第3話〔こいむゆうびょう〕③

 焼ゆる空。地平線に接触した太陽が放つ灯火。私は、この瞬間の全てが好きだ。一日の終止は霞んで揺れ、次げて世は闇が深くなっていく。


 なによりも私はこの瞬間の全てが好きだ。


 あんなボロアパートに住んでいる訳、唯一遮るもののない直線状に夕日が見えたからなのだ。


 ベットに眠る少女を見る。本当に眠っているだけに見える、のは一般人が一見すればの話だ。


 顔色だって悪くない。人形のようにか細い体に異常はなく。どんな優秀な医者が診断しても睡眠を取っているだけとしか診断出来ないはずだ。


 そう、異常なんがこの子の体をきたしてなんかいない。この子にあるのは魂が無い異状だけ。だから見張っていたってなんの変化も生まれない。それに。


「見張れって……なにから見張ればいいのよ」


 こんな狭苦しい個室に私を閉じ込めて、自分達は他で伸び伸びと調べもの。これで分かりませんでした、なんて土産を持って返ってきたら、今晩はなにか買わして報いを受けさせてやろう。


 日は五分としない内に夜になる。今のところ変化は起こっていない。部屋の外に貼った侵入護符が反応することはなかった。


 視線を窓の外に直す。五階からでも日は殆ど見えない。ベットを背にしてパイプ椅子に腰掛けている私の顔に、最後の日が差した。そして、空は宇宙から落ちてきた夜に攻め入られ、日と夜の接点に混合の波が透き揚がっている。


