三章【故意夢遊病】

第1話〔こいむゆうびょう〕①

 目の前には何物にも代えられぬ保障があった。


 手に取って眺めるそれは、偽物のなき本物で。


 その全てが、嘘であることも僕は知っている。


 ――偽りだと知っている。




  *




 世間はもうすぐ冬に入ろうとしていた。


 十月の終わり、今年の秋は例年どおり気温に見合った、昼は涼しく夜はやや暑くといった、上々で終始。


 自分でも納得しているが、私は回りくどいのが嫌いなので季節に共感するのもこの程度だ。


 最近やっと都会の生活に慣れてきたとはいえ、さすがにこの前まで片都会で生活していた為か、何度か対処法の違いに困ったこともあった。


 今も一・二度の気温増減を知らずに巻いたマフラーが鬱陶しくて堪らない。


 しかも息荒に走っているから尚更暑い。


「ァ――もう! 任せろって、いつになったら任せるのよ!」


 コンクリートの石柱が立ち並ぶ空間に、声が響く。


 縮まらない距離に嫌気がさし、声量を張り上げた直後――。


「お待たせしましたー!」


 ――そんな紳士を語りながら、柱の陰から飛び出す男。


 さすがに、突如出て来たそれからは逃走者も逃走できず。敢え無く行く先を塞がれ――。


 ――そのまま、男の壁を透き抜けて逃走。


「うう……気持ち、わる」


 透き抜けられた男は肩を抱き、体を竦ませる。


「アンタはいいから、結果!」


 ……と、訊ねるまでもなかったようだ。


 逃走者の速力は、逃走とは呼べないほど減速していた。体勢だけは走り続けているが、どう見ても止まっている。


「なんとかなりました、刹那さ――!」


 猛進してきた拳の一撃から間一髪のところで進攻路を塞いでいた男が、身を転げるようにして横に避ける。


「やぁ……めぇ……!」


 聞く耳など元々なかったが、霊圧に纏われた拳を喰らった逃走者は、断末魔にしては情けない朧な声を発し終える前に天に発散。


 突き出した拳を解き、両手でパンパンと叩きながら振り返る。


「オッケーこれで依頼達成、さっさと帰って報告――ん? なに固まってるの卓真。どっか怪我した?」


 頼りなさそうな声で「大丈夫です……」と立ち上がる卓真。


「ならもっと早く立ちなさいよ。先輩として言うけど、そんな鈍い行動してたら、思わぬ不意打ちを喰らうわよ」


「不意打ち、避けたつもりだったんですけど……」


 いつよ、と質問するこっちに対し、すみません、と謝罪。


 全く訳が分からないが、さっきの良作に免じてこれ以上は問い詰めないでおくことにしよう。


「なら、行くわよ。私はさっさと帰って録画した番組をみたいの」


 頼りない返事が返り。崩れかけたマフラーを正す。どこか見覚えのある景色は、一時間の逃走劇を終え、廃ガレージを後にする背を何度か振り向かせていた。






 いつもどおり愛想のない音で開き、勝手に閉まる扉。


「はい、依頼終わったわよ」


 報告書の入った封筒を適当な力で投げる。見事、いちお狙った机の上に滑って着地する投物。


「いつも言ってるけど、帰ってきたら、ただいま。報告書はちゃんと手で渡す」


 陰気な男が、座っている机に乗った報告書を拾い上げる。


「どっちみち手を使ってるんだから、いいじゃない」


「良いとか悪いとかじゃなくて、常識。俺だから良いけど、社会でそんなことしてたらきみ、出世できないよ」


「大きな御世話。第一洸だって私を名前で呼ばないじゃない。それって常識的に失礼よ」


「君の好きな方便だ。普段はそっちの方が呼び易い。場合によってはちゃんと名前の方に変えて呼ぶ、区別の問題だ」


「私も洸だからそうするの。普通だったら、物を投げて渡したりしないわよ」


 後ろに立っている卓真が、否定げに首を傾げているのが窺えた。


「ならいいか。あとはこっちで遣っておくから、自由に休憩するなりしていいよ」


 この、何気ない交わし方に免疫が付いたのか、当初は毎度ムカっと来ていたのが、最近ではなんとも思わなくなっていた。


「んじゃ休憩を」なんて言って横を通ろうとする卓真を「アンタは駄目よ」と、静止させる。


 間抜けな顔をして立ち止まった卓真の耳に、顔を近づける。


