第5話〔ひけんみらい〕⑤

 あれから一日が経とうとしていた。跡を追うことは比較簡単に、相手が誘っているからだろう。霊絡は自宅からはっきりと或る建物へと続いていた。直ぐに発つのを考えたが、血塗れの知友を捨てて置くのは忍びなく。手当てをした後ふと思い出した宅配屋を任せ、家を出たのが昼を回り出した頃。


 直ぐ戻ると行ったが、一時間して彼女自身が戻らないということが、待ち合わせ場所に彼女が居ないのを指し示す。結果目的は二つに増え、何年振りかに押入れから出したジャケット一式が着慣れない不快を手や肩に締め付ける。






 家を出たのは昼だ。しかし、目的の場所に着いたのは二十二時を回った時だった。場所は自宅からそれほど遠かった訳じゃない。普通に歩けば一時間もしない。道草が往復九時間でなければっくに結果はどちらかに転がっていたはずだ。


 空は暗い。月は徐々に暗雲に消えてしまいそうだ。それを手助けしているのは、この学校の屋上に見える謎の暗幕。きっと先の爆音に関係していることは間違いない。


「暴れるなと言ってるはずだが……仕方ないな」


 情報が確かならここは彼女の学校だ。自分の母校を吹き飛ばしかねない力を使うのは、類をみない個性と言うべきか。


 直接向いたいが、巻き込んだ手前先に済ますよう用事がある。






 名門と謳われ、顔になる入り口は名に恥じぬ優雅が携えられている。のに、中の空気は優雅とは言えぬ重たい臭気に満ち溢れ、進むごとに元来た場所へと引き返したくなる。


 なんとも粘り強い、淀みきった厭な臭い。――それは三階に着いた時、正体を眼前の前に現した。


 廊下に散乱する瓦礫は教室に大きな丸口を空け、そこから排出された物だろう。窓は枠となり、瓦礫に埋もれた――。


 ――死体・死体・死体・死体・死体の数。


 一目では瓦礫の間から覗く数すら数え切れない。思わず鼻を押さえたくなる悪臭。空気に混じれて舌に鉄の味が粘り付く。


 玄関からしていた気配は丸穴の空いた教室からではない。さらに奥、一つ超えるごとに規模は小さくなっているが、近付くに連れて通る教室は全て明日からの授業は困難な被害を受けている。


 四つ目の教室。ここは他と比べて外面的な被害の痕跡は見当たらない。しかし、来るまでに転がっていた死体とは全く別種の気配と臭気が明らかに強い。鉄に混じれた甘ったるい臭いと悪臭。


「――ぁ、――ぁぁ、、やめ、……ぁ」


 予想は的中して思わず後じさる光景。


「っは! さっきから何度言ってんだよ! 好い加減気付けば?」


 散乱する木片と鉄の残骸に囲まれ、中心に出来た人の群がり。異なる臭気はそこから発展して周囲に溢れ返っている。


 考えただけで奥歯が歯茎に埋まりそうになる。


「ぁ! ぁあ……」


 消していた圧が高まり、当然それを感じ取った群れが、こちらを一斉に注視する。


「あれ? いつ来たんだよ、気付かなかったぜ。丁度いいや、こいつなぶるのも飽きてよ。相手してくんない?」


 ドサリと、抵抗など微塵もみせぬ供物が瓦礫の上に落ちる音。円に群れをなしていた集団が、中心から現れる代表者が通る道を作って引いて行く。


「種明かししたかったんだけどな。見られちゃたから意味ないっての、ってことでこのまま遣るぜ。ん? おまえ服変えたのか。ああ前のは俺が裂いちまったのか。でもよ、そっちのが喧嘩には似合ってるぜ」