「やっぱり分からないじゃない。白って……なんなのよ」


 この子の魂は白だと洸は言っていた。だから見張っていて欲しいと――けど、白がなんなのか私は知らない。


 ただ、身をもって感じたこと。


 鼻を高くして言えるほど、経験豊富な訳じゃない。でもそこいらの三流霊師なんかよりは腕は上だと思ってる。その私が滅し切れなかった類いの霊体。


 危険な存在、だということは感じられずにいられない。


 某と惚ける数秒後、くどい刻を跳ね除け何かが吹っ切れた。


「あーもう! なに悩んでるのよ、私は」


 こんな辛気臭さを出していたら気弱な馬鹿が移ってしまう。


 すっかり日は暮れ、立ち上がった視界に映るのは浅い夜に包まれたガレージと住宅。


 喉が渇いたし、ジュースでも買ってこよう。


 出る前に一度だけベットの眠り姫を見渡す。ふと、ベットの脇に置かれた棚の引き出しが僅かに開いているのが見えた。


 不思議と吸い込まれそうになる開きに、伸びた手が棚を引く。


「トランプ?」


 面白いほど軽い棚の中に入っていた物。それは雪の結晶が模様に描かれたトランプの箱。拾い上げて、特に注視するところも見当たらない黒と透明の二色で出来た箱を拝見。


 思ったとおり気になる点もない。底の部分、黒の角が少し欠けているくらい。使用に年季が入っていそうな代物だけに、気に留める必要もなさそうだ。


 元の棚にゆっくりと箱を下ろ――ノックもなしに突然開く部屋の扉。札に反応がなかったとはいえ、咄嗟に反射が構えてしまう。


「申し訳ない。てっきり今日は帰ったのかと思って。お嬢さんだけこの部屋に残って?」


 扉が開いて現れたのは紳士。しかし、スーツに白衣を羽織るという少し変わった趣味を持つ、笑みを絶やさぬ医者。


「娘さんの、見張り役だそうです。池田さんはどうしてここに」


 切り替わりの早い自分に、改めて敬服を覚える。


「手が空くと娘のところに来てしまうもので。部屋の外に――なにか紙が貼ってありましたが、お邪魔なら失礼しますが」


「いえ、今は特になにかをやっていた訳でもありませんので」


「そうですか。それでは失礼」


 優しい音が閉まり。規律の揃った足並みが、反対側のベット脇に立ち。手先から触れる頬の感触に、眉は伏して確かなものを感じるように瞑想していた。


 そして霞みそうな第一声、「いくつに、見えますか」綺麗に透き通って耳に入った。


「五歳くらいだと思います」


「よくお分かりで、その通りです。娘は今年五歳になったばかりなんです。けど、どうして娘が五歳だと?」


「私もこれくらいの時でしたから」


「そうでしたね。お嬢さんも確か患ってたと――そうだ。うっかりとしていた、頼まれていた物。ありましたよ」


「本当ですか……」


「ええ。しっかりと保管されていました。よければ、今から下の方にどうぞ」


「是非」と、軽く顎を引く。「では」と手で扉へといざなう紳士。


 カチャっとポケットの中で音がした。それはさっき直し損ねたトランプの箱。


「あの、美音ちゃんはトランプなどをお持ちでしたか?」


「え。いや私は知りませんが。どうしてそのようなことを?」


「これが引き出しの中に入っていたのですが」


 取り出した箱を表面が見えるように医者に向ける。


「恐らく前の方の忘れ物でしょう。娘が入る前は、他の方が入っていましたので」


「前の方は今どこに?」


「ちょうどこの院の向かいに建っている、天野川病院というところに転院した後、亡くなりました。きっとあの子の持ち物だったのでしょう」


 後頭部から額に確かな勘が突き抜けた。経験上、この感覚は外れたことがない。


「その患者のファイル、下にありますか?」


「ええ、真新しいものです。私も何度か診療記録カルテに書き込みをしましたので。ですがそれがなにか?」


「美音ちゃんに――関わります」


 紳士の顔色がこの言葉で一変した。


「さっそく下に、私に出来ることがあればなんでも手伝います」


 もうすぐ、夜は深くなる――。




  *




 八時間の時を掛け、見つけ出した一つの記録。それを物の一分で見飽きた人が口を開く。


「思った通りか。戸坂先生、藤堂とうどうえいという患者をご存知ですか?」


「よく覚えていますよ。私が看取りましたから」


 さっきまで共に長時間を亘る調べ物を終えた、貫禄の白衣を着る老人が、眺めていた夜景から振り返る。


「兄が居ることも?」と、開いたファイルを見ながらの問いに、息のような小さな返答を二度うつ老医者。


「仲の好い。兄妹だったと聞いていますよ。私はこちらに転院された栄ちゃんしか存じませんが。人伝に聞く兄妹の絆は、微笑ましいものでした」


「そうでしょうね。だからこんなことになった」


「兄妹愛が今回の仕事に関係してるんですか……?」


 長時間の疲労を休める為、事務机に上半身を寝そべらせて聞いていた話しに、疑問を感じた思考が割り入って答えを望む。


「直接じゃない。ま、純粋な愛ほど失った時の愛憎は大きい」


