白紙の許婚

シン

一章【初め夏】

第1話〔そめなつ〕①

 靴下なんて嫌いだ。指の間に出来る生温いものがいつも僕の機嫌をそこねてくれる。その上、朝早くに起こされてなにも食べていない今の僕は、もの凄く機嫌が悪い。だから、分かっていてもわざと言ってやるんだ。


「おなか空いた」


 太陽の熱を、虫眼鏡でジリジリと浴びせられているような熱気が漂う車を運転する父さんが、想った通り僕に気づかれていないつもりで母さんをチラっと見てから、溜め息を吐いて言う。


「今日は我慢しなさい。昨日言ったが、手術が終わるまでは駄目だからな」


「じゃあジュースは飲んでもいいの」


「できるだけ控えなさい」


 分かっていたことだけど、今日は一日、不機嫌で過ごせそうだ。


「返事をしなさい」


 クーラの風を顔に浴びながら、自分でも聞き取り難い声で返事を返した。いつもなら怒る父さんが、何も言わない。膝枕をしている母さんはこっちの言いたいことを首を振って、なにも言わせてくれない。それが反乱する僕に対しての、父さん達の絶対に揺るぐことのない決まり戦法なのだ。


 どうせ食べれないんだ。これ以上へんなこと言って、怒られるなんて絶対に、御免だ。


 学校で習った空を汚す空気を出しながら、一定の間隔で車体を揺らす振動。寝転んで見る薄呆けた蒼の世界は、意地悪をしようとした結果の終着駅。そして、睡魔に襲われていた目は――。


