封印されているのは大抵、闇の力

 監獄が存在する鉱山にまで、戦いの激しさは伝わっていた。


 幽閉されている囚人はもちろん、邦牙論ほうがろんにも伝わっており、看守にいくら怒鳴られようと、笑いが止まらない様子。

 いつまでも黙らない彼を黙らせようと、苛立った看守が鍵を開けて牢の中に入った次の瞬間。

 看守二人の首から上が、掻き消えた。


 遅れて噴き出す血飛沫に、論は濡れる。

 元々血反吐に塗れることに抵抗がない彼だが、このときばかりは濡れたことに文句を言いたそうに睨んだ。

 文句を言える相手が、そこにいるからだ。


「遅いよ遅いよ遅いよ、姉貴ぃ。遅すぎて暇すぎて僕、舌噛み切ろうかと思っちゃったよぉ」


 と、いたずらに舌を出しておちょくるが、両腕が後ろで結ばれている上、能力も使えない今、もしも相手の機嫌を損ねれば殺される可能性すらある。

 それでもこんな態度を取れるのは、彼女がその程度のことで怒るような短気ではないことを、重々知っているからだった。


 彼女、邦牙家の長姉であるらんは、その程度で腹を立てるような人ではない。


「やられたわね、論。不意でも突かれたのかしら。貴方、れんよりも強いんじゃなかったの?」

「兄貴にはあの人形がいるんだよ……ヤバいよ。あいつがいると、兄貴の能力がさぁ、ヤバいよヤバいよぉ」

「あぁ、ピノーがいるのね……通りで。あの子、強いものね」

「あいつ自身はどうってことないってぇ。ねぇ姉貴、兄貴を二人で殺ろうよ――」


 突如、物凄い力で首根を鷲掴まれる。

 言葉を紡ぐ余裕などない。息をする余裕もない。


 必死に息をしようとして、代わりに涙がボロボロと溢れ出てくる。

 意識が遠のき、首から下が酸欠になって痺れてきた。


 死ぬ、と覚悟し、目が真っ白に剥きそうになったとき、蘭は手を離した。


 勢いで倒れた論はめいいっぱい息を吸いこみ、咳き込み、自身の唾液で大きくむせる。

 姉を再度見上げる弟の目には、軽口を叩ける余裕など完全に奪われていた。

 ゴミくずを見るかのような無感情の眼差しで、死ねとさえ言ってきそうな眼差しで見下ろしてくる姉から伝わって来る畏怖と恐怖は、災害級の怪物を相手にしている以上のものだった。

 