 一斉に構えられる拳は五十を軽く超えている。


 それだけの数で――、彼女は――。


「おっと、一斉に遣ったら直ぐ終わっちまうな。一人ずつが手頃だな。いちお俺の攻撃受けれるんだろ? 長く行こうぜ」


「早くしろ。俺は他用を持っているんだ」


「っは! 負け犬の意気込みは嫌いじゃねぇぜ!」


 拳を覆う霊圧。これこそが霊撃戦闘、素手を主体に置く式の真骨頂である。その一撃は、並の術者ですら人を破壊する力を拳に宿すことが出来る。


 本来、霊力とは物理干渉をしない性質を持つ。それを干渉するまでに高めて放つ、それは霊能力者として上位を示し、世に知れ渡った最大の理由。


 だからこそ初歩にして最大の利点が霊撃にはある。拳に溜める力は、全ての霊術を支える互換性を最大に利用するのだ。霊学の授業ならば最初に訓練を行う霊撃だが、凡ての基礎だけに極めれば最強と成り得る可能性を秘めている。


 つまり、馬鹿でも使える技こそ最難にして最強。


「先に言ったが、だれも負けてはいない」


 残骸を踏み台に、吠える拳が稲妻の軌道を描いて降り下りる。


「それが負け犬って言うんだよー!」


 しかし雷鳴のような一撃が顎を打ち抜く、吠えた男の滞空時間を継続させ、跳ねて踊る破片は背から激突した男のスーツは雨霰と破け、起き上がった驚愕と怒りの身から破片が滑り落ち床と鳴る。


「なんだよ今のは! なにしやがった!?」


「折角の整えが台無しだな。ま、複製物なら問題はないか、代わりはいくらでもあるようだ」


「っく――」荒々しい喧嘩腰が立ち上がる。


 狂犬染みた風格は外見には全く似合わない。これでは子供、不良の領域だ。


「前は手を抜いてたのかよ。胸糞悪いぜ、なめやがって」


「十分本気だ。元々俺は霊撃は得意じゃない、得意なのは――」


 ――誰だろう。


「二人で同時にやれ!」


 群れの先頭集団に居た二体が左右に散開。両側面からの攻撃は、二発にして一撃となる息の合った同時攻撃となって腹部と頭部に打ち出された。


「――っは! 器用な奴だぜ」


 頭蓋を砕く鈍い音と、床に口を付ける二体の亡骸。


 ――口元を緩ます統率者が、甲高い声を発散する。


「くっくっくすげぇな、真似出来ないね。化け物だよあんたは」


「ああ……分かってるよ。で、逃げるか?」


「ちっ、胸糞悪いぜあんたはよ。だがよ、背のやつは二本しかねぇぜ。本物合わせても四本、俺達の手はそれ以上だぜ」


 腰に手を入れ、顔を乗り出して憎しみと楽観の視線が背の二手に向けられる。


「ああ、二本が限界だ。これ以上は俺も白にならないとな」


 肩甲骨から伸びる二本の手。それは互換力を極限に高めることで手に入れた一時の義手。形こそ手だが、中身は景色が透けて見えるほどに虚無。


 しかし人を殴るに申し分ない二臂にっぴは、人云う神業となろう。


「次は全員で行くぜ、その後俺が直かにやってやるよ」


 これ以上――時間は食えない。彼女の為じゃない、さっきからこの愚図が限りなく無いに等しい痛憤区域レットゾーンを――。


「好い加減自覚しろ。オマエの存在価値が、死だということに」


 ――的確に射ているのだ。


 外から機関銃さながらの白線乱射が窓を撃ち抜く。割れ荒れる轟音と次から次に血を撒き散らす人の群れは地獄絵図すら描けそうな程に乱れ狂い、発狂を繰り返し――――跡に残る静寂。


 撃ち尽くされた窓は透き通る物のない透明。枠だけとなってもそこに硝子板が在るのではないかと思うほど平然と依存していた。


 教室は依然荒れ狂ったまま、弾丸が床に無数の穴を空けたにも関わらず一つとして見当たらない。見えないのではない、遮られているのだ。人という肉壁が散乱して隠された穴は、一つとして視界に入ること叶わない。


