたまま、自分の存在がバレた理由を上に納得をもって口を開く。


「それでどうするか決めたの? 返事は今日までなんだろ」


 こっちの歩みに合わせ、二つの歩が揃って路を歩き始める。


「――やっぱり、あの事務所で住むことにします。だってあのビルは許婚である洸の所有物なんだから、私が所有する権利が有ると思うし」


「むう、権利所有にそんな特権は存在しないと思うが……せっちゃんならそれで押し切れるか。それに、本人が聞けば渋々納得するだろうね」


「それはそれとして、問題はあの女。いつまで居候するつもりよ」


「居候って、君も代わらないと思うが。彼女は滞在手続きを取ったから当分は勝手にするはずだ。修行の一環と言っていたが、目的は他にあるだろう」


「ちゃんとお金は出してるからいいけど、今日なのよ連絡」


「困ってるのはこの間一時帰国した……卓真君だったか? 大分苛められていたようだったが。ところで連絡はどっちだと思うかねイチャイチャ刹那ちゃん」


 ここ最近、暇があれば思い出したかのように言う言葉。思い出しただけでも恥ずかしくて過去を消したくなる。


 二ヶ月前、記録にはしっかりと載っているが。店長、由利さん自身は身に覚えがないと何一つ覚えていないらしい。覚えているのは何らかの騒動に巻き込まれて怪我をしたということで、事務所に居る居候な女も似たようなことを言っていた。


 しかし、洸との付き合いが長いだけに直ぐに理由は推測したものの、印象に残されているのはあの日の恥じ。あんな人数に見られてしまったことが今でも腹に立つ。


「おっと失敬、これは言わないでくれと言われてたな。でも若いってのは恥を作っていくことで成り立つ」


 目尻を押さえたこっちに対する僅かながらの思いやりも、語尾につれて意味をなくす。


「そんなことを言う由利さんだって、あの宅配屋とは上手くいってるみたいじゃないですか」


「なんて馬鹿を言う。この前も仕事を掘って途中に会いに来たから叱ったばかりだ。なんの因果か、頼まれたばかりにあんなのと出会うとはね」


「情けないけど悪くないと思いますよ。今日だって来るんじゃないですか?」


 思わず遣り返したい気持ちが、一笑となって口から出た。


「ちゃらけは終いだ。結果の予想を聞かしてもらおうか」


 最近になって煙草を控え始め、本当なら直ぐにでも次の葉を吸いたいだろうことを抑えた話題の追求力。


「そんなの決まってるわ。人様の人生を滅茶苦茶にした奴を私が、放っておくと思いますか?」


「そうか。それは結構、私も同感だ」


 今の私に過去を背負える力はない。もしも、勘が外れていたら私はどうなってしまうのだろうか、そう思うと眠れなかった日もあった。


 そう。私の人生は真っ白で、他人の紙にばかり書き込んでいる。一人で書くなんて出来もしない。だけど二人で書くなんてことはしたくない。私は一生、彼の人生を奪っていくつもりでいる。


 だから――私の綺麗な白紙に、彼の人生を書き込んで欲しい。


「いい顔だよ、せっちゃん。それで迎えれば大丈夫だ」


「私はいつもいい顔です」


 空は雲一つない真っ青で、もう直ぐ――春が舞い降りる。




  *




 やけに頭の風通しがいい。二ヶ月で随分と伸びたがこれでは前の髪型になるには後二ヶ月は先になりそうだ。


「全く、事務所まで送ってくれてもいいものを」


 死の淵を彷徨って着いた場所は日本から遥か遠い国。治療の段階で何故海を越えたのか、向こうの方針に助けられた以上文句は言えない。


 こっちにはそれとなく連絡が云ってるみたいだが、恐らくは生死報告はまだのはずだ。このまま帰る場所がありませんという落ちも有り得る話しだ。


 と、それはそれで良いと思っていたが。心配は懐かしい廃ビルに揉み消された。


「おかえり。待ってた、遅い」


「ああ、二度も約束を破ったな。謝罪を込めて、なんか良い紅茶らしい物を貰ってきた」


 偶然階段を下りてきた少女はあの日の出来事を掠め、初めて会った時の全ての印象を増した美しさで上書きを強いた。


「皆は上に?」


「由利、刹那を迎え行った。ワタシ、一番」


 考える想像の中、あまりの的確さに溜め息を吐いた。


「困ったな、きっと彼女のことだ」


 自分が一番と決めていたに違いない。


「二人、帰ってきた」


 振り返り――脳裏に浮かび上がるのは――。


 ――癇癪を起こす、彼女の姿だった。




  *




 先に誰かと話しをすると言った切り、もう二十分にもなる。


 薬品の臭いは大嫌いだ。だからって外に居ては、暑さで倒れてしまいそうだ。


「ん? なんだ、これ――」


 それは今朝車の中から見た真っ白な鳥だった。


 手に取ってよく見れば、へたくそだが父さんの言ったとおり紙通の材質と作り方で折ってある。ただ、僕の知らない紙通が有ったことが、どこか気に喰わない。


「なんだよこれ、こんな折り方してたら飛べないよ」


 捨ててやろうかと思ったが、悪いとしって中身を開ける。


 ――真っ白な白紙。


 手紙は内容どころか、手紙としての意味すらない。


 ふと思い出した。最近では自分宛に紙通を送って性能を試すとかいうやり方のことだ。でも、こんなへなへなでは飛ぶ物も飛ばなくなってしまう。


 仕方なく僕は、いつもポケットに入れているお気に入りのペンで中に――へたくそ。と書いて折り直した。


 折り目に沿って折った割りに出来は見事な鳥。


 そして僕は空に向って紙を飛ばした。


 ――真っ白な、僕の白紙を――。

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白紙の許婚 シン @Sinn_novel

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