第3話〔ゆめみたせつな〕③

 体は器であり、肉体は入れ物に過ぎないと、時折り母さんは思い出したかのように言っていた。


 人は、生から創まり、余生を刻み、終生を必携させ、三つの起源を速成して誕生する。


 そんな神懸りな無茶をするからか、人は蝕みを代償に一時の幻を魅たがる。


 ――鬱陶しい。


 命など、最初から〈死〉と決まっているなら、〈亡〉と同源。


 人間は三つの起源が形成した結果物。


 肉体、つまり器。精神、つまり飾り。魂、つまり器の中身。


 肉体は精神の影響を受けて成長し、魂は精神により色を変える。


 輪廻の繰り返しは、諦めの悪い醜さ。永久に拭えぬ罪。


 死んでさえ生きようとする魂は、醜きを通り越して、醜悪。


 人は生きるだけで罪、罰を受けるべき犯者。それが死んでも生きようものならば、悪・害・憎に他ならない……。


 ここまでくるとさすがに犯罪者の思考だ。


 やめやめ、下手な思慮は分別の付かない犯罪に繋がる。


 今日も見下ろす下界の姿は、全てが騒がしい。


 チカチカと変色するネオン。何を急いでいるのか、忙しなく地下から出てきた人の群れが、四方に散って街と同化。


 時々、一際目立つ奴や、明らかに迷いこんだろうと思える奴も混じっているが。それもこの街では珍しくもない。


 出てくる時に羽織った、皮製の黒いジャンパーの襟を正す。


 冬も、夏も、夜分の散歩は常にこの格好だ。


 季節的に少し暑いがさすがにTシャツ一枚で外に出るには少し躊躇いがある。かといって、何枚も上に羽織るのは自殺行為。なのでチョッキ型の小さな革ジャンが最適。


「さて……、どこを探したもんかな」


 夜分、外に出ること事態これといって苦痛はない。どうせ目的がなくても毎晩遣っていることだ。


 問題は、目的があるということ。目的を持ち、行動するということは、必ず願望を達成、又は失敗で好い。なんらかの結果をださなければならない。


 思えば自分にも非はいくらでもあった。本の少しの押えで、事の様は変わっていた。


 いつもならこんなことには……――ったく。


 面倒を見ると言った手前、死なれては困る。


「この前の押し売りの時、使い魔を買っておくんだったな」


 どうもこういった探しは不得手。捜すなら得手なんだが。


 思わず溜め息を吐く。


 ふと、月が見えた、――満月――。


 ポツンと孤立した白光の円形、滲んだ空が造作した不要な産物。


 それに、誰も感謝などしていない。ただ当たり前のように存在しているだけの虚構。


 途端――白光に目眩を起こす。


 首が前に揺らぎ、視が一時だけ淀む。――その結果、幸い。


 普段から出入りを禁止されているビルの屋上を囲む柵は、膝ほどしかない小さな段差だけ。その上に立ち、高度三十メートルで再起動された思考回路は、爽快な立ち上げで視界に映った花壇に、目的の痕跡を視つけた。