 ただ二つ唯一の空き地。そこには一人の女と、死に損なった達磨が転がっている。


「ごほ――、がぁ……あ」


 瓦礫の山は今では肉の山。踏み心地は夢を見ているようだが、瓦礫なんかよりは悪くな

い。


「はっ……失敗したぜ。こんなことなら全員で楽しむんじゃなかったな。けどよあの女、予想以上につぇえな」


 その通りだった。来るまでに転がっていた死体が敵になっていれば、達磨として転がっていたのはこっちだっただろう。


「だがな、あの女はそれでも馬鹿づぇえだけだ。化け物だぜ……、アンタはよ――――」


 最後の土産を言い放ち、首が横に落ちた。


 明らかな絶命と真実に心は全く痛まない。意外なのは猛犬な性格とは裏腹に、死に顔はしおらしく綺麗なものだ。


 相手への興趣は終わり。一時間近く消費した無駄は、直ぐに消化しなければならない。が、次に割く時間こそ無益を目的とした哀歓となろう。


「……すまない、全て俺の所為だ。こんな目に合わせてしまった」


 目は腫れ上がり、乱れた服は見る影もなく破損して、繋ぎ目からぼろぼろと傷み濡れる素肌が見え隠れする。白髪はさらに白く、雪のような儚さと淑やかさで整えられていた顔は精液に塗れ、十八とは思えない美形な乳房が乱暴に裂かれた胸元で大きく呼吸をしている。


 絶え絶えに、呼吸と勘違いしてしまいそうな呼び声が、余喘よぜんを吐くように必死に上下させている胸からコウ――と確かに出して鼓膜を叩いた。


 仰向けに横たわる少女の胸を覆うようにして自身のジャケットを被せる。と弱々しかった呼吸が徐々に安定していく。そして完全には整っていない段階の、か細い声が一言を告げる。


「……おそい」


「ああ、分かっている、君はよくやった。だから休んでてくれるかな、後で必ず迎えにくるよ」


「うん。……動かないで、待ってる」


 僅かに空いていた瞳を閉じ、少女は眠りに着く。


 今は未だ洗い取ってやることは出来ない。が、直ぐに戻って来ることを何度も自分に言い聞かせ、肉山を歩き出した唇から気付かぬ内に流血は垂れていた。




  *




 到頭とうとう月は夜さえ蔽った暗雲に姿を消した。清風は冷風となり、周囲に充満していく寒気は死さえ見通せるほどに危険な息を吐かせていた。


 名門と謳われた校舎の屋上に柵はない。足場は荒れて至る所にヒビが入り、粉砕されたブロックはそこら彼処かしこに粉々と散っていた。


「うん、十分合格だね。ちょっと暴れすぎだけど」


 すっかりと吹き消えた砂埃に、鮮明に映る状況下の中心で立つ足は二本しかない。しかし、荒れた足場には二つの影が投影されている。そして地に映る一つの影は、一本の棒で頭一つ抜けたもう一つの影を持ち上げているのだ。


