王冠を手にするとき2
王座の新たな主を迎えるにあたり、取り決めるべき事について。
エルンチェア宮廷の主要閣僚たちは会議を開き、王太子ジークシルトを首座に据え、議論を行った。
他国であれば、王はこのような席に姿を見せる事はあまりない。
臣下に決めさせて最終的に決定を下す、ないしは結論の報告を受ける。
ただ、国王親政のエルンチェアのみ、王あるいは王太子が同席するのである。
「王太子殿下のご臨席を賜り、御意を仰ぐべく、一同は場に集えり」
会議の第一声は、このような決まり文言から始まる。
かつては第六代バロート王が腰を下ろした北側の最上席に、美しい王太子の姿があった。
議論の風景は、先代存命の頃とは大いに異なる。
親王派を称した文治貴族は一人もいない。
ジークシルトは、忠誠を誓った者だけに出席を許した会議の場を軽く見渡した。
「諸君の意見を聞きたい。
わたしの考えは後ほど開陳するとして、まずは活発なる議論を望む」
意見交換を促され、さっそく典礼庁の長官が発言を求める挙手をした。
「バロート六代国王陛下の薨去を、臣は残念至極に存じます。
ご葬儀一切の手配は滞りなく進んでおり、宮廷における有職故実に則って、国葬を営みます。
日取りについては、神務庁長官より発表がございます。
国葬に先立ち、ジークシルト王太子殿下にあらせられては、第七代国王への登極を伏して願いあげ奉る」
続々と賛成者が声をあげ始める。
「ぜひお早目の戴冠をお願い申し上げます」
「国民は動揺甚だしく、新たなる王のご誕生を心待ちにしているとの報が寄せられております」
「陛下薨去に伴い、喪に服さねばならず。
戴冠式はいま少し先の話としても、発表はお早めが望ましいかと」
出席者の中で、ジークシルトが王太子の座に留まるべきであるとの論陣を張る者は、今のところ見られない。
その様子を最上席に陣取った彼は、表情を消して眺めていた。
登極を急げとの意向が大多数、いやあるいは全員から発せられるであろう事は、ジークシルトには自明だった。
(まぁ、当然の成り行きだな。
国王不在は、我がエルンチェアにとって少しの得にもならぬ。
軍閥ですらも、何とかおれを王座に押し込めておきたいと考えているのだろうよ)
軍からも代表者が送り込まれている。
バロート存命の頃であれば、その席は大剣将たる老ツァリースの独占するところだった。
しかし、かの老人は東国境に出征しており、王太子の代理人として監督の立場にある。
よって今は、ツァリースを輔弼するヴェルゼワース剣将が座していた。
王太子に近侍するダオカルヤン・レオダルトの父である。
(ふむ。
ヴェルゼワース剣将は、傍聴に徹する構えか。
ツァリース老人なら、他を押しのけてでも、おれを国王にせよ、何なら今すぐ王冠をここへ持って来いと怒鳴っているだろう。
さすが、ヴェルゼワースは弁えておるわ)
実は内心で、ジークシルトはおもしろがっている。
父バロートとともに、エルンチェア宮廷を支配していた軍部の要ツァリース大剣将は、ジークシルトの
これも他国なら、王子から「爺」と呼ばれ、一般に幼少時は教育役を務めたあと、成人すれば執事として引き続き世話役に就任する。
たとえば南方圏のエテュイエンヌ王国第四王子ロベルティートが、自分につけられていた傅役を親しく「爺」と呼び、茶の相手をさせたり、生活にまつわる雑事を任せたように。
だがエルンチェアでは、特に王太子につけられる傅役は、単なる世話役ではない。
(あの老人も、そろそろ身を引くべき時が来たようだな。
口を出し過ぎるのだ、あれは。
その点ヴェルゼワースは良いな。黙って聞き役を務めている。
ダオカルヤンの父上は、息子と違って騒がしくない。
よく調和がとれたおもしろい組み合わせだ)
誰にも聞こえないのを良い事に、しれっとひどい評価を腹心に与えるジークシルトである。
新たな宮廷人事を行ううえで、臣下らの発言や思考の傾向を知るのは、王太子にとって有益だった。
彼は現在二十四歳で、背後に補佐役を置く必要はない。
父を失った悲しみは悲しみとして、自分なりの人事を執行できる点には、彼はそれなりの喜びを見出している。
自らの周囲をどのような人物で固めるか。
すばやく思案を巡らせつつ、彼は話し合いを続けている臣下たちを、相変わらず表面は無表情を保って見渡している。