 それは煙で編んだ白布。触れれば濃霧が薄雲になってしまうほど繊細な、残存の白線。


 それは霊絡れいらくと呼ばれる霧状の線。それが四つ在る壇の一つから人込みを抜け、灯りの乏しい隣街へと伸びている。


 霊絡だけで飛び抜けているのが解る。


 優秀で居場所を失ったっていう話は本当のようだ……が、僅かに気になる点。


 霊絡には常を慰する圧がある。が、それに重なった微かな他色の痕跡――――ドクン、心臓が大きく弾け飛ぶ。


 感覚という感覚が総毛立ち。自分の視界を後ろから視界で見てたような鼓動のズレ。


 無防備だった精神が、膨れ上がった霊圧に中てられた症状。


 呆けていた視界が、視力となって絡の伸びる街を敵視する。


「なんで……、あんなところに居るんだ」


 輝くの街を超え――――影が跳躍する。




  *




 街の上空を漂う月は、光の乏しい街にだけ虚ろな銀光を照らす。


 乏しいとはいえ、そんな拙いなものでは、街灯にすら及ばない。


 結果、月光では民家に遮られているだけの道路に、陰影すらない暗路を作りだす。


 しかし、出来るはずのない路に影はしっかりと存在している。それは足元を照らす力すら持たない月光を想定した、街の補助光。一定の間隔で配置されている、街灯。


 ただ戦地そこだけ、一寸を照らす街灯がなかった。


 立ち並ぶ灯りの配列から、そこだけが誰かの手によって電球を割られて、光を失っていたからだ。


 だから、夜色の少女と、黒色の彼女が対峙する場所に、影ない闇が充満している――はずだった。


 閃光と灯影で、彼女達の戦いは開催したのだ。


 光と言っても、夜空を懐中電灯で照らすような淡いもの。


 ただ、暗路と化していた路面に、重なり合う二つの陰影を焼き付けるくらいは容易だった。


 片方の影が地へと落下する人形のように、四肢をはためかせながら、重なり合っていたもう一方の影から吹き飛ぶ。


 それは直ぐに地と接触して、死が擦り付く転がり方で廻り、最後は横滑りに失速して止まった。


「立ちなさい。こんなことで滅っされるほど、軟くないでしょ」


 幼児を虐待したとも言える行為を遣って退けた罪悪は、彼女には微塵もない。それどころか、指をクイクイさせて次を要求する。


 それに――。


「……驚いた、見た目以上の乱暴者なのね」


 ――油を注ぎながら応じる少女。


「本の挨拶よ。こんなので驚いてたら、輪廻すら断ち切ってやろうと思ってる私の怒り、受け止める前に存在が抹消されるわよ」


 何事もなかったように立ち上がる少女。衝撃をモロに受けた顔には傷すらない。


「あら、貴方って互換しかなさそうに見えるけど。なにか他にできるのかしら? まさか言霊使いだなんて言わないわよね。法術はありえないわね――ふふふ」


 何度目かの空笑い。


 経った今から、その笑いを出来なくしてやると、刹那は自ら邪魔だと髪を束ねていた留め具を外し、解放された髪が肩甲骨の上で総を作る。


 微風すら吹かない戦地に揺れる黒き羽は、女性であることを崇めて垂れ下がる清らかな暖簾。


 その清らかさは、戦国時代の姫君を想像させる。


 凛々しく優雅な顔立ちは戦場にて敵兵と出くわそうと揺れることなき己が儀、貫き通す究極の静。


 しかし、握る手絡からは静とは似つかぬ、荒々しき邪気が放たれていた。


 そもそもそれは髪留めなどと呼べる代物ではない。


 第一、髪を束ね留めるだけの機能など、備え付けられていないのだ。それどころか、髪飾りとしてすら成り立たない。


 単三電池程の大きさの筒を、縦に半分に切っただけの形状。


 分裂した互いをくっ付ける為の磁場的なものすらない。下手をすれば、髪飾りとした作物にすら留められないほどの束を、挟み留めて互いの定位置を保つなど、出来るはずがない。


 それはあくまで現実味のある理屈。事実髪を束ねていたのは二つの半管なのだ。


 なら、なぜ――。


「そうね、私は互換しかないわ。他はてんでからっきしよ」


「あら素直、猛犬みたいに噛み付いてくると思ったのに」


「全く、今日はとことんツイてないことばかり、腹の底からムカつくことばかり……! ほんと頭に来る! アンタもアイツも! 捨て犬を見るような目で、私を馬鹿にして!」


 加減なしの大声があらゆる物体に反響して響く。


「……貴方、居る場所がないのね。可哀相……貴方、仲間なのね。それなのに生きてるなんて、辛いでしょう」


 偽りのなき言葉に、憎しみさえ込め、拳で圧迫する半円の菅。


「それ、よ! 私が、だいっ嫌いな! 目は――!」


 迷惑ともいうべき大声が、発せられたのと完全に同時だった。


 彼女、刹那を覆う己が圧は青黒い深き色の気体を放出している拳一点に――圧縮――!