 兄弟姉妹でも一番狂気的な能力を持ち、性格も能力に従って狂気的な論が、心の底から恐れていた。


 彼女は簡単に怒らない。

 だがその一方で、怒らせると一番怖い。

 殺す、と脅して来れば、本当に殺しかねない危険性を持っているのが、邦牙蘭という女性だ。



「二度と言わないことね。弟を殺そうなんて言う奴は、誰だろうと殺すわよ。たとえそれが、実の弟だとしても」

「ご、ごめんよ姉貴……殺さないから、殺さないで……」

「もちろん。あなたも私の大切な弟だからね。さ、早く出ましょう……ついでに、ね」


 帝国の梁旬リャンシュンと王国の島谷日和しまたにひよりの対決は、日和が攻め立てる展開から一向に変わっていなかったが、変化はあった。

 梁旬の反撃が、雷電と同じ速度で駆ける日和に掠るようになっていたことである。


 目が見えるかどうかなど関係ない。

 刀を折られ、得物を失ったかどうかも関係ない。

 雷電の速度で繰り出される蹴りを籠手を巻いている腕でガードして、すかさず殴りかかる彼の反撃は、徐々に日和を追い詰めていた。


「少しずつ掴んできたよ。君も無敵というわけじゃないらしい」

「嫌味ね」

「そう聞こえたかね? だがそう聞こえても仕方ない――!」


 拳が、音を置き去りにした。

 いや、そんなことはない。音も拳も同時に出された。


 だがそう感じるほどに正確に、そして早く、梁旬の拳は回避行動を取った日和の脇腹を捉えていた。

 凄まじい衝撃に臓器を潰され、日和は血の塊を嘔吐し、弾けるように吹き飛ぶ。


 酒屋に突っ込んだ日和は、棚に並んでいた高価な酒瓶を浴びて、割れた瓶の破片で体中を切り、血を流す。

 喉に溜まった血の塊を、指を突っ込んで吐き出した日和は、必死に呼吸して酸素を取り込み、悠々と詰め寄って来る梁旬をめ上げた。


「言っただろう、こちらが上だと。知略だけでなく戦術、さらに実力そのものがおまえ達よりも上の存在なのだ。帝国が空を支配していることこそ、それを示唆している」

「空中庭園を基盤に作った、空飛ぶ大陸、ね……あれ、あんたたちの国だったの」

「そんな強がりももう聞けないのだと思うと、悲しいよお嬢ちゃん。しかし驚いた。あの体制から急所を外させるとはね。確実に、とは言わないまでも的確に突いたと思ったのだが」

「本当に、上からね……」

「そりゃあ、上だからね。と、このやり取りは二度目だったな……では、三度目にならないよう、殺すとしよう」


 砕け散った瓶の破片を踏み砕きながら、梁旬はゆっくりと距離を詰めてくる。

 離脱をしようにも反撃をしようにも、日和の体は動かない。


 まずそもそも、逃げるのにも反撃をするのにも必要な脚が、両脚とも折れていた。

 右足に関しては、あらぬ方向を向いてしまっている。

 自身のつま先を真正面から見たのは、日和にとってこれが初めての経験だった。


「楽に死なせることは生憎とできないが、まぁ、死ねば楽になるから頑張りな」

「何……死んだことがあるような言い方ね」

「光のない世界ってのは、死の世界の一歩手前なのさ。次は音、次は気配。何も感じなくなった底に、死は存在する」

「それ、どこの宗教観?」

「さぁね。仏さんの方が知ってると思うから、死んで訊いてみたらどうだ……!」


「“兜割かぶとわり”」


 梁旬の正拳突きが、日和の頭をスイカ同然に割ってやろうと繰り出される。

 衝撃で酒場が貫かれ、粉塵が窓という窓を破壊して噴き出した。

 粉塵が治まると、梁旬は口の中に幾分か入ったようでその場で吐き捨てる。


「隊長格と言っても、やはり子供か。この程度とは笑わせる。だからおまえでも結果は変わらないと思うがね」


 繰り返すが、梁旬は目など見えていない。

 だが誰もが見えているだろ、と反応するくらいに見えている。

 故に梁旬は日和を間一髪救った彼が、日和と大差ない若者であることをわかっていた。


 散乱した酒場の中から小麦粉が入った袋と日和を担ぎ上げ、ウォルト・Dディーニュ・アルトは袋に血に塗れた日和の頭を寝かせ、目にかかっている前髪をどけてやる。



「おまえらしくもねぇ、んな奴にやられるなんてよ」

「ウォルト、あなた……今頃、来て……何様の、つもり……」

「あぁ、悪かった。メイアンさん説得するのに、時間かかっちまった。後でおまえの大好きなチョコレートパフェ、奢ってやるよ。だから、死ぬんじゃねぇぞ。きっちり詫びいれてやっから、絶対死ぬんじゃねっぞ!」