「アンタさっき、私を馬鹿にしてたわね。いつもの、買ってきて」


 握っていた肩をぶるわせ「いってきます」と、入ってきたばかりの出口を出て行く卓真。


「いってらっしゃーい、ダースでお願いねー」


 駆け足で行ったのか、階段を駆ける音だけで返事がない。


 まあいい、聞こえていなかったらもう一度行かせよう。


 ふと、洸を見ると額に手をやってこっちを見ていた。


「なに、どっか私、変なところある?」


 走り回った所為でどこか穴が空いていないかと制服を調べてみるが、特に異常はない。


「いや、変じゃないよ。ま、君達の立場関係に干渉する気はないから、いいけど」


 全く、二人共何度奇怪おかしなことを言えば気が済むのだろうか。


 ……あれ、何度、も……?


「それで、調子は? 付け焼刃が役に立っているならいいけど」


 秋分の風に中てられていたのか、一瞬だけ某けていた思考が質問にフル回転する。


「そうね、足手まといスレスレってところ」


「なら問題ない、十分優秀だ」


 と言って、椅子をゆらゆらと揺らして報告書に見入ってしまう。 あんな面白味のない物に見入ってしまうなんて、相当暇だったんだろうと思いながら、マフラーをテーブルの上に置き、疲れた吐息を吐きながらソファーに腰を下ろす。


 しかし、暇をしてしまうのは自ずと頷ける。


 何故かこのビルには、新聞すら運ばれてこないのだ。まさに社会の七不思議。テレビくらいは三階にあるが、長い階段を上ってまで見に行く気もないのだと思う。


 慣れてしまえばどうってことないが、怪我で動けない間、暇すぎて何もなかった三階に、日毎物が増えていった。それでもここよりマシなだけ。現状このビルに、娯楽要素は一切ないと言える。


 だからいざ怪我が治れば、半自給自足。


 金がないことには欲しい物すら買えない。仕送りが有るにしても働かざるもの、なんとかだ。第一、他人の金で身の回りを埋めるのは性に合わない。で、バイトを探そうと広告を眺めていると。


「バイト? 止めた方がいい。お金が欲しいなら仕事を手伝う?」


 なんて言ってきたので、割に合わないバイトなんかより、そっちの方が好い。だから今は仕事を手伝う形で給料を貰っている。


 そんな感じで、今の生活はそれなりに充実していて上々だ。


 簡潔に述べれば、喧嘩して出て行った挙げ句、目覚めれば助けられてベットの上。事情を察してくれたのか、深く聞かれることもなく一応の和解。


 両親を安心させる為、卒業までは互いに許婚としてやって行くことになったが、こっちとしては意地を張ってああなってしまったのだ。条件的にも悪くないこの生活に、不満は生まれない。


 ただ一つ、不満ともいえない疑問。


 未だにご機嫌と報告書を眺めている男を見る。


 今更外見に文句は言わないが、それとは別の問題――。


「ね、前に話してたはくっての、今一まだ分からないんだけど」


 男はあっさりと紙から目を離し、こっちを見る。


 束の量から考えて、きっと何度か読み返していたに違いない。


「ま、簡単に理解できるとは思ってない。特に、君は」


「どういう意味よ」


「そのまま、ま、それに付いて詳しく議論していたら日が暮れる。一から説明するから聞いておくことだね。あと」


「卓真に言うなって言うんでしょ、分かってるわよ。アイツにとって今回の騒動は、友達を失った嫌な経験だったからね」


「不要の忠告だったか、次からは気を付けるよ」


 次なんてない。暇な時の分析力は私の経験上、通常の比でないことは立証済み。


「馬鹿にしないでよ。これで最後になるんだから、言いそびれないように注意して喋ってよね」


「分かったよ」と、どこか薄れた目で話しは始まる。


「白は、生者が行き着く最後の段階だ。生者とは人のこと――ま、これは知ってるか、で、人が生涯を終えるといくつかの層を越えて死に至る。昔はすんなりと御陀仏したらしけど、今はそうもいかない。俺達みたいな職が増えたのを視れば、分かるけど。っと、話しを戻そう。人が生涯を終えれば霊魂つまり霊体となる。問題はその時点で人は死んでいないってことだ。人の死は精の死、霊体は静と魂の混合体だ、精は死んでいない」