「富を守護し、戦勝の仏。オン・ベイシラマンダヤ・ソワカ」


 拳内の積載を超えた深蒼の圧は、一息の間に有毒色の気体で小手までを呑み込み、肩口から夜に戦火の狼煙を焚く。


「〝忌むべきは無知な筆舌ヴァイシュラヴァナ〟の――――篭手!」


 爆風が深青の衣で彼女を覆い隠す。


「な――ぁ、ぁ……」


 少女の思考は一時の間、凍り付いた。すぐさま動き出した脳は根拠のない自己解析で解凍されぬ空白を埋め尽くそうと働く。


 猛犬にも度がある、あり得ない。どこからそんな――莫迦なことが……それより……壊したいほどに――。


 ――美しい――。


 思わず少女の脚が意思に関係なく後じさった。


 耳鳴りを聴覚に感じながら、少女は深青より姿を現す隠然の輪郭を眺めていた。


れい……そう……」呟くよう――少女は言う。


 無風地帯に、初めて清風らしき微風が吹く。その風に乗って深蒼は宙へ散乱。そして煙霧は晴れ、姿を現わす静の猛者。


 これといった変貌はない。ただ一つ、彼女の二臂に装威されている恐怖ものが、異常だった。


 甲から肘までを鮮やかな桃色で染める半円の筒。幾重にも重なる波紋の装飾は、象形で描かれた線画。装着者を魅せる為だけにあるような幻想。


 それが、彼女の両手を守護する物として備え付けられた――。


 ――〈篭手〉という幻想きょうふだった。


「久しぶりだと流石に目眩がしたわ。駄作の癖に、生意気」


 ――駄作。それこそ生意気な発言だ。


 年代以前に三流の鑑定士が視たところで一級にして無双の傑作品として扱われる神仏の遺物。


 間違っても駄作などと、下卑れる神経を持ってはいけない。


「止めなさい……」


 呪文のような少女の悲痛、それが――。


「ふざけんじゃ、ない、わよ!」


 ――効く耳を、疾走する刹那は持ち合わせていなかった。


「……やめて……止めて……已め、なさい――!」


 爆風の疾走に恐怖し、片手を前に翳す少女。


 距離にして三メートル弱、互いに信じられない光景が映った。


 双方が持つ神技とも言うべき莫大な圧の波、並の霊師では足元にも及ばない。それを纏う、黒き制服を着た彼女。


 それに対向する一級の邪気。恐らくはこの先、二度と出会うことはないだろう一級の悪弊。


 掃除する側としては、何を置いても関わりたくない類い。


 だがそれは、相手も一緒だった。互いに初めての体験。初めて共感した驚愕。


 それが増す――、常人の理会を超え――、少女を優っていた波動を、まして霊装なる物で強化された彼女の波を、少女は〈波濤〉で押し返したのだ。


「逝きなさい、猪女――!」


 篭手から放たれる邪気に比べ、翳す手に球圧された圧は正気。


 ならば二者に別たれた原の敗者は、致命の被弾は免れない。


 大が小を呑み込むならば、現時点での敗者は彼女の小だ。


 それを――。


「迷う代を誤った後悔、逝った場所でアンタがしなさい!」


 変速装置ギアチェンジを切り替えるだけの荒唐無稽の力で内包。


 打ち負けた正は、己が光すら消し去る強光に、沈黙した。




  *




 心から信頼し、心から相手のことを分かろうと望む知友。


 それが、親友と呼ばれるなら、間違いなく。幸弘はそれだった。


 誰かが所持してる物を手に入れることで輪に入ろうとする。


 真似をして真似されて、そんな伝言ゲームみたいな流行が終わりに近づく頃やっとゲームに参加する後れた奴。


 それが井関いせき卓真たくまという人間の生き方だ。


 だから自然と視線は前を歩く人を眺め。追いつけないけど置いてかれない定位置に在った。


 ただ一人、合わせる側の自分に、歩幅を合わせる為だけに戻って来る奴がいた。それが幸弘である。


 彼は、最前列の出来事を事細かに説明して、それを二人で遊び尽くすとまた最前に戻っていく。


 きっと彼が居たから、自分は置いて行かれなかったんだと思う。


 けど、彼はもう二度と戻ってこない。理解すればするほど、目の膜は熱く揺れた。






 幸弘の亡骸を前に、唖然と腰を下ろしていた自分を、殺しに来た少女が宙に腰掛ける。


 そして、死を観念してしまう、か弱き指を這わせながら言った。


「友達が大切なら、楽しめる相手を探して連れてきて、期限なんて言わない。その代わり、来なければ友達に逢えないから」


