富国、南方に在りて5
てっきり、恋人との別れを要求されるとばかり思い込んでいたのが、これは予想外だった。
不貞腐れかけの態度を思わず改め、姿勢を正した。
「ティプテの話ではなかったのか」
「まず聞け。
全ては、一本の糸によって律されているのだ」
「判った。その話は聞こうか」
提供された話題は、少なからずランスフリートの興味を引いた。
無役ながら、国際情勢には暗くない彼である。
従兄や祖父から聞く事もあれば、たまに顔を出す舞踏会、夜会などで、何とはなしに耳に入れる事もある。
決して嫌いな話題ではなく、それどころか密かに関心を抱いてさえいる。煙たがっている祖父に自分から会話を求める時とは、ほぼ最新の国際情勢を聞きたく思う時だった。
「で、ツェノラがどうだというんだ」
「やつら、北方圏に接近しすぎだ。
焦っているようだな」
「後ろ盾に、絶縁状でも突き付けられたのか。
あの国に見放されたら、ツェノラは終わる」
「その通りだ」
ダディストリガは簡単に肯定した。ランスフリートは驚きに目を瞠った。
「おい、本当か。
おれは冗談の積もりで言ったんだぞ」
「一概に冗談と笑い飛ばすわけにはいかん」
ダディストリガは首を横に振った。
「ブレステリス王国の動向如何によってはな」
「ブレステリス。
北方の、あの国か。エルンチェアの」
本来の属性であろう明哲さが、父王によく似た秀麗な面てに浮かび上がった。
ダディストリガの評価にあった通り、ランスフリートの本質は、愚鈍とは無縁である。
「続けてくれ。
詳しく知りたい」
「現時点では、まだ噂の域を出ないがな。
さる情報筋によると、ブレステリスが、どうやらグライアスと通じる積もりであるらしい」
「グライアスだって。確か、北方圏の東にある」
無遠慮に信じられないという顔をして、彼は聞き返した。従兄は頷いた。
「ああ。
我らとはあまり関わりが無いからな、おれも詳しい事はよく知らぬ。
有名な話としては、エルンチェアと頻繁に国境紛争を起こしている、といったところか」
「それなら、おれも知っている。
しかし、そのグライアスとブレステリスが通じるだって。
ブレステリスと言えば、エルンチェアの属国か、それに近い立場のはずだろう。
有り得る話とは思いにくい」
「考え方にもよる。
ブレステリスが、勝手にグライアスとよしみを結ぶ積りなのか。
それとも、意向を汲んでの事か」
「……そうか」
ランスフリートは、つい先程まで対話を拒否していた事も忘れ去っていた。
従兄との間に置かれている円卓を乗り越えんばかりに、身を乗り出す。
「何らかの理由があって、彼らが宗主国と決別する考えに至ったのなら、単なる北方圏での勢力争いかもしれない。
問題は、意向を汲んで動いていた場合だな」
「その通りだ」
ダディストリガは、率直に感心した様子を表して頷いた。
「エルンチェアとグライアス、あの両国は仲が悪い。
今はまだ局地的な小競り合いにとどまっているが、いつ暴発してもおかしくはない。
そのような状況下で、もしエルンチェアがグライアスに対して、何らかの行動を起こさなければならなくなったら、どうなるか。
表立っての接触が困難であれば、どこか別の国を代理に仕立てるだろう」
「それが、属国の役回りというわけだ。
ダディストリガ、おまえはどう考えている」
「おれは、エルンチェアの目論見は、リューングレス王国を抑え込む所存と見ている」
「……それで、ツェノラか。
何となく判ってきた気がする」
拳を作って顎に手を当て、ランスフリートは呟くように言った。
思考が巡っている。
ダディストリガも足を組み替え、利き手の中指で、もう一方の手のひらを軽くはじいた。
「リューングレスを加えて考えれば、ツェノラのおかしな動きについて、それなりの予想は立てられる」
「そもそも、そのおかしな動きというのは何だ」
「北に放ってある間者の報告によれば、ツェノラ訛りを話すレオス人旅行者が、しばしば目撃されているとの事だ。
ザーヌ大連峰側の三か国でな」
「ツェノラ人が、北方にだって」
驚きに値する内容だった。
「何の為だ」
「それはまだ判らんが、まさか噂に聞く雪景色とやらの見物旅行ではあるまい。
物好きな趣味に興じていられるゆとりなど、あの国にあろうはずもない」
断言を受けて、ランスクリートは目を伏せた。
南方圏の一国ツェノラ、彼らにまつわる噂は聞き及んでいる。
「気の毒な国だな。
領土が東に寄りすぎているせいで、建国以来、農業が不振続きだと聞いた事がある」
「ああ。
ツェノラは、海に頼るしかない国柄だ。
餓死が嫌なら、漁業を盛んにして魚で食い繋ぐのが、さしあたりは一番順当だろう。
後は、他国からの援助だな。
いかに漁業を得意としていても、魚だけでは国民を養いきれぬ。
頼みの援助を打ち切られた、あるいはその気配があった場合、後はどうするか」
「だから、彼らが北方に近寄っていると言うのか」
「他には無いだろう」
現在判っている情報の範囲で判断する限り、従兄の言い分は正しいと、ランスフリートは思う。
(何かが起きている。
今までにない、大きな動きだ)
一般に「北は騒然、南は不穏」と称される。南北両圏の政治情勢を表現した言である。
北方圏ではよく国境紛争が起きているし、エルンチェアが握る塩の権益を巡って、各国が対立しては和解する、と何かと忙しない。
その点、南方圏はダリアスライスを中心に、各国が当国を取り囲むようにして存在する地理事情が影響してか、賑やかな対立関係を持つ国は無く、相互に牽制し合ってさしあたりの平和的雰囲気を醸し出している。
だが、その均衡が崩れつつあるのか。
不穏では済まない何かが起きようとしているのではないのか。
直感が捉えた認識に、思わず身をすくませた。
ダディストリガは、見ていた。
「だとしても、だ。
ツェノラの事情を優先して、南方圏の平和を乱す真似を許すわけにはいかん。
北方圏としても、あんな貧国に用は無いばかりか、下手に領土をうろつかれては迷惑千万だろうよ。
うっかり接触して、援助をねだられたら目も当てられまい」
「随分な言種だ」
手厳しい従兄の評価に、ランスフリートは苦笑いを禁じ得ない。
「ツェノラも、別に好んで貧しいわけじゃないだろうに」
「我がダリアスライスに対する包囲網の一翼を担った、れっきとしたかつての敵国だぞ。
親切にしてやる道理などあるか。
連中がどうなろうが、どうでもいい。
留意すべきは、北方圏で一国だけ連中に友好的な国がある。
それがリューングレス王国だという点だ」
ダディストリガは、気難しい表情で言った。
「先方も大陸東側にある、しかも小国だ。ツェノラとは、さぞ気が合うだろうよ。
小国同士で細々と交流する分には構わんが、リューングレスは北方の一国だ。
そして、グライアスの属国という立場にある」
「一方で、ツェノラも属国か。
おまえの言いたい事は、見当がついた」
卓上に両の肘をつき、組んだ指に顎を乗せて、ランスフリートは思慮深い表情を作った。
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