 ピクっと最後の言動で生まれた反発の意が、衝突な講義として口を開かせる。


「それ違うわ、霊魂っていうのは魂が主体よ。精は関係ない。魂の記憶が生前の姿を保つから、霊体は人の姿なのよ。それに、肉体が亡くなれば人は死ぬ、それが節理よ」


「君が言ってるのは生きてる人間の節理だ。死んだ人間が生きてる人間と同源な訳、ないだろ」


「だったらなんだって言うのよ。魂は人の生存、それがない霊魂は存在を維持出来ない。霊体は意識体なのよ」


 気づくと、ついつい座ったまま腰に癖が出てしまっていた。


「もっともなご意見だ、これが授業なら拍手喝采。けど、俺の授業では半点反省。君が言う通り、魂が人の生存ってのは正解だ。魂が意識体に作用していると認識している点は、減点」


「そう、なら説明、私が納得しない内容だったら怒るわよ」


「納得とは個の理想で判断するもんだ。君が納得するには、君自身が最初から納得しようと思っていなければいけない。今の君だったら、納得どころか正論にも異論しかねない。ま、構わないが」


 眉がひそむ。それを見た洸は、不快な笑みを口元に残したまま、納得を要目する説明を続ける。


「人は精・魂・体の混合体。精は人の人格、魂は人の生存、体はそれ等の入れ物だ。しかし、体を失えば精と魂は居場所を失う。居場所を失った魂は体を再現しようと精に働きかけ、魂の記憶を基に仮の肉体、霊体という意識体を創造する。だから霊魂は、魂の記憶を基にしただけの精の集合体。霊体が霊魂と呼ばれるのは、霊魂不滅説からくる、故人崇拝の迷信だ」


「ちょっと待ってよ、意識体が魂の記憶を基に再現するなら。再現されたあとの魂はどこに入ったのよ」


「魂が人の生存、最初に君が言ったろ」


「それにどうかんけいが――……!」


 悔しいので仮説として考えてみる。


 精神と魂は常に多種で不形。例え、魂の記憶を基に精神が霊体を作ったとしても、常に生前の姿を保つには魂の記憶が必要。なら精神の集合体である霊体が姿を保てる訳は――ひとつ。


「その顔だと解ったみたいだね。そう、魂の記憶を精神が反映させ続けているからだ。本来魂が行う作用を精が代行すれば、記憶を維持し続けられる」


 そう、魂が維持を望むならば好んで精との同化を望むだろう。


 でも――。


「だったら死んでないっていうのは!? 人が死ねば死ぬのよ!」


 ――これだけは譲れない事実。


「精神破壊イコール死。霊魂が化合なら、静は生きている。それでは人は死んだなんて言えない。……逝ける限りね」


 それが詰めとなった。もう死のうが、死んでなかろうがどうでもいい気分だ。それよりいろんな事理で頭が重い……。


「だいぶ話しが逸れたが、前置きはこれくらいにして、白の話しに戻るよ。層を超える途中、霊はどこかに引っかかると悪霊になる。悪霊の種類にあまり知られていないが亡者ってのがいる」