 歯を鳴らす自分を見て、クスっと笑う少女。次の瞬間、元から何も亡かったかのように消えた。


 幸弘は死んだ。それは偽りない真実だ。いくら放心してたとはいえ、少女の言葉が虚言で埋められていたことは、安易な解答だ。


 それでも〝俺等。ずっと友達だぞ〟と言った幸弘に、追い付きたいと願う自分がいる。そんな自分を助けようとする人がいる。


 臆病で、卑怯な自分にお似合いの、民家の壁と壁に挟まれた暗がりから見える道路そこで、彼女達が対峙している。






 霊力がなんなのか、実際あまり詳しくはない。いまとなってはどこの学校でも霊学の授業は行われているし、全く理解していない訳じゃない。


 けど、違う世界の話だってことは、否が応に分かる内容だった。


 彼女が言ったように素養なんてものは持ってないしそれに付いて真剣に対応するのだって、初体験。


 実際のところ、対応なんてカッコイイもんじゃない。


 立っているのがやっと、生暖かく見守ることしか出来ない。


 そして、始まった戦いは白光と殺す気満々の先手から開幕する。


「うわ……死んだ、今の絶対に死んだ……よね」


 過程は光に消却されてしまったが、結果だけなら、もろの見事に殺人コースの豪快な飛びっぷり。


 相手は路面に転がってピクリとも動かない。普通なら即死と断言できる、はずなのに。伏して動かぬ少女に何かを言ったかと思うと、少女は平然と立ち上がる。


 心底驚いた。が、これは常識で説明出来る戦いじゃないということが、松葉杖となって、どうにかそのまま様を見据えれた。


 立ち上がった少女が笑う、と……――背筋が凍り付く。


 悪寒なんて生易しいものじゃない、悪疫だ。免疫の有無に関係なく、精神を蝕む悪質の衝動。怖い、痛いを感じる余裕すらくれない汚染の進行速度。


 心が一瞬で凍結して、次の瞬間解凍されたと思えば合点がいく。


 零れそうになった涎を咄嗟に手で塞ぐ。


 その行為が、解凍されたばかりの意識に、僅かながら自己の判断力を呼び戻す。


 いつしか重く震えて動かなかった脚は、普段通りに動く。


 手足はピリピリと麻痺しているが、動くだけなら問題ないというのに、動かない。というよりは動けない。今度は震えて縮こまってる訳じゃない。近づけば死ぬと、各器官が警告をしているのだ。


 意識を氷結した青黒い煙幕が吹き去って、淡い篭手を着けた女戦士が姿を現す。


 状況の進行速度は、脳の収容に関心なく右から左に流れていこうとする。それをどうにか留めておくだけで精一杯。


 それ以前、あんなのを解析出来る自己処理機能ひじょうしきは備わってない。


 ゾクリ――と、背骨に這ったなにかで、背筋が伸びる。


 自分すら見える、空間の歪みらしき何かの波、全身を覆う、色にして青黒い波動。それが常に、一定の位置で維持されている。


 最後の疾走が始まる。差は歴然、素人の目ですらどっちが敗で、勝かを見極めるのは、解答を見ながら問題を解くのと変わらない。


 殺傷箇所の無い刃が、研ぎ澄まされた抜き身の真剣に挑もうとしているようなもの。


 敵意を向けられただけでも同情してしまうのに、息の根を確実に止める為に疾走して来るのだ。生きてる間は絶対に体験したくない心境だろう。


 だからそんなものに、手で壁を作ったところで〈興〉を止めることなど万に一つの可能性。


 哀れな抵抗を観ていた視界に再度、常識を超えた光景が映る。


 第三者の自分が殺されてしまう、と思ったほどの完全な脅威。


 再び限界を超えそうになる意識が取られた光景――。


 少女を殺そうとした彼女の〈侠気〉が、膨れ上がった〈狂気〉に呑み込まれそうになり。少女の〈狂気〉は、解放された〈凶器〉のうねりに凌駕され、敗北したのだ。


 優った力は、それこそ消滅と呼ばれる量子まで劣った力を滅却させた。


 残っているのは彼女だけ、さっきまで少女が居た場所には、光速で表面を擦ったかのようにチリチリと白煙を上げていた。


「終わっ――」てなんかいない。


 彼女は気づいていない。あれだけの威力、恐らくは実績が勝敗を決したと告げているに違いない。誰が見たって圧勝の閉幕。自負したとしても当然。


 だから、信じがたいことだけど、見えてしまってるから、走る。


 だから、的を定められた彼女を、空を浮遊する少女から、守る。


 僕は、臆病で、卑怯で、最悪だけど、男なんだ――!