 ウォルトの周囲で水が舞う。

 酒場の割れた瓶から酒やワインが舞い上がって、ウォルトの周囲に集束。

 ウォルトの造形能力によって、巨大な両腕が作られた。


「めぇぇっ!!! れのダチに、何しやがんだぁぁぁっっ!!!」

「ほぉ、水使いか」


 水の拳が梁旬を襲う。

 怒りに任せたウォルトの攻撃は、盲目の男に軽々と躱される。


「“水彩千手サウザンド・アクト”!!!」


 千とは言わないまでも、それに近しいほどの数に分裂した小さな手が一斉に襲い掛かる。

 雨のように降り注ぐ拳の応酬。


 だが、梁旬には当たらない。

 むしろ盲目であるからこそなのか、そう言えるほど、彼は見事なまでに見切っていた。


「おまえさん、才能はあるようだが短気だろ。複雑な能力を制御できているのに攻撃が単調では、当たるものも当たらんよ……“川崩かわくずれ”」


 千に及ぶ連続の拳をいなし、受け流し、攻撃の隙間という隙間を掻い潜って突き進んでいき、ウォルトの下まで軽々と辿り着いて、正拳突きで心臓を潰す。


 ウォルトの薄くはない胸板が割れ、心臓を深く抉られ、潰される。

 軽々と飛んだウォルトは家屋へと頭から突っ込み、直後に動かなくなってしまう。

 唯一見える足がダランと力なく下がるのを見て、日和はすでにない血の気がさらに引いた。


「ウォルト……? 冗談、でしょう? ウォルト?!」

「惜しいことをしたかな。まぁ、そういう運命だったという話さ」

「っ……!」

「どうした。想い人だったかね、お嬢さん。それは悪いことをしたなぁ」


 想い人。


 日和は一度たりとも、ウォルトをそんな意識下で見たことはない。

 プライドが高く、短気過ぎるくらいに血の気が多いウォルトのことは、愛国心が強いけど憎い奴、としか思ったことはないと思っていた。


 だが、今胸の中に荒ぶる感情の正体は何か。

 荒れる動悸、切れる息。

 血の気はみるみる引いていき、顔が真っ青に変わっていく。


 周囲からは不思議な雰囲気を出す子だと言われている彼女だが、このときほど人間らしく、一人の少女らしい顔をしたことはなかった。


 自身の傷など、もはや意識の外。

 まったく動いてくれない彼の姿が、彼女に短い悲鳴を上げさせる。


 日和自身も気付かぬ心の内を、梁旬は見抜いたのだ。

 梁旬には人を見抜く力がある。


 そして本人ですら気付き得なかった感情が晒されたことで、動揺した日和は梁旬のことなど視界から外して泣いている。

 今ならば、殺すのは容易い。

 短い嗚咽と泣き声を聞いて、梁旬はせめて彼と同じ場所へ送ってやろうという残酷な慈悲を以て、手刀を振り下ろそうと構えた。


「さらばだ、若い隊長諸君」


 同時刻、一番隊を率いていたクレア・ランス・ケリーもまた、帝国の団長によって足止めを喰らっていた。


 漆黒の意匠の合間から見える黒い肌。

 黒い仮面を被った男は、宵闇の中で神出鬼没を繰り返す。

 筋肉質で大柄なこの男は、風のEエレメントの自己加速によって、高速の体術を繰り出し圧倒していた。


 鉱山の監獄塔に入った蘭の存在を悟らせないため、陽動に徹する。

 地味な能力に落ち着きながらも、その戦果は派手と言わざるを得ない。

 戦闘部隊でも強力な部隊の一つである一番隊を、たった一人で長く足止めしている彼は、帝国一三騎士団、第七団体団長、ダズ・ラッシュ。


 クレアは彼のことを、アストラピの総督として知っていた。


「気を付けなさい! その男、かつては南の国で殺し屋の異名を取った男よ!」


 南の国の殺し屋、ダズ。

 スラム街の生まれで元傭兵という過去を持つ。

 近年行方を眩ませていたが、ここに出てくるなどとは思っていなかった。


「東でも名が通っているとは光栄だ。あんたが警察組織の大将だな。なら……!」


 いつ出したのか、その手には銀のナイフが握られていた。

 刃渡りは短いものの、鋭いナイフがクレアの頸動脈を狙って振り払われていた。


 が、ナイフは誰の血でも濡れていなかった。

 読心能力によってダズの攻撃を先んじて知ったクレアは、ダズの不意打ちを完全に見切り、躱しきっていたのだ。

 さらにクレアは回避したのと同時に召喚陣を構築。