「うむ。私は数々の山を見てきたがね。死と憎悪は常に一緒くたになってしまう。この兄妹を考えれば、兄の憎は苦しいものだ」


「つまり。妹を失った悲しさで兄の方が今回の騒動を起こしたんですね」


 机に両肘を付き、手を組んだままで返答は首を振るわして返る。


「両方だ。この兄妹、思ったよりも性質たちが悪い。卓真君、今日中に片をつけるぞ。この仕事は放置しておくに危険すぎる」


 背筋が凍り付きそうな視線。この前とは又違った死の恐怖を感じてしまう。


「工藤さんと言ったね。訳は聞く気になれんが。大分濃い臭いを纏い生きているよ」


「職業柄仕方のないことです」


 ふむと、小さな会釈を打って腰を叩く老医者。


「これから如何なさる。兄に会いに行くのですかな」


 ええ、と答えに、「ならこんなところで、のんびりしていていいのかな。兄は海生病院に入院中だ」


 立ち上がる、顔色の一変した男。


「こっちじゃないのか。なぜ妹だけこっちに――」


 時計を確認した動作に釣られ、時計に目を向ける。時刻は七時と半刻。外はすっかり暮れ、関係者以外は帰る時間だ。


「卓真君。君は戸坂先生とここに居てくれ。君は、まだ早い」


 初めて見た忙しない姿に、いつもとは違う意味の気の抜けた返事を返す。それが、耳に入っているのか定かでないが、扉は歩と同じで忙しなく閉まってしまう。


「さてと卓真君。君は大検での大学生だね」


 残された老医者と空間。再び始まる拷問。


「それ、関係ないと思うんですけど……」


「なにを言う。大検から大学に入った若者が、これくらい嗜んでないといかん」


 そう言って出てくる、座布団くらいありそうな真四角の基盤。


 バンと、豪快な音を立てて置かれる戦地に、ジャラっと倒れる牌の波。これこそ、賭け事には定番となった戦地、麻雀。


 そして、捜索時間八時間の内、五時間を埋めた魔の玩具。


「あんだけやったのに……」


「迎えが来るまでの暇潰しによいと思うよ。ほら座って、ちょっと話したいこともあるんだよ」


 明らかに目は、真意を麻雀だと告げていた。




  *




 藤堂栄の記録が書かれていたファイルを閉じ、側で結果を待ち望む医者を見る。


「どうでしたか?」


「この患者に、兄がいるんですね」


「ええ、今も当病院に入院しています。それがなにか?」


「私の勘が合ってるなら。美音ちゃんの病は藤堂栄の兄に関係しています」


「まさか。あの兄妹が私の娘に関係してるなんて、馬鹿な話しが」


「それを確かめるのが私達の仕事です。この兄妹に付いて知っていることを、お願いします」


 無情に刻まれる時が過ぎ。棚だらけの部屋に流れる否な空気を読み取って、スーツの医者は静かに口を開く。


「彼等は私がこの病院に転院した時、進んで担当を志願した最初の患者でした。兄の藤堂だんは、心的外傷後ストレス障害によるの睡眠障害に侵され。妹の藤堂栄は、脳腫瘍。いわゆるがんが脳を侵す病に臥してこの病院に運ばれてきました。兄の暖君は直ぐ死に結び付く病でなかったが、妹の栄ちゃんは一目で長くないと。しかし、兄の病が妹の苦しむ姿からやってくると知った私は、この兄妹が欠けることを恐れました。入院してからの数ヶ月、誰もが仲の好い兄妹だと感じるほど、二人の関係は深いものでした。兄の暖君にとって、妹の栄ちゃんは生きていく上での活力元」


「兄の方は今もその病気に侵されて?」


「その通りです。暖君の病は心の病。彼は妹の栄ちゃんが苦しむ姿に耐え切れなくなった時、心を閉じて睡眠に陥ってしまう症状に蝕まれているのです。今の彼は栄ちゃんを失ったショックで一日の殆どを睡眠に使っています」


「殆ど? どういうことですか」


「暖君は、栄ちゃんが亡くなったくらいの時間になるとベットから起き上がって、窓の外を眺めるように。しかしここ一ヶ月はそれもなく、静かなものだと聞いていたのですが」


 はてと傾げるスーツの医者。


「夜勤の看護師から話しは聞いていたのですが。おかしいな、暖君がどんな様子だったかまでは思い出せない」


 起床の時間を訊ねる。答えは――。


「七時半から八時半の間には必ず」


 ――全ての空想を結び付けた。


 時刻は七時と半を少し越えた辺り。


「池田先生。夜勤の担当士全員、それに関わる全ての人達。全員を一階で大人しくさせておいてください。私は今から藤堂暖の病室に向かいます」


「それは――どういうことなのでしょうか……」


 恐らく疑問の答えは出ているだろう。それでもハッキリとした返答が欲しい。そんな気持ちがこっちに伝わるほど、男の情が顔に表れていた。


「彼が、美音ちゃんの病を侵している原因なら。私達はそれを排除する為に動きます」


「しかし、それなら――……工藤さんも、一緒に居た方が」


「ご意見もっともです。――本当は業をなさぬ人に話すのは止められているのですが言っておきます。美音ちゃんの命は日を掛けるごとに弱っています。例え医学的に問題がなくとも、私達の職からはそれが事実です」