「が――ハァ――」


 本の少し、爪楊枝でも折る時の力さえ加えれば折れるだろう首に食い込む五本の指。


「これだけ痛んだ体じゃ抵抗は無理か。もう少し楽しめると思ったけど、時間は丁度いいみたいだね」


 女とはいえ軽く四十を超える人の体を持ち上げていたか細い男の腕が大きく横振るわれ、なんの抵抗もなく宙を舞う身。


 質量を無視していた細い男の腕とは打って変わり、世界は節理に沿って投げ出された刹那の体を、真下で腕を広げた男の中に落とし入れた。


「上手い上手い」


 パチパチと童子染みた笑顔の拍手。


「おまえか。想ったとおり並じゃないな」


 腕で動かぬ身柄を入り口脇の壁に預け、唇を真っ赤に染めながら相手との目礼が交わされる。


「あれ、僕初めて会ったと思ったんだけどなー。会いました?」


「こうやって互いに意識して会うのは俺も初めてだ。が、前に花壇で同じ霊波を感じたことがある」


「そっか、あの花壇ですね。付けてましたから、その子の跡を」


「知っている。十三年前からだと言うことも」


「可笑しいねそれ。十三年前、僕は貴方の姿を見たが、見られた記憶はないんだ」


「ああ、見ていない。これは依頼だ。俺は彼女の両親に頼まれて、水緒刹那に害をなす全ての脅威を排除する為に、側にいる」


「ふーん、それって偽善なんじゃないかな? 僕は絶対に仕事でもしないよ。自分の親の仇を守るなんて、仕事はね」


「自分の宗教を流行らせる為に日本に来日したのか?」


「はは、違うよ。僕は、僕の世界を作りに来たんだ。それに貴方は邪魔な存在だ。是非死んでもらいたいんだけどなー」


「話しが早くて結構だ。こっちも時間を急いている、直ぐに終わらせてもらうが」


「〝無止の魔眼〟だね。万物を選ばず、自らの内に収める神懸りな魔の瞳。それを持っていたのは歴史上でナザレだけと記されていた。あの有名な、イエスだよ」


「そんなにお喋りが好きなのか?」


「うん、そだよ。だって死んだ人間は話せないからね。だけど僕の世界はそれさえ覆すんだ。死者さえ口を開く、素敵でしょ?」


「くだらない妄想だ。子供の遊びに付き合う時間はない」


 上昇に上昇を重ね跳ね上がる霊圧に、異常に長いシャツの裾は下から微風に煽られているかのように軽く靡く。


「知ってるよ、貴方の戦い方は全部ね。基本は霊布を使って作製した物を飛ばして相手の急所を的確に撃つ。だけど僕の白に紙は使い切ったんじゃない? 普段はその服の下に隠してるんだよね。もし残ってるなら、それくらいの風だと靡かないよ」


 真実ばかりを言い当てる銀髪の青年は、未だ仁王立ち。まるで手を合わせる気など毛頭にないと言わんばかりの余裕の微笑み。


 そして二臂を背に、紅き眼の霊師が疾走する。幻覚のような二手と現実の二手、計四本の腕が纏う圧が果てのない上昇を終えずに。


羽根の様にI aspect a feather.


 先手を取り、疾走したはずの相手を上回る速度。それこそ消えたと言えるほど見事な視界からの消失。それを銀髪の青年は僅か一歩分の脚力で生み出し――右へ、移動した場所は囲いのなくなった崖の、常人にすれば半歩手前。


「わ!っと、危ない危ない久しぶりだと加減がむずか――」


 予想だにしていなかった攻撃が、崖を手前に踏み止まった青年の顔を目掛け――僅かに掠って突き抜けた。再び消える青年の消失移動はもはや姿すら確認することが出来ない。それに、さらに予想外の攻撃がワンテンポだけ遅れて掠り抜いた。


 繰り返される、消失・遅行・消失・遅行、は数えること四十手の攻防の後、互いに距離を置いて止まった。


「はは――凄いね。魔術で強化した速度に付いて来る生身の体なんて初めてだよ」


 幾度と繰り返された紙一重の強襲が、青年のスーツに白いミミズを奔らせていた。しかし、全ての這いずりは直撃となりうる時差で突き出された拳を常人離れした反射でかわしてこそ出来る痕跡。