 ――真っ白な鳥に奪われた。


「父さん……真っ白な鳥だよ」


「鳥なんてどこにでも飛んでるだろ」


 そう言いながらも、父さんは窓の外を見て鳥を探した。


「どこだ。真っ白な鳥なんて居ないじゃないか。どうせ紙を見間違えたんだろう」


紙通しつうに鳥の形したやつなんてないよ!」


 自然と音量に力が入ってしまう。しかし、窓にへばり付いて見ても鳥の姿はどこにも見当たらない。


「最近でたのかもな」


「絶対にそれはないよ。僕が知らない紙通なんてないもん」


「そうだったな。こうは紙通名人だもんな」


 霊布れいふと呼ばれる紙に、名前を書いて相手に飛ばす手紙。


 それが紙通。


 父さん達のような霊能力者なら必ずと言っていいほど持っている携帯伝達紙でんたつしだ。


 霊力を持っていない人でも使えるから、昼間なら大抵そこら辺で飛んでたりする。種類も結構あって、趣味で買ってる人もいるくらい。実際その一人が僕だ。


「気になるなら、鳥の形をした紙通があるか訊いておくけど?」


 父さんの質問がいつも僕の疑問を解決する。


 好きな野球選手の話しになればこんな風に、次の日サインを貰ってきたり。発売の前の玩具を持って帰ってきたり。


 一個三百円はする紙通を箱に一杯くれたこともあった。


「信じていいの?」と、いつもの返事。そして「あたりまえにとうぜん」と、いつもの答え。


 そんないつもの遣り取りは、蒼天を掲げた街を走る僕の世界で、風船のように一気に膨れ上がり。そのまま蒼天の空へと昇り、消えていった。


 ――揺ら揺らと車は走る。






「ぜったいあのおっちゃん医者じゃないよ。注射下手だもん」


 いつだって患者の気持ちなんか考えようともしない。


 気分が悪くなるほど清潔。息苦しくて、息が出来るのはいつだって窓の視野だけ。


 大人だって毛嫌いする余分な空白が、通算五度目の気の休まらない疲れを用意してくれる。何度きてもそれを思うのは変わらない。


 そして、痺れて動かない体を放置しているベットの横で、無駄な動きだけが省かれたリンゴの剥き方も変わってない。


「それも五度目ね」……確かに。


「また勝手に覗いたの? いつも言ってるのに」


「あら、ごめんなさい。次から気を付けるわ」


 なにをしても完璧な母さんの唯一の欠点を挙げるとすれば、直ぐに覗くことだと思う。これを考えるのも変わらない。


 今更だけど、僕の両親は霊能力者だ。それもかなり凄腕。小さい時から二人の除霊を見てきた僕が言うのだ、間違いないと思う。


 僕は凄腕の霊能力者の間に生まれた子供。当然、力は備わっている、筈なんだけど……実際のところは、そんな格好いいものじゃなかった。


 僕には才能がない。父と母が霊を除霊する姿は、僕にとって憧れの的。だからいつかを夢見て頑張っている僕の魂には、最低なことに、霊視の力しか備わっていなかった。


 普通は、霊視、言霊、互換力を持っていることが良き霊能力者の条件になんだけど。たった一つしか、僕は持っていない。


 ま、飛び抜けた僕の霊視力を褒めてくれる人は沢山いるけど。


 ハッキリ言って、要らない力だ。どうせなら互換力に優れていて欲しかった。


 霊力を具現化して、あらゆるものとの接触を許す力、互換。


 それが電化製品が盛んになっている時代で、霊能力者が認められた証でもあるのに。憧れる力なのに。


「そしたら、母さん達は仕事があるから」


 結局、母さん達のようになるには、僕は不十分なんだ。


「分かってるよ。明日には一緒に帰れるんでしょ?」


「ええ、もしも母さん達が戻らない時は」


「叔父さんのところに行きなさい、でしょ。電話番号だって覚えてるよ。それに母さん達が負けるわけないじゃん」


「負けるとかはないの」で「生きていられるか、なのよ」を合わせ言う。そして「それも五度目だよ」って言ってやった。


 僕は覗く力は持っていないが。これくらいは、一緒に住んでると自然と身に付く読心術だ。


 母さんが窓を開けて「そうだったわね」開放された窓が、気持ち悪い部屋の空気掃除を始める。


 生温いけど涼しい風が顔にあたり、左右に吹き抜けた。いつのまにか母さんは身支度を終え、僕を残し一人外界に。


 再度窓から入ってきた風が、去った後の扉を眺めていた横顔を叩いた。そして好奇心に刺激を与える。


「今日はこの病院って言ってたな。少しだけ……なら、いっか」


 ま、バレたって謝れば許して貰える。いつものことだ。


 カーテンが強風に煽られ窓枠が隠れる。布を貫通してきた弱風の心地よさ。ついでの陽射しが眩しい。


 ――夏は蝉も気絶してしまうほど暑かった。






 一滴が落ち、また触れた。いつしか雫が作る波紋の波は、領域を拡大させながら冷風が吹き抜ける廊下に、小さな涙の池を誕生させていた。


 体を必死に支える三脚が、ガクガクと震える。


 窓を透して月の外灯が投影する影。あかに染まるナイフ。口内がレモンを嗅いだみたいにシュワっとして、鉄臭い。


 どれだけ圧迫しても止まらない左目の涙腺。痛みを感じなくなったのはいつ頃だろうか。


 溜まった排水に我慢できなくなった口から――。


「あ……あぁ」――垂れた涎が、池と一色になった。


「父さん、母さん、父さん母さん、とぉさぁかぁさ……!」


 糸が切れた操り人形みたいに、三脚がなくなった体は、銅い池に崩れた。圧迫し続けた左手の平から、流れ出る血液が遅速で池を広げていく。


 そして池は振動する。辛うじて保っていた意識が、誰かが近づいて来たことを視で認識させようと動く。


「情けない。ワシの言うことを聞かずに霊能力者なんかに任せるからこうなる。面白いものは観れたが、これは些か度が過ぎておる。責任を取るしかないの。……手頃な」


 眼球は銅黒く薄れて、片方しか機能してくれない。


 ううん……それは唯のおまけだ。


 壊れた僕は、ここに人が居ることや、どうして僕を見て驚かないのだろうとか、どうでもよくなっている。


 夜とはいえ真夏。なのに暑苦しそうなコートを羽織り。垂れ下がる長髭を見て、年老いた老人だと思った。


 老人の杖が血の池に突き立てられ、月日と共に伸びた威厳の顎髭が、涸れた手でなぞられる。


「名前……、いやそれどころではないか。君がそうなってから五分は経っている。どう考えても、幼き体ではもつまい」


 擦り寄って来た杖が、手に触れる。


「ワシがもう少し、早く着いていればの」


 不思議と体を侵していた痛みは、姿を消した。だけど体を縛れるものは消えない。から、動かない。


「さて、いまから言うことを必ず君の記憶に残しておきなさい」


 壊れてしまった聴覚に、新聴覚が蘇っていく。鮮明になった思考は、一文字洩らさず言葉を刻んでいく。


「君の左目は無止むしの代物。君を襲った霊は、死を恐れ、生を下した者の慣れの果て、はく。ワシは白専門の除霊師。どれも現状で理解することはできんだろう。さて、さっそくじゃが、決めなさい。全てを失い、なにも無くなった君の行く先。ワシのところに来るか、見知らぬ孤児院へと、行くかをね」


 ――緩やかに視から染めが堕ちていった。

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