留意する点は二つ。
(まず、おれが臣下の期待に応えて第七代国王の座についたとする。
グライアスとの戦争が終結するまで、一切をおれに委ねるつもりがあるか。
再び国境へ軍を親卒すると、おれが発言したとき、どう出るか。
次は、王太子に留まるとの意向を発表した場合。
おれの意向に従うか)
要は、ジークシルトは対グライアス戦争を、全く諦めていないのだった。
心の奥に潜むのは、実弟パトリアルス・レオナイトをどのように処遇するかである。
(あいつは、おれと道を違えたのだ。
もはや我がエルンチェアに帰国する意思などあるまい。
グライアスへ亡命するとの意向を発したとは、すなわち我がエルンチェアとの敵対を選んだということ。
つきつめれば、おれとの対決を望んだのだ。
よかろう。
パトリアルスよ、それが望みなら、叶えて遣わす。
分かっているのだろう。
おれが、一度敵対した者を許すなど有り得ぬと)
覚悟が胸に満ちてくる。
どうあっても弟と衝突するしかないのなら、他人に任せたくはない。
かつて、パトリアルスを庇って父王との対立も辞さなかったとき、王の執務室で諭された記憶が蘇る。
バロートは言った。
「どうあっても、手を汚したくないか。
持ち帰られた首級を、謁見室で検分する方が好みだというなら、そのように取り計らって進ぜる。
ただし、それはそれで、後味の良いものにはなるまい。
予であれば、左様。
どうにも救い難いのなら、せめて、少しでも安楽な最期を迎えられるよう。
精々手を尽くす方を望むがな。
おまえは違うと。
そういう事で良いのだな」
パトリアルス討伐を命じられて、ジークシルトは柄にもなく怯んだ。
今にして思えば、拒否の意が表情にくっきりと浮かんだに相違なかった。
その様子を凝視したバロートから、そのように言われた。
臣下に討たせてもよいが、さぞ後味の悪いものになるであろう。
いっそ己の手で決着をつけるのであれば、少なくとも苦しまない最期を用意してやれるではないか、と。
あの言葉は、依然としてジークシルトの胸に宿っている。
(ああ、そうとも。
おれはパトリアルスを憎悪できないのだ、いかなる経緯を経たとしてもな。
幼いころ、おれを純粋に尊んでくれた。
長じてもなお、赤誠を貫いた。
あの素直な弟を、おれは憎めない。
ヴェリスティルテとは違う、おれの救いだった男だ。
救える道が閉ざされたのなら、せめて苦しまぬように、できる限りの手を尽くしたい。
おれが王冠を手にするとき、引き換えに、パトリアルスの命運を他の誰かに委ねざるを得なくなるのだけは、断じて避けたい。
最後くらいは血を分けた兄弟でありたいのだ)
長い長い思案の結果。
ジークシルトは、目指すべき着地点をついに発見した。
会議は依然として、第六代王太子の早期戴冠を前提として進んでいる。
王が全ての指揮をとらねば、宮廷は指一本たりとも動かせない。
その事情が、臣下らを「どうやって王太子を納得させるか」に向かわせている。
彼らも、ジークシルトの気性はよく知っている。
内心で未だにパトリアルスへ温情をかけたい、助命は断念したが、可能な限りの安楽な最期を与えたいと考えている。とまでは洞察が及ばなくとも、戦争からあっさり手を引く性格ではない事は、全員が同一に思うところなのだった。
「殿下が登極あそばされたみぎり、対グライアス戦争を臣下にお任せくださるであろうか」
みな、口に出さないが、懐疑的な気分で会議に臨んでいる。
もちろん、臣下の立場として、国王を快く前線に送り出せるはずはない。
妃はまだ懐妊にいたっておらず、仮にそうなったとしても、産声をあげるまでは男女の別はつけられないのである。
男子を得ぬまま、命の保証が無い場所へ王を気軽に行かせる事はできない。
王太子が出征した当時とは、状況が違いすぎる。
さて、どう話を進めるか。
臣下一同は、困惑しながらも迅速な即位を目指すべきとの意見に集約しつつあった。
「それまで」
ジークシルトが片手を挙げた。一瞬で場が静まり返った。
「諸君の意見はよく分かった。
では、わたしの意を語ろう」
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