  *




 勝負は一瞬で片が付いた。撲りつけた拳がジンジンと痛む。


 全力で殴ってないとはいえ、本気で打てば手がおしゃかになるのは避けられない、これで済めば上々。


 殴った感触が残る拳を解き、何もない空間で、左右に振る。


「刹那さん!」


 ――油断した。さすがにこのタイミングで悪漢になろうとは思ってもいなかった。


 疲労困憊を狙った奇襲に、体は為すすべなく横倒しにされる。


 倒れかけた体をどうにか捻ったものの、結果仰向きに倒れてしまい、状況は悪化。


 身を翻すのに必死だった無防備な後頭部に、衝撃はない。どうやら硬いコンクリートと頭部の間に、衝撃を吸収する為に忍び込まされた悪漢の手があるようだ。


「ちょ! アンタ、なに考えてんのよ!」


 案外素直に拘束を解いた卓真から、片手を付いて這い上がる。


「な……、アンタなに……なんで……」


 見れば倒れていたのは押し倒してきた当の本人だった。


 分厚く見えたパーカーの背は、熱せられた鉄球でも喰らったかのように大口を開け。焼け爛れた口内からは蒸気を漂わせている。


 次に見えたのは掠れた夜空に浮かぶ、黒塗りの人型。


「『命中ーー! 次はどこかな!? どこかな!?』」


 似ているが、どこか違う音程が重なった声に、思わず唾を飲む。


「なんでアンタが……そこに、居るのよ……」


「『ア・ン・タって、誰!? 私の名は、と・も・え!』」


 性格の変貌振りも然る事ながら、身振り手振りのオマケ付き。


 完璧にイってしまったとしか思えない。そう、逝ってしまったはずだ。アレを喰らって霊体構成を維持させるなんて不可能――。


 ――霊体? あれは霊体だった? 


 霊体は地に足などつけない――今の状態が正しい。


 霊体に殴った感触がある筈ない――今も残っている。


 霊体が肉体にとどまって良い訳がない――霊体じゃ、ない。


「『なーに黙ってるの。私、結構待ってるつもりなんだけど、早く起きてくれないと続きできないでしょう』」


 続きなんて、遭って良い訳がない。


「なんで霊体に肉体があるのよ……、奇怪しいじゃない!」


「『言ったでしょう、とっても気持ちが楽なのって。今日は、私が完全に生き返った日なんだから』」


「アンタ、私を馬鹿にしてるの。死んだ人間が生き返るなんてことができたら、輪廻の崩壊よ。そうなれば未来先史から現世に迷った魂が入り混じって、平行が崩壊し創めるわ」


「『もー! 分かんない! そんな難しいこと、並べられても友恵は分かんない! 簡単でしょう、友恵はここに居るんだから。世界がどうとか心配してないで! 自分の心配でもしたら!』」