 スーツの上に白衣を羽織る。そんな不思議な医者の姿は、ここにきて一人の親としての決断を強いられる一人の人間。


 深く瞑っていた目が開き。固く閉じていた口は、言葉を一度飲み込むように息を吸った後。


「四階の402号室。娘の、下の病室に暖君の病室は、あります」


 ありがとう――を言い残し立ち去る部屋。この何年間、病院の患者を記録してきた保管庫。その中に私が探している記録がある。


 ただ、今はそれよりも先に私は走らなければいけない。




  *




 向かいに見えることが、焦った判断を誤らした。来る時に分かっていたはずの距離を認識出来ず。予想外の時を要して辿り着く。


 掛かった時間は十分程、時間を正して八時。


「そんな計算――」


 今は要してる場合じゃない。


 受付けのある入り口には人が疎ら。自分達以外の来客者に、時刻を過ぎているから診断は受けれないと言いたそうな目を向ける。


「池田先生は今どこに――?」


 台にぶつかりそうになって止まった訪問者に、凝視の目を向けて怪しむ受付けの女、見ただけで無駄口の過ぎる年増だと思える。


「池田先生は今、診療中です。受付け時間も過ぎました。お引取り願えますか」


「今日は担当医でないと聞いているが。嘘を吐くのは止めておいた方がいい」


「な、なんですか貴方は。これ以上怪しいことを言うと、警察を呼びますよ」


 糞――これだから何も分かっていない無知な奴等はくだらない。


 鬱陶しいので持ち歩くのが嫌いだが。もしもの時に使えるからと持ち合わせていた――対心霊専門職の免許カードを取り出し、今にも受話器のボタンを押しそうに構えている女の前に翳す。


「これくらい知っているだろう。さっさと池田外科医の場所を教えるんだ」


「しょ、少々お待ちください!」


 青白い顔で受話器を二度落とし。震える手でやっと誰かと受話が繋がったのか、重点の定まらない会話その後に続く。


 一秒でも惜しい時に五分の失速。お蔭で暖まっていた脳が沈下して息も肩でしなくなった。


「お、お待たせしました。只今池田先生は二階のナースステーションで他の看護師の方達と集まってお出でです」


「どうも」去ろうと台に乗せていた腕を退かす。戦く視線に一時停止。「職を追う趣味はないから安心してくれ」


「は、はい!」


 自分でもくだらないことを言ったな、と歩を動かした。




  *




 急激に酸素が食われ、酸欠状態になっていく呼吸。


 ――最後には、耳鳴り。


「刹那さん!」


「え――? あ、――」


 肩に掛かる握力が肩から意識を繋いでいく。


「どうかした?」


「へ? どうかしたのは刹那さんじゃないですか。どうしたんですか急にぼーっとして」


 どうやら食器を持ち上げようと立った瞬間、目眩を起こした体は横に倒れそうになり。異変を感じた卓真にギリギリのところで支えられていたようだ。


「離しなさいよ。いつまで私の肩を掴んでいる気、動けないわ」


 慌てた間抜け面が肩から手を離す。


「あと片付けを頼むわ。今日はもう、休むから……」


 きっと疲れているんだ。昨日と今日は仕事の連続だった、知らず知らずに労力が溜まっていたに違いない。


 そんな気の抜けた返事がこっちの顔色を察しているようだ。


 部屋へと続く廊下の扉に手を掛ける――カチャ。


「え――?」


 カチャカチャと鳴る奇怪音。ノブは回していない。


「どうしたんですか刹那さん、そんなところで回って」


「なんか変な音がするのよ」


 カチャ、カチャ、カチャ――どうやら音はスカートのポケットから鳴っている。


「なんですかそれ?」


 触って焦り、取り出して傾げる。ポケットの中に入っていたのはトランプの箱。雪の結晶が描かれたカードは、黒い底と透明な蓋で出来た箱の中に収まり。覚えのないポケットに入っていた。