「白師と聞いていたが動きは大したものだな。本来白を大量生産するのに長けた白師本人は、複製物よりは劣らないものの、それほど変わりはない筈だが」


 繰り返された攻防の間、一度も止まることなく圧の上昇は続いていた。既に、四手を覆う圧は一本にしたところで気が遠くなるほど厚みを増している。


 そしてこの異郷を戦場に戦う二人の異常者は、五分間もの壮絶な攻守に、息さえ乱していない。


「僕の白見たよね? あれは僕の細胞から作り出した複製。白にしたのは実験段階で未完成だった力の再現を補う策の一つ。あんなのより弱いなんて、思わないでね」


「なに? つまり白を作り出したのは気紛れといいたいのか?」


「そっか。貴方は僕の研究を知らないもんね。こっちだけ知ってるのは失礼だから少しだけお喋りしたいなー?」


 と、目で承諾を促がす銀髪の青年。


「特別だ。興味はあるが手早くしてもらいたい」


「ご清聴ありがとう御座います。さて僕の研究、それは人間を強制的に白化させる理想郷の力、なんですよ」


「馬鹿な。白とは最悪な欲から生まれる悪例だ。いわば奇跡にすら及ぶ偶然の積み重ねが一致した時、人は白化する。故意に望むことなど神にでもならない限り叶わないはずだ」


「その通りです。僕の研究が導き出した答えは、否。人を人の力で白化させるのは無理なんです。だけど僕は、諦めずに研究を続けた結果辿り着いたのが、――白化の促進。可能性のある人物の心に直接白化をイメージさせ偶然の発生率を高めた」


「それの成果が偽白の集団か。確かに初めて見た時、白かどうかを確かめたくらいの違和感があった」


「ほんとに凄いなぁー。違和感を感じるだけの霊視力、貴方は本当に優秀を超える才能を持ち合わせて生まれてきたんですね」


「そうでもない。俺は――」


「俺は? どうしましたか?」


「いや、なにもない。それよりもそろそろ決着をつけたいんだが」


「そうですね。貴方の霊圧それ以上はきついでしょ? 自身が余裕でも肉体は別種で動いてますからね」


「ああ、当たりだ。そろそろ発散させないとキツイ」


 そう言う間にも二臂と両手の圧は増え続けている。もしも、並の霊能力者が現状までに溜まった霊圧を駆使していれば、留まりきらぬ圧の波が周囲に発散して、屋上は一つ下の階を突き抜けて三階の教室から天井を失くしてしまっている。


 現時点、全くの周囲影響を及ぼさなかったのは、彼が霊師として最上に位置している証拠でもあった。しかしそれも限界を迎えつつある、このままその時を迎えれば彼自身を起爆にして校舎は半壊した状態のまま、明日の授業を行わなければいけないのだ。


 ――黄金の瞳が燃ゆる。


「なら、どうしますか?」


「どうする? なにを言いたいんだ」


「なにを言いたいのかは言えません。けど、これが最後のお喋りにして僕は真剣に相手をします」


「そうか。だったら早く終わらせろ、こっちは急いている」


「分かってます、僕も巻き込まれるのはごめんですから。それでは最後の議題。僕の目的は白の生産、それを助けるのは彼女が白化した時に得る能力。十三年前、貴方の両親を白化させた力です」


「熱心に機密を洩らしてくれるのは構わないが、根本が理会できないんだが」


「それが議題です。結論付ければ、十分もしない内に貴方は死にます。ただそれだと、面白くないと思うんですよ。だから僕がなにを言いたいのかを当ててください。でないと、洸さん。死んじゃいますよ」


 にこりと細目で意味ありげな微笑み――が一瞬で消失する。


 数分前の繰り返しと思われた先手を変えての開戦。それが今度は一方的な展開を繰り広げる。


 右へ左へ上へ下へ――上下左右は関係なしに飛び交う銀髪。そこから繰り出される一撃は次々と棒立ちする体を打ち付け、一分足らずで膝は地に屈した。


「なんだ……体が動かない?」


 下からの一撃に跳ね上がる顔。それを見て、一分間の消失を繰り返していた銀髪の青年は足を止めて笑う。


「ははは、早くしないと予想より早く死んじゃうよ。体が動かないんじゃない、証拠に指を動かせば動くはずだよ」


 言うとおりに指は動く。他の部位もそれは変わらない。が、疑問はそこではない。動かない。そう、ついさっきまで対応出来ていた体がどうやって対応すればいいかを示さない。相手の攻撃に対し、反応することを忘れた体は棒立ち。