「もう……じゃ? そんなの習ってないわよ」


「ま、あまり知られてないからね。こいつは滅多に見れない。死者の部類になるってのは確かだ」


 駄目……いくら暇でも……これは駄目だ。


「ごめん、もう話しは終わりにして」


 何もない空間を平で押すように手を翳す。それが、額を押さえながら零れそうになる情報をどうにか支えている自分に出来る、終止の合図だった。


「ん、気分でも悪くなった? この手の話しは専門だと思うが」


「そうじゃないわ。ちょっと話しに付いていけなさそうだから、話しはまた今度にして」


 言い終ってからソファーに身を横たわらせた。


「……」


 無言の対話者が気になるが、今はほっておこう……頭が、重い。




  *




 目覚めは苦味しそうな芳香に包まれる部屋だった。


 覚えのない天井と、いまいちハッキリとしない頭を振り起こす。


「気分はどう。手当てはしたけど、痛いなら教えてくれるかな」


 弾力のある床はベット。いたるところで皮膚を締め付ける包帯。


「よけいよ、善い人振りたいの」


 ベットの側に置かれた椅子に座って、珈琲らしき物を啜る男から顔を背ける、動けぬ体を横たわらしたまま。


「善い人ね、それは君を助けた子に言ってあげるべきだ。俺は君を助けたと思えるほど、善を行ったつもりはないよ」


「私を助けた……こ……?」


 あ――そう、いた、そんな奴が確かにいた。


「卓真……アイツは無事なの!?」


 枕の上で左から右へと転がる頭。最初の始点に戻った視界に変わらない男の姿。


「あの子は知り合いの病院。さすがに君くらいしか運べなかったからね」


「……そう、よかった、無事なのね」


 男の眉が無事だけど……と歪む。


「ま、命どうとか不治になったとかはないけど、ちらほらと異常がね。それについては後日、君を交えて解決しよう」


 こっちとしては、死なれていたら後味が悪かった。生きているならそれでいい。第一、死んでしまっては礼が貰えなくなってしまうので、心配したまでだ。


「よかった……か、君は理解ってものが欠けている。君は、現状がどういうものか解って言ってるのか」


「いくら寝起きでも現状がどうなってるかくらい分かるわよ。どうせ、私に恩を売ってネチネチ弄ろうって魂胆でしょ」


 言葉を尖らせ呆れ顔の男を睨む――。


「ふざけるな! 君の無謀で、どれだけ人が迷惑したとおもう!」


 ――頭をはたかれたような声量で全身が強張った。


「あ、……ごめん、つい。と、とにかく君は自分勝手な行動で入らぬ犠牲を出しかけた。分かってくれたら、嬉しいけど」


「なに、よ、私だけが……悪いって言うの」


 間抜け、私はなんて間抜けだ。こんな奴に言われて、行いを恥じるなんて、こんな奴に怒鳴られて、生きてることが沁みるなんて、こんな奴に――一滴でも、涙を見られるなんて。


「違う、悪いなんて言ってない。君は彼を助ける気でやった。ただ軽率な行動だった。理由は、分かるね」


 こうなっては全てが過ちに思えてくる。なら、全てを過ちに変えた悪質は――……アレしかない。


「アイツ、あの女――どうなったの!?」


 唯一動く肩が他の箇所を追い抜いて前に乗り出す。


 直ぐに、優しくそれを押し止める手が肩に乗る。


「答えるけど、安静を約束した上での話しだ。大人しくすれば質問に答える、いいね?」


 乗り出した肩が沈み、肩から手が退いた後ゆっくりと頷いた。


「君が除葬じょそうとした霊の正体は、白と呼ばれる特一級除霊指定の霊体だ。協力を好まない国が、わざわざ除霊を依頼してくるほど危険な悪霊。あの霊体はそれの初期段階の状態だった。だから君が気絶したあと、俺が滅っした」


「滅した……? そん、――どうやって」


「やり方は教えられない。教えたところで真似はできない、というよりはさせない。アレとは今後一切、関わりを持たない方が良いと言いたいが、無理だろうね。一度でも出会えば、人はそれと関わりを絶つことは困難になる。それに本人がそれを望んでいないんだ。無理というかは、絶つ理すら生まれない」


 確かに私の中では、二度と会いたくないという気持ちよりは、次ぎ会ったら、二度と会えなくしてやる、といった気持ちで一杯だ。


「君の容体があるし簡単に説明するよ。霊体の名はかみ友恵ともえ、少し前に轢き逃げ殺人で死んだ当時十五歳、中三の女の子だ。しかし君と出会ったのは本人じゃない。その子が持つ人格の一人ってことになる。神友恵は、多重人格だったそうだ。その内の一人が、主人格と肉体を支配していた。本人はとっくに後腐れなく享年しているよ。とは言ってもあの体を留まらせていたのは本人の強い願望。ま、終わったことだ、詳しく知る必要もない。