「っ――」


 そう、どれだけ理屈を並べても、事実を覆すことなど出来ない。


 承認は自分、疑う余地なしの愚問。


「『私って短慮なの、もう勝手に始めちゃうから、ね!』」


「上等よ。アンタ、実力の差がまだ分かっていないようね」


 立ち上がろうとした脚が、隔たりに遮られ思うように動かない。


 そうだ、脚には気絶している卓真が被さったままだった。


「ちょ、ちょっとたんま!」


「『――、――、はい、待った』」


 こめかみがピクッと脈を打つ。


 謝るから許しなさいと、勇敢だった男に謝罪して、極限まで筋を凝縮した足先で――蹴り上げた。


 ボコ!という鈍い音が、脚と腹部の間で爆裂。


 加減していないだけにどこか逝ってしまったかもしれないけど、結果的に空いた透き間から、自由になれたのだ。よしと、すぐさま立ち上がり、身構える。


「『貴方って、鬼ね……』」


 二度目の脈動がこめかみを打つ。


「そう、私が先手で、いいのね!」


 こっそりと溜め込んでおいた霊圧を、少女が腰掛けている宙へと解放――――直撃。


 地から五メートル上空に白煙の像が出来あがる。


「『なーんだ、先手を取らしてあげたのに、こんな程度なの』」


「嘘、そんな……」


 急激上昇した少女の圧が放たれ、たちまちに白煙が四方に散乱する。白煙の中から現れる傷一つない少女の呆れ顔。


 全く手加減なんかしていない。前の一撃に比べれば、程度は落ちた一撃だったとしても、まともに喰らって平然とされる生半可なもんじゃない。


 正真正銘、この距離から出来る最大の一撃だった。


「『地面に降りた方がいい? いいや、降りちゃえ!』」


 糸が切れた人形が宙から落下する。


 羽のように着地した少女の足が地に付いた瞬間、迎撃せんとする必殺の拳が顔面目掛けて爆走する。


 最大を籠めた拳の先端に触れる大気は裂け、圧と擦れた風塵が戦火をちらせながら、対す圧の障壁と激突する。


 直ぐに、衝撃に耐え切れなくなった腕の骨という骨が軋み出す。


 痛みは手を伝って全身に。あちこちで鳴く鈍い音。


 ――ピキ。


 小手より先に、篭手が悲鳴を上げた直後、衝突し合っていた両者の圧は、自分の敗北による相殺で終わった。


「『ひゃー、びっくり、もう少しで突き抜けてたよー』」


 完璧に逝った片腕と両膝が地に落ち、肩が息をする。


「『もう少しだったのに、残念でしたー』」


 荒れる呼吸。見下げるしかないと思っていた相手を、見上げる。


 ス――っと、最小限の動きで下りて来た少女のしなやかな指が、胸に触れた。


「『これからだよ、御返しは』」


 笑う少女。次の瞬間――強烈な痛覚が胸を奔走する。


 体が無重力に舞い、平衡を失った視が飛び回り、最後は衝撃と痛みが体中を奔走した後、ようやく全てはうつ伏せに静止した。


 まるっきり役者が代わっただけの、最初の巻き戻し。


「っ――、ぁ――」鮮血が口からほとばしり地を濡らす。


 歯を食いしばり、折れそうな肘を振るえ立たせる度に、歯の隙間から垂れる血で、地面に斑点が出来ていく。


「『今のは最初のぶん。次はそれでヤられたぶん、だからね』」


 背後で篭手を指差しながら、圧を溜める少女の姿を想像する。


 後ろからやられるなんて御免だ。


 馬這いから、絞り立たせた力を一気に使って、身を翻し、正面を向く。予想通り少女の手には球体の光。


 一撃でこれだ。あんなのが直撃したらそれだまで。


「『これで終わりかも、生きてたら続きでいいや』」


 コツン、感覚が残っている方の腕に、何かが当たった。


 それはいつ落ちたのか、卓真が持っていた私のボトル。


 何気なく手がボトルの口に伸びる。


「『もしかして、それでなにかする気? 面白そうだけど、止めてよ、今わ。飲むなら、待ってあげるけど』」


「冗談でしょ、口の中切れてて、まともに飲めないわよ」


「『そ、なら終わりましょうよ』」


「そうね、これで最後にするわ!」


 残る全ての力、眉間を目掛けてボトルを投げつける。


 投入した反動を殺し切れなかった体が、右肩から地に激突。一度跳ねて仰向けに。


 ボトルは狙った少女の眉間に的確に命中して跳ね返り、どっかに転がっていった。


 それでいい。どうせ、悔しいから最後に何かしてやろうと思っただけの、意味を持たない行動。命中したなら、十分気は晴れた。


「『最後の最後で真剣に頭に来たかも。貴方って根っからの強情っぱりな性格なのね』」