 動かないのではなく、どうしたらいいのか分からない。


「ヒントは貴方の目です。後八分足らず、答えが出ないなら確実に死にますよ」


 再び笑顔と共に消失。繰り返し神出鬼没に飛来する攻撃は無抵抗に立ち上がった体を見る見る内に赤く腫れ上げていく。


「その偽善を正すことが、貴方の命を延ばすことに繋がります!」




  *




 喉の痛みに釣られ、目覚めは鈍い騒音だった。薄呆けて明けた目に映った光景は、眠気覚ましなど必要ないくらいの衝撃的な映像で快適な目覚まし時計となった。


「後三分、さっきから前兆で体が痛んできてるはずです。早くしないと気付いても間に合わない、かも」


 返事は返らなかった。と、いうよりも一目では既に死んでいるとさえ思える棒立ちで無抵抗な姿。


 いつも白かったシャツは殆どが赤に滲み、いつも無表情だった顔からは生気すら失われている。あれで生きている、まして立っていことなど出来もしないのに遣り遂げている、目に余る光景。


「こ……う……」


 声が出ない、そういえば喉が痛くて堪らない。


 次第に全身が敏感さを取り戻していく最中、ぞくりと跳ね上がる触覚への刺激。元々余り満ちていなかった血の気が引いていく。


 どうして最初に気付かなかったのかと、悔やんでも悔やみきれない落ち度。あんなものを駆使していては後二分もしない内に辺り一面が吹き飛ぶ。しかし、当の本人は気付くどころか動きすらしていない。


「……ぁ」


 あの状態、鈍くても騒音の中、これでは出る声など蚊ほどの効果もないこと目に見えている。


「後二分を切りましたよ。どうして出来ることが出来ないのか、答えは出ましたか?」


 出来ること……が、出来ない?――思い出すのは最近視た過去の一片。動かせるはずの足を動かさなかった男の姿。その謎さえ解けば、あの出鱈目な圧の塊をどうにか……、洸を助けることが出来るかもしれない。


〝姫〟雑音に紛れた空耳と一度は流し。〝姫〟と、今度は紛れなく心に伝わってくる声が聞こえた。それは気絶している間ずっと篭手となって存在していたタブの囁き。


〝しっかりと思い出せ、答えは彼にある〟続く声を最後に、タブは淡く輝いてスカートの上で小さく一つとなり、留め具に戻った。


 残された言葉は意味不明だ。いっそのこと何かを投げ付けてやろうと突っ込んだポケットに当たるザラザラとした感触。引き出してみると、それは今の今まで忘れていた使い捨てカイロの使用済み。


 思わず口元が引き攣りそうにニヤけた。これで――。


 ――投入する物は決まった!


 力の入らぬことから立ち上がれない分を差し引いた狙い、棒立ちの足目掛けての緩やかな弧を描いて投下したカイロは――見事に的に当たって、荒れたコンクリートの床に音も無く落ちた。


「カイロ? どうして投げたかは分からないけど、起きたんだね。もう一分を切ったしそろそろ彼女を連れて脱出するよ」


 声だけで見えもしないが、次が最後の一撃なのだと思った。


 勘は的中するかのように宙で姿を現し、初めて攻撃の一部始終が視界に入っていく。最大最短距離を通っての最後の一撃が、顔を目掛けて打ち出される。


「全く、いつまで持っているつもりだったんだ」


 周囲を危機に晒していた洸の圧が切羽詰っていた時間の苦労もしらずに、一時掛からず消え去った。同時に、振り下ろされていた拳は顔面を前に掴み取られ停止。普通なら重さに耐え切れず自然と相手から落ちるはずの相手は依然宙で捕まれたまま。まるで羽根でも持っているように楽々と持ち上がっている。