「トランプ――じゃない」


「そうですけど……どうしてそんなの持ってるんですか?」


「知らないわ。気づいたらポケットに入ってたのよ」


「刹那さんがどこかで買ったとか、拾ったとかじゃないんですか」


 拾った辺りを何故か強調されていたが、この状況。今はどこでこれが入ってしまったのかを思い出さないと……気持ち悪い。


 取り合えず箱を拝見。


 一見したところ奇怪しなところはない。


「ん――? ここ、欠けてるわね」


 普段なら気に留めることもないような角の欠け。どこかにぶつけたかのように――欠けた? 何故だろう。頭が真っ白になる。考えれば考えるほど、真っ黒な池の中心から白がゆっくりと広がっていく。


「刹那さ――ん?」


〝オキテ〟


 頭が割れそうに痛い。


〝ハヤク・オキテ〟


「煩い――」


〝オキテ・ハヤク〟


「煩い――!」


〝ハヤク・オキテ・コッチ〟


「煩い――! こっちって、どっちよ――!」






 割れた。頭じゃない。ガラスが割れるみたいにガシャン――と音を立てて、視界が上から、下から、右から左から不規則な順に。


 そして暗闇――、真っ白な世界から闇が広がって、何も無い世界に上も下も分からない世界に体が堕ちた。


 まるで宇宙に漂っている小枝。しかし、脳に入ってくる四日分の知識が、無限に広がる宇宙とは違う。有限のある私の脳を埋めていく。


 ――割れる。割れる。われる。われ――ワレル。


 ――壊れる。壊れる。こわれる。われ――コワレル。


 前から衝撃、それが私を割って壊した。明ける全ての視界。


「あれ? どうして消えなかったの」


 片膝に廊下の冷気が触れている。片手に廊下の感触を感じる。


 これが――現実。さっきまで居た場所。


「上等。アンタ、よくも私を舐めてくれたわね。全部分かったのに腹が立ったわ」


 L字の廊下。長く伸びた直線の端。丁度角で膝を付いて伏していた体を立ち上がらせる。


「起きろ!」


 水色斑点が散りばめられたパジャマ姿の少年。一見抱きしめたくなる可愛らしさを持っている歳の少年から、立ち上がったばかりのこっちに向って可愛らしいとは程遠い力が飛んでくる。


 立っているのが精一杯だった体は、四度味わったあの味に恐怖して着地を考えない背からの跳躍で角へと身を隠す。


 角に身を跳ばしたと入れ替わりに突き抜ける視認不可の波動。


 背中を冷たい廊下のコンクリート板で強打する。背全面を使っての回避が思ったより衝撃を和らげたものの、直ぐに立ち上がることは不可能。


 出来るのは体を引き摺って半身を壁に預け、次の手を考える作業を頭の中で行なうだけ。


 ヒタ、ヒタと歩行を始める足音。距離を考えて一分そこらで角を曲がり。動けないこっちに再攻撃を開始するはずだ。


 それにしてもなんて出鱈目な。これほど綺麗に相手の力を把握したのは初めてだ。どう考えたって出鱈目すぎる。


 ――分かっていたことだ。白と呼ばれる連中がこっちの常識を外する存在だってことに。


 今更驚いてどうする。今は次の行動を決めることが、最優先。


 なんて言ってる間に廊下には影が見え始めていた。ヒタヒタと伸びていく影。次第に伸びて現れる影の投影物。


 覚悟を決めてタブに手を掛ける。


「お姉ちゃん病気なの? あんなに綺麗だったのに」


 待っていたくなかった少年が現れる。手を伸ばせば足に届きそうな至近距離。十歳だと診断記録には書いていたけど、丁度それくらいに見える少年。こんな冷たい廊下を素足で歩き回る根性は立派な大人だと認めてもいい。