 ――最後に、アレは霊能力者が相手に出来る類いから大きく外れた異種だ。どんな優れた霊師れいしだろうと、アレに敵視されて生き残っていられるのは希だ。君が生き残れたのは、君の力が優れた領域を超えていたんだろう。或る意味、感服だ」


 ……感服。ならそれを滅したこの男は、敬服だ。


「ま、それなりに分かってくれたらいい。できれば無関係であり続けて欲しいけど――君はそうもいかないだろうからね。ちなみに白に付いては他言無用。ただ、次にこんな事態があったら、なんとしても――」


 守ってみせると、やけに鮮明に通る洸の声に――。


「それは許婚として?」


 ――柄にもなく訳の分からないことを追求してしまう。


 男は瞼を閉じ、言おうと思っていた台詞をなぞるように話す。


「今朝は言い過ぎたって反省してる。君からすれば、突然日常から切り離され、その上俺なんかが許婚だなんて一番の被害者。それなのに勝手にしろなんて言ったことは謝罪する。だから改めて、君が良ければここに居てくれ。できるだけ、不自由はさせないように心がける。

 ――それに、両親のことを考えてもそうした方が心配が少なくて済むし。我が子を連れ回して餓死されたなんて、洒落にもならないからね。ただ、今朝言ったように君と一生一緒に居る気はないんだ。両親達が言ってたろ、君が卒業するまでに、旨くいけばって。なら、卒業するまでここに居て、したら前の生活に戻ればいい。これなら両親も納得の内容だ。どう、分かってくれた?」