「どうして答えが。ううん、分かってもどうして戻すことが」


「その眼、魔眼だな。恐らく片方とも異なった魔眼だ。両使魔眼りょうしまがんとは本当に大したものだな」


「はは、どうして分かったのかは分からないけど。正解です。それでいつになったら手は放してくれるんですか?」


 完全の目覚めを終えた五感に、再び同じ重圧が圧し掛かる。


「東南の火神。オン・アギャナウェイ・ソワカ」


 乗り出していた体を思わず舞い戻ってしまいそうな暗闇と戦いながら、どうにか持たれ直して大きく呼吸。


「生きていたら、くだらない問題を解いた回答を言うが」


「媒介も無しに折角直した霊圧を解放するなんて、僕を巻き込んで死ぬなら正気かを疑いますよ」


 必死になって掴まれた腕を解こうとする青年の顔は、言葉以上に逼迫ひっぱくあらわに。出会った時から常に笑みを絶やさなかった青年が、初めて死の恐怖を感じている。


 吐息よりも白い煙が青年を掴む手から上がる。ふと気付くと周囲を覆う熱気に空気中の水分が蒸発して、全身は軽く濡れぼそり始めていた。


「〝煩悩焼却を促す熱苦アグニ〟の、袋――」


 赤く、赤く、紅く、視界を茜色の灯が覆い隠す。熱気の上昇は常識領域を突破、数メートルとはいえ離れているこっちの背が度の過ぎた熱さでジリジリと炙られていく。


「そのくだらない中を、少しはスッキリさせるべきだ」


「霊装ですか、だからってこの霊圧で使ったら結果は同じですよ」


 掴む一手と残り三手が根元から燃え盛り、熱気はさらに上昇して灼熱の四臂が残る手足を掴み上げる。掴まれている手足からは焼け焦げる臭いと、白煙が燃えるように焚き昇る。


「〝生を捨てるなら死も望むな〟、人は死では死なない。おまえの理想世界は、既に叶っている」


 四本の炎柱が点と点を結びながら灼熱の壁を生成。炎柱となっていた腕は間を埋めることで一つの箱となり、青年を炎に飲み込む。そして箱は唯一、真上の口を閉じながら丸く沈み炎球となった。


 あの中に人間が入っている、それだけでおぞましく思える最悪な想像が働く。


 徐々に炎球は振るえ始めた。炎の鼓動、炎が心臓のように振動を小刻みと繰り返し、次第と間隔が短くなっていく。その衝動は――。


 ――今にも爆破してしまいそうに危なっかしい呼吸。


「ちょ、ちょっと――爆発するんじゃないの!」


 時間沈下か熱気のせいか、声は張り上げると痛いが頃合ましな声が出せた。


「このままならするだろうね」


 って――!