「アンタなんかに命乞いができるほど、安い魂じゃないの」


「『もう、死んでよね――!』」


 本と今日は厄日だ。でも、こんな最悪な日なら、死ぬのには最適なのかもしれない。私を殺すなら、これくらいが丁度いい。


 最後に見る世界が星一つないのが、ムカつくけど。


 ――閉じようとした視界に映った、白夜に色褪せない白き鳥。


 それは、紙の厚みと二次元の要素が折り畳まれて作られた静物。


 空気抵抗を起こさぬ滑らかな動きで、それは視界の端へ消える。


「『誰、貴方、なにかようなの? 取り込み中なんだけどなー、見られちゃったしい、後で相手してあげるから、待っててね』」


 突然、眼界の夜に黒幕が堕ちる。


 誰かが仰向けに倒れている私の側で立っている。


 さっきから目が霞む。夜の幕を隠した黒幕さえも、気を抜けば瞼の幕に隠れてしまう。


「ここが素晴らしく豪華な場所ね。その割には、無惨だね」


 見えようが見えまいが、この立腹する喋り方は一人しかいない。


「なんで……アンタが、ここにいるのよ」


「はぁー、本当に君は自分の立場を理解しないんだね。ま、ここに来たのはいろいろと訳があってだけど」


「私は質問してるの、答えてよね」


「減らず口があるなら大丈夫だ」


 全く、人に理解しろしろって煩い癖に、自分こそ人の話を聞いてないじゃないか。


 黒幕が視界から消え、夜に開ける。――瞼が重い。


「『せっかちな人なのね。後でって言ったのに』」


「人格が多重しているな……二重人格か、かなりの怪異種だな。普通は、心底一帯を二つの人格が譲り合う。それが何故か、双方が同時に表面に出てきている――……多隔、人格。心底の数が桁を外れているなら、同時に人格多重が可能。しかし必ず基は要る。どっちが主力だ」


「『貴方……誰、どうして分かるの!』」


 憤りを虚空に振るう少女。


「一心で埋まらぬ場所を二心で埋める一つの生。半身が存在の維持だが、もう半身が白になっている。片方が矛盾体では不備が及ぶと思うが……どうやって死の分を補強した?」


「『私は誰って聞いてるの! どうして無視するの!』」


 空間に圧の亀裂が奔り。圧力に中てられた体中の傷が痛む。


 意識と格闘するのもそろそろ限界。盗み聞きしていたって、話しの接点すら一向に分からないのに…………。


「主人格を肉体維持に回したな。死の補強で魂を喰らい続けることで、生を御身しようとした。くだらない、夢だ」


「『分からない! 貴方さっきから物々ばっかでツマンナイ! 私は、私――友恵は――〝わたし〟よ!』」


「一度だけ問う。霊魂と肉体の接合軸からして数ヶ月、いまの自分を理解しているのか」


「『黙って』」


 ゆらりと翳される少女の手、そこに大気を蒸発させる圧の塊。


 それが突っ立っているだけの陰気な男を、射抜くことを目す。


「どっちみち生を望んだ時点で処分される決まりだ。夢をみたところで変わりはしない」


「『だまっ、て! よお!』」


 迸る――圧力。常人からすれば其処に何もない。常人には霊力を視認することは出来ない。感知したとしても悪寒か気味悪さを感じる程度だろう。


 ならば、常人にすら視認が出来る圧の歪みを放った少女は、異から見ても異常に他ならない。


 それを前に、男は動じることなく告げる。


「〝生を捨てるなら死も望むな〟、魂に死は異存と知れ」


 釣り合いが取れていなかった男の前髪が、下から風を受けているかのように理解出来ぬ力で靡く。


 そして、紅き眼が、正の圧を〈視〉圧する。


 視圧された圧は、内から四方に弾けて周囲を淡い光で風光した。


「『そん、なぁ……わたしは……のぞ、みをぉ――――』」


 そこで少女の世界は断絶した。最後に観えたのは、白き鳥が自身の胸を貫いた姿だった。


 幽霊のように俯いた少女は、頭から光の粒となって天に足りぬ宙まで昇り、消滅していく。


「依頼完了っと、これをいつもやつに」


 弧を飛来して肩に降り立った白き鳥が、一通の手紙が銜えて飛び上がり、月を翳す夜空へと飛行して遠ざかって行く。


「ったく、結局手掛かりも収穫もなしか……」


 いや、収穫はあったなと、気持ちよさそうに熟睡する女を見る。


「こんな状況下で、よく眠れるな」


 腕力には有り余る二つの荷物を見て溜め息をつく男の目に、なんとなく癇癪を起こす彼女の姿が想像できていた。

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