 さっきから、眠気が瞼を襲ってきている。長い説明によるものが多いが、それよりもこのほっとする瞬間に生まれた安心感が、引き金となった。


 だから今は――。


「そうね、回りくどいのが嫌いな私の結論よ」


 ――返答を待つ――。


「あとは洸に任せて、寝ていいってことよね」


 ――陰気で、どこか悔しい――仮の許婚、洸で好い。


「ああ、ゆっくりと眠って。君には今、それが一番似合う」


 洸は去る。どこかほっとした背を見つめる睡魔は、直ぐに意識を刈り取ってしまう。


 そして四度目にして想い出した彼の背は、重荷で一杯だった。




  *




 夏が例年どおり青々としたもので始まった。


 部屋にやってくる女の人は、今年も暑いわね、とか言って外界の感想を告げる。


 僕はいつもどおり毎日替わるシーツを眺め、いつもどおり、外で待っていた女の子が入れ替わりに入って来てパイプ椅子に座っていた僕のところまでやってきて言う。


「やっぱり起きてた。お兄ちゃん、遊ぼうね」


 僕は立ち上がり、いつもどおり引き出しから雪の結晶が描かれたトランプを取り出して、女の子に渡す。


「今日もババぬきなの?」


 毎日同じではさすがにこっちも飽きてきた、ので今日は別のことをしよう。


「神経衰弱って知ってる?」


「しんけ、すじゃく?」


 心は笑っていないけど、口元は勝手に笑みを作っていた。


 そして僕はゲームの説明をする。


 下が黒で、上が透明、箱の角は、少し欠けていた。




  *




「名付けて照り焼き大根サラダです」


 ドンと大皿がテーブルに置かれる。皿の上にはテカテカと酢豚のようなタレが掛かった肉と、細切り大根のサラダが盛られていた。


「ほんとアンタって男にするには惜しいわね」


「お互いさまですよ……」


 とこか癇に障ることを言いながら椅子に座る卓真。


「ま、俺は美味かったらそれでいいけどね」


 いただきますと、箸を動かす洸。


「卓真君、今日も美味だ。いつも悪いな」


「いえ、僕こんなことしかできないですから」


 頭を掻いて照れる名シェフ。


 悔しいが料理の腕は一流と認めざるを得ないことを、ここ一ヶ月で認識している。


「さっき卓真を交えて話しをするって言ってたけど、なんなの」


 飲んでいた味噌汁の碗から口を離し、丁寧にも箸を揃えテーブルの上に擱く洸。それを見て、卓真も同じように倣う。


「依頼がさっき届いた」


「え、いつよ。私ずっと居たけど知らないわよ」


「君はいつのまにか夢現つから寝入ってしまってたからね。そのあいだに届いた」


 全く、話しを途中で止めたことをきっと根に持ってる。


「話しっていうのは依頼内容のことね。ならさっさと話して、今度は最後まで聞くから」


「寝られたら困る」


 テーブルの側面で対峙している二人の横で、一人脇に座っている男がはてと首を傾げる。


「依頼というと、今回も僕と刹那さんで?」


 味噌の香りを楽しんで啜ってる私をよそに、メモ用紙みたいな物が疑問を傾げた男に渡される。


「いや全員、二人は助手として付き添い。明日森坂病院で依頼主と会うことになってるから。八時、遅れないように」


 微量の粒を残し中身のなくなった碗の影から現れる洸。いつのまにか、ズズ――と味噌汁の碗に口を付けていた。


 横では真剣に手渡された紙を看破しようと頑張るガリ勉。


 刻は夕食帯、晩方の七時半。


「用意は」と聞く「特に」と、肩を弾ませ返ってくる返事。


 最後の一口を放り込み、食べ終わった食器を重ね、椅子から腰を上げた時だった――頭痛に似た痛みと、意識を包む目眩。


 急激に酸素が食われ、酸欠状態になっていく呼吸。


 ――最後には、耳鳴り。


「刹那さん!」


「え――? あ、――」


 肩に掛かる握力が肩から意識を繋いでいく。


「どうかした?」


「へ? どうかしたのは刹那さんじゃないですか。どうしたんですか急にぼーっとして」


 どうやら食器を持ち上げようと立った瞬間、目眩を起こした体は横に倒れそうになり。異変を感じた卓真にギリギリのところで支えられていたようだ。


「離しなさいよ。いつまで私の肩を掴んでいる気、動けないわ」


 慌てた間抜け面が肩から手を離す。


「あと片付けを頼むわ。今日はもう、休むから……」


 きっと疲れているんだ。昨日と今日は仕事の連続だった、知らず知らずに労力が溜まっていたに違いない。


 はい、分かりました……そんな気の抜けた返事がこっちの顔色を察しているようだった。






 深夜、動静が淡い意識を呼び戻す。


「ん……」何時だろう。


 闇に浮かぶ円形、しかし内実は全く分からない。それでもなんとなく今が深夜の一時くらいだと思った。


 気怠い体を起き上がらせ、頭を軽く揺する。


 いまひとつハッキリとしない意識を残留させたまま、就寝する前に外して台に置いた髪留めへ焦点を暈す。


 そこにあるのは普段愛用している留め具。けどそれが常識で測れる代物でないことは、使用者である私がよく知っている。


 ふと、髪留めかれが、〝お早う〟と語りかけてきた気がした。


 いくらなんでも、おはようとは気が早い。〝今晩は〟で十分通用する時間帯だというの

に。


 髪留めかれの名はタブ、私が付けた。


 タブは声らしからぬ声で心に直接〝傷は癒えた〟と告げる。


 傷……この前の戦いで入っていた罅がもう完治したと云う。


 いつも通り出鱈目な治癒。私より先に健全になるなんて不愉快この上ない。


 タブは、物心ついた時既に私の後頭部にいた。私は自然とそれを認め、代わりにいくつかの法を立てて、タブを使役した。


 大半は戦闘が専らで、使役時は奮闘を余儀なくされる場面ばかりだったが、さすがに顛末戦闘だった訳じゃない。


 幼児期の私は、大半をタブとの会話に費やした。除霊に活躍してくれるなんて、中学を迎えるまで全く以って考えもしなかった。


 タブと呼んでいるが、身分は霊装と呼ばれる類いに位置する。


 神仏の加護を受け、又はそれが生き憑く、所謂神懸りな代物。


 代々、何百年と保存され。人の手に、まして保管の責者すら生涯で触れることのないような秘宝の類い。しかしそれは人が知る一部に過ぎない。世には神仏の数に比喩するほどの霊装が、存在する。