「なに悠長なこと言ってんのよ! 早くどうにかしてよ!」


 喉に激痛が走り。やれやれといった顔で炎球を持ったまま屈み、擦れ擦れの地からは熱せられた鉄板の音がした。


「言われなくても、先くらいは考えているよ」


 炎球の打ち上げ。生き物のように盛り、人間では有り得ない高さまで打ち上げられた炎球が、熱に爆風が混じった訳の分からない爆発を起こした。


 思わず頭を竦めて顔を手で覆った。


 熱地帯と化していた周囲の温度は急激に下がる。下がり、下がって信じ難い寒さとの御対面。常識では考えられない温度変化は、冬の寒さを完膚なきまでに肌に沁み込ませる。


 さらに濡れた服が寒さの主務を心にまで届かせた。


「さむ――い!」


 肩を出して震える私に、いつのまにか腕の数を元に戻した呆れ顔が動くのも困難な体で多箇所を庇い、動けぬこっちに歩を歩ませていた。


 ズリ……ズリ……と、人の歩行音とは程遠い音が、罪悪を引きずり思い出させる。


「全く君は、勝手に暴走してばかりだな。ま、御蔭で助かったのは事実だが」


 そう、手助けをしたらしい自分ですら分からない疑問。


「どうして――」〝分かったの?〟


 芋虫がズルような音が止まる。途中から代行して声を発した相手に二人の視線が他を置いて向けられた。


「約束ですよ。生きてたら、教えてくれるんです、よね」


 ブスブスと煙を上げる上半身にスーツはなかった。腕は焼け爛れるを越して真っ黒な灰。輪郭は腕として十分な形を保っているが、あれでは腕としての機能は二度と戻らない。比較的炎症の浅い足も同様、普通に立っているのが信じ難い。


「どうしたんですか二人とも、凄い顔ですよ。そうか、無理ないですよね。僕だって、生きてるのが不思議なくらいなんですから」


 そう言って、もっとも被害が少ない髪を靡かせ、一歩が踏み出される。私を中心に、三人は三角点の距離となっていた。


「教えてください。どうして魔眼が分かったんですか?」


「……動かせないのではなく、動かさなかった。つまり何を動かせばいいのか解からない、ということだ。切っ掛けはくだらなかったが答えは忘却。忘れたものを思い出すのは難しい」


「その通りです。右の〝過去視の魔眼〟、左の〝忘却の魔眼〟、どちらも僕が所有する、両眼です。だけど、どうして両方が違う魔眼だと分かったんですか?」


 意味ありげな一笑をした後――。


「簡単だよ。こんな状況で物を投げるなんて乱暴しか思い浮かばない相手を抑えるには、催眠を促す力が必要になってくる」


 ――どこか流すに流せない言葉。


「さすがです。全部正解ですよ、貴方は本当に凄い。ならもう疑問は晴れましたね。僕は僕の仕事をしなければいけない」


「――っ、まだ続けるのか? そんな体でなにが出来る」


「それはお互い様ですよ。貴方にもう霊力は残っていない、体は動くのすら苦痛を与える。僕は――」


 ――なんとかこっちが動く。左手を上げ、一振りの短剣が手品のように突然現れ、握られた。


「これは僕が研究して作った、白化強制を促すのに長けた剣です。過去の暗示法に比べて確率は高い。――さて、そろそろ日も変わりますし、最後は僕の勝ちで終わらせてもらいますね」


 煤呆けた足を使う走行に、消失は見る影もなくなっていた。それでも、動けぬ的を射るには十二分。壁に預けた背を引くことで距離を伸ばそうとするしかない私の胸を、刺そうとする切っ先は数秒の誤差なく薄い布を貫通して――突き刺さった。


 どくどくと聞こえてきそうな勢いで床を垂れ染める流血。短剣は突き刺さったまま、持ち主の手を離れ柄までを紅色で染め始める。


 屈した膝に、飛び散る鮮血の迸りが――。


「馬鹿な、その女は貴方の全てを奪ったんだぞ! 他人の人生を、なんの不自由もない自分の理屈で埋めていく、最悪な人間です!」


 ――既に紅いシャツを着衣している洸の口から飛び散った。


 短剣は横から腹部に突き刺さり、致命傷が確実な位置に刺さったままで、庇い背が視界を覆う。


「悪いが、記憶になければ強奪罪にならないよ」


「屁理屈なんて聞きたくない! 僕は、望みを叶える!」


 二本目の短剣。前を遮りことしか出来ない壁の、がら空きとなる側面を通って迫る切っ先に。


 ――紅きまなこが、左を隠す髪の下から血の涙を流す。


「忘れてましたよ。〝存在無欠消滅むしのまがん〟を……さす……が」


 ――忘却死没の異名は伊達じゃないですね。と、銀髪の青年は世から姿を消した。完全なまでに、なにも残さず。

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