「僕の夢なんだから。ちゃんと思ったとおりになってくれないと困るんだ。じゃないと栄に逢えないだろ」


「アンタ、まだ気づいてないの。大した夢遊病ね。アンタが今立っているこの場所が、現実よ。アンタが帰りたい場所こそが、自分の理想だらけで埋められた、夢の世界よ」


「なに言ってるの。ならどこに栄が居るんだよ。ここに栄が居なければ、現実じゃ――ない」


「目出度い解説ね。なんでも自分の思い通りになる世界が、現実な訳ないでしょ。アンタの夢物語に、私は興味がないの。さっさと美音ちゃんの魂を帰してくれる。今なら張り手で許してあげるわよ」


 自分が張られた想像でもしているのか、頬に手をやってこっちを見下ろしてくる。


「お姉ちゃんが夢じゃないっていうんなら、証拠見せてよ。ここが現実なら、起きないよね、僕」


 視認が不可に関わらず。肌がピリピリと少年の目に集まっていく何かの存在を感知している。


「暖君、待ちなさい!」


 炊き上げていた火が吹き消されたように、肌を焼いていた確証の熱が余韻を残して和らいだ。


 走りよって来る一人の医者。白衣の下に完全武装のスーツを着ている一風変わった趣味の男。


「どうして、ここに」


 目の前までやってくると、男はこっちと少年を一度だけ見分けた後、少年の肩に手を置き。初めて険しい表情を作って口を開く。


「暖君どうしてこんなことをしてるんだい。先生は言ったはずだ。栄ちゃんは死んだって。君は分かってるはずだろ、どうしてこんなことをするんだい」


「……先生。どうして僕の夢に出てきてるの? 栄はこっちじゃ死んでるの?」


 険しい表情は次第と解けて、初めて見る無の表情を作り上げる。


「暖君。栄ちゃんは死んだんだ。今君と話しているこの場所が、現実なんだ。君は、永い夢を見ているんだよ」


「嘘だよ。だって栄はちゃんと居るじゃないか。何度もトランプして遊んだんだ!」


 肩を弾いて、医者から一歩後退する幼き夢遊病。


「トランプってこれでしょ」


 あれだけ派手に飛んだ割りにビクともしていない箱を親指と人差し指で挟み上げる。


「なんで、なんでお姉ちゃんがそれを持ってるの」


「五階の美音ちゃんの部屋にあった物よ。なんなら病室に行って見てきなさいよ。栄ちゃんの入室していた部屋を」


 よろよろと後退を始め、徐々に首を横に振って何かの否定を必死に訴えかける少年。今にもけそうな角度でよろめく。


「嘘だ……嘘だ……嘘だ!」


「暖君、受け止めなさい。君は栄ちゃんの、お兄ちゃんだろ」


 表しようのない悲しみが集まっていく。矛先は――医者。


「伏せて!」〝――起きろ!〟警告は虚しく「え?」と、一緒に無に消えていった。


 塵一つない。さっきまで医者が立っていた場所は無空地帯となって時を刻んでいる。


「次はお姉ちゃんだよ。僕はもう起きないと駄目なんだ。栄に逢わないと。アイツ、遅れると凄く怒るんだ」


 唇を噛む。どう見てもこっちの始動より向こうの弾が発射される方が明らかに速い。


「同じ夢。もう飽きちゃった」


〝――そうか、なら覚めてみるか――〟


 迅速が眉間を寸分たがわぬ角度で打ち抜いた。的は、吹っ飛ぶこともなくその場に崩れ落ちる。


「君は仕事が終わる度に怪我をするな。病院で働いてた方がいいんじゃないか」


 眉間を打ち抜いた何かは一体どこでUターンしたのか、打ち抜いた的の上を飛行して、現れた陰気な男の肩に乗る。それが鳥の形をした白い何かであることを、男の肩に乗るまで動転した意識が視認することはなかった。