 その中の一つが、私の持つ多聞天たもんてんなる加護を受けた霊装。


 そう、彼は天田の界を駆け仏と帰依し、四天王・七福神・守護者として名を馳せた武神。


 ――毘沙門天びしゃもんてんの異産なのだ。


 彼の功徳を強大させる品。四天王として最強と謳わる姿を魅了させる一部、武神の篭手こそが、私の霊装。


 普段は髪から足り余る霊力で、髪に固定している。いざ時が来れば最強の霊的装備――〝忌むべき無知な筆舌ヴァイシュラヴァナ〟の篭手。


 これ全ての知識は、霊装として生誕した彼が持つ、聖典並の自身知徳からくる。


 いつのまにか長々と過去に浸っていた自分に、鼻を鳴らしてタブから顔を逸らした。追撃するようにタブが〝自己憤怒を拙僧に向けられると困る〟と云ってくる。


「煩いわね、アンタに怒ったんじゃないわ。過去の自分にムカついてたのよ」


〝自己嫌悪は好くない。姫は内と外の相違が激しいぞ〟まるで目の前にいる誰かに言われたような鮮明な発音が、心に響く。


 惜しい……本当に居るなら一発打ん殴ってやるのに。


「今日はお喋りね、どんな風の吹き回しよ」


 普段のタブは無口だ。本人曰く、無駄な御喋りは道具には必要ないらしい。だから、こっちから話しかけないと、滅多に自分から話しかけてきたりはしない。


〝歳月にして十三。久しく訪れるが、もういいのか〟


「良いも悪いも私は元々なんとも思ってないわ。好い加減、糸を引くのは止めなさいよ」


〝そうか。なら、結構〟……――それでタブは居なくなった。


 闇に馴染んだ目で、時計を見る。時刻は一時半。


 軽い会話で、すっかり脳は目覚めてしまった。しかし世間はまだまだ深夜、寝るしかないが、直ぐに二度寝は出来なさそうだ。


 無駄話で主人を苦しめるとは、全くの駄作。そんな愚痴を考えている内に、二度寝が私の世界を作り始めていた。




  *




 偶然、名前は知らないけど見たことがある男が、人の夢に付いて語っている番組を目撃した。


 文字どおり偶然。病院内でも1Fに一つしかないテレビでそれはやっていて、用を足した帰りに立ち会ったのだ。


 テレビの周りには年寄りが群がり。それを囲むようにごつい人達が座っていた。そういう人達は必ずと言っていいほど、手足のどこかにマネキンの手足を付けている。


 僕はそんな人達を一望出来る場所から、自慢の視力を使って番組を眺め、自慢の聴覚を駆使して見たことある男に異論し始めた、女の話しに耳を傾けた。


『仰るところ夢というのは人間が一日の情報を分割して処理しているのではなくREM《レム》睡眠を繰り返しながら、ストレスなどを無意識に発散させていると? しかし、記憶は記名を行ない、脳に焼付け、それを保持して再生を繰り返す。ストレスは、発散どころかさらに増していくものと思えますが』


 疑問に対し男は、煙たいものでも振り払ってるように空を撫でた後、皮肉笑みを浮かべて口を開く。


『お聞きしますがね、貴方の夢は一日の出来事を着実に沿って再現されていますか? まあ覚えていないでしょうがね。夢っていうのは自分が体験したことのない出来事や、人物が出てきたりすることが多々ありますよ。意識していないから、気づいてないでしょうがね。もし脳が魅せる夢と言うなら、脳が保存していない情報は出ないでしょう。結局夢なんてものは個人が描く喜劇ですよ。そうやってストレスを発散しないと、今の世の中やっていけませんからね。どうです? 貴方はアニメヒーローになった夢を、見たことはありませんでしたかね。恐らくね、無意識にそう願ってますよ』


 司会者らしき男が反論を挙げ、一層活気付くトーク。それに釘付けになる集団から一抜け、病室へと急ぐ。


 きっと怒っているだろうな。しかし、大人は白痴だらけなのだろうか。あんなのに必死になれるのだ、きっとそうだ。


 夢なんて、何度も観てるだろうに。

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