 足元に眠る少年。


「なんてことするのよ。魂の場所、聞いてないのよ」


 こっちの心配を他所に、無関心な顔が傍に来て腰を下ろす。


「言ったはずだ。池田美音の魂は白になっている。白は死を起源ルーツにして動く。死んだ魂を生きた魂には変えれない」


「だったらなんで、こいつまで殺す必要があったのよ!」


 ――何かに廻る思考に、洸の口から「しまった」漏れると同時に十歳とは思えない俊足を駆使して上がり走る故意夢遊病者。


 予想だにしなかった行動に、後れた手は少年が階段へと続く廊下の角を曲がり切った速度に負けた。


「そうか。白は二対で一体だ。ったのは美音の方だったのか」


「そ、そんなことより、なんで額を打ち抜かれて生きてるのよ」


「滅ったのは肉体じゃない、魂だ。生きる原点さえあれば肉体に不備はない。動ける」


「動けるって……そもそも、肩のそれなんなのよ」


 肩に乗る白い鳥を見る洸。さっきから視界はそれに留まりっきりだ。どう見たってからす程の大きさの鳥にしか見えない。しかし外見だけで目も羽も真っ白な造形。首が右へ左へ動いている不思議。


「んー。ま、今度ね。それよりも俺は目標を追う。一人で大丈夫かな。なんなら背負ってあげるけど」


「さっさと行きなさい。なんなら負ぶってあげようか?」


 遠慮しとくよと立ち上がり逃げた方に視線が向けられた。動く足に呼びかける声。


「洸――、怒ってる?」


「勝手な行動だな。怒ってない訳じゃない。だから」


 ――後で怒られなさい。と走り去った。




  *




 五つ目の非常灯を越えた。栄の居る病室の扉に手が掛かる。


「栄――起きてる?」


 扉を開けたまま、ベットの前で崩れ落ちそうになってしがみ付いた。立ち上がった視界に映る栄の顔は――――栄じゃなかった。


 今では冷たい廊下の寒冷は靴を履きたくなる。ズキズキする頭の傷みには泣きたくなる。


 頬に手をやると何故かこの子が死ぬんだと分かった。ううん。殺してしまうんだ。いつからかは自分でも分からないけど、確かに僕はこの子を一度だけ見つけた。栄と同じくらいの女の子。それから僕は毎日栄と遊べるようになった。


 もう、十分に遊んだ。だから、次は――。


「君が遊ぶ番だよ」


 ――栄のように軟らかい手だった。




  *




「卓真君。この病院がどうして天野川病院と呼ばれるか、知っているかな」


 一時間の圧倒を征して、突然老医者は口を開いた。


「天に見放された川のことですか?」


 投げた牌が声明で持っていかれ、三つに並んだ。


「うむ。だが」列から抜けた牌が入り「人伝に伝わった話しは虚言を生む」明ける牌の列「アガリ、国士無双」


「ええ! そんな手で上がれるですか!?」


「修練の賜物たまものでね」


 ジャラジャラと次の牌列が重なっていく。


「……虚言。話しに誤りがあるんですよね?」


 並べ終わった牌を前に、肩を落とす老医者。


「あの話しはね。愛す人々が愛された者達を哀悼をして天に昇れるよう、天へと続く野川なんだよ。人伝に不を要して語られるようになったが。本当は最愛が苦しまぬよう願った、慈愛に満ちた川の話しなんだよ。厄介めいた患者を転院させただのと恨む人間もいるが。最愛が満ちた患者だけが通る道だと、私は思ってるんだよ」


「ってことは、もしかして……あの兄妹」


「知っているのは彼に面会を禁じられた両親かな。けどね、この天野川病院はいつだって誰かの慈愛を載せて送ってきた。誰がなにを恨もうとね。いつまでも慈愛が届くならそれが一番の贈り物だよ。誰だって、慈愛は変えられない思いを載せているんだよ」


「そう、ですね」牌が回る。


「休憩は終わり。いこうかね」


 金髪の少年は願う。この僕に、慈愛が来ますように。と。

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