 鎧をまとった純白の白馬が現れて、そのままノールックで後ろ蹴りを繰り出した。


 ダズもまた、ノールックでその場でしゃがんで蹴りを躱し、高く跳躍して離脱。

 だが着地した先に馬が突進してきており、鎧についたニードルが襲い掛かる。

 決まった、と誰もが思った。


 だがダズは逆に馬の頭部についたニードルを掴んで止め、文字通り馬の馬力諸共受け止めた。

 軽々と、とはいかない。

 数メートルを押し出され、膝のニードルにふくらはぎを刺されながらようやく止めた。


 そのまま馬の首を捻って倒し、隙ありとかかってきた敵の剣士を二人、回し蹴りで文字通り一蹴。

 またどこからともなく取り出したナイフを投擲し、クレアに回避行動を取らせたうえでそこを殴りにかかる。


 だが数手先まですでに読んでいたクレアは身を翻すとダズの太い首を取り脚で絡めて締め上げる。

 女性の力とはいえ、首を絞められては落とされる。

 すぐさま拘束を逃れようとして、両腕を先ほど蹴り飛ばした戦士二人に抱き締められる形で押さえ込まれた。

 さらに数人の戦士に押さえ込まれ、身動き自体封じられる。


 そのままクレアの締め技が、ダズの意識を刈り取る――


 ――といきそうだったものを、あと一歩のところでダズがさらにEエレメントを解放。

 ダズの体から放たれる突風によって、クレアを含め全員が吹き飛ばされた。


「俺に能力を解放させるとは、さすがに色国軍しきこくぐんの戦闘部隊ということか」

「みんな、無事?!」

「負傷者多数! 治癒が間に合いません!」


 隊員からの報告を受けて、クレアはそんなバカなと負傷者に目を向ける。

 最初にダズにやられた隊員は、本来回復している頃合いだ。

 だというのに、最初の隊員はまだダズによって折られた腕を押さえて呻いていた。

 回復隊員も、何故どうして、という戸惑いの表情で狼狽えている。


「あなたの仕業ね?」

「その通り」


 と、問われるたダズは躊躇うことなくタネを明かす。

 読心の能力を持つクレアを相手に、隠し事は通用しないことをわかっている。

 今までのやり取りで、クレアが読心能力かそれに近い能力を持っていることを、ダズは見抜いていた。


Eエレメントウインド系統タイプ酸素オキシジェン。俺は酸素濃度を操る能力者。酸素はなければ窒息するが、あり過ぎると毒になる。俺は打撃を叩き込むと同時に大量の酸素を叩き込み、細胞そのものを攻撃し破壊しているのさ」

「治癒が遅いのは、そもそも治癒で活性化する細胞そのものが死んでしまっているから」

「それでも、細胞は絶えない破壊と再生を繰り返すものだ。結果、治癒を一定時間妨害するでしかないが、時間に余裕のない戦闘中にはこれ以上厄介なものもないだろう」


 確かに、数で圧倒できないのは痛い。

 回復さえ間に合えば、人海戦術で攻め落とすこともできただろうが、つまりダズの一撃を受けただけで戦闘不能となり、しかもその時間が長いということ。

 回復の阻害とは確かに悪質な能力者だ。

 自身は適度に酸素を取り込むことで、逆に肉体を強化さえしている。


「バレているだろうからもう言うが、俺は囮だ。本隊はすでに皇子を救出している頃だろう。おまえ達はすでに負けたんだ」

「だからあなたをこのまま見逃せと?」

「そうは言わない。だがおまえ達は今、骨折り損ということになる。このまま戦ったところで、おまえ達が得られるものは何もない。それでも戦うか」

「ありがとう、警告してくれて。でもね、損得だけで戦う理由を選ぶくらいなら、そもそも私は総督ですらないのよ、この平和を体現した王国の、ね」


 蓮とルンウィスフェルノの戦いがまるで静まったことに、バリスタン・Jジング・アルフエは違和感を感じてならなかった。

 まさか、と最悪の状況を考えてしまって仕方ない。


「ここにきて、余所見……舐められるの、嫌い!」


 Eエレメントサモン系統タイプ武装ウェポン

 第六団体副団長、ささユリの無限に召喚される暗器に、アルフエは翻弄されていた。


 拳銃一つで応戦するアルフエと違い、ユリは絶えず武装を変えてかかってくる。

 しかも突撃してくる最中にもあれこれ武器を捨てて出してを繰り返しながら迫って来るので、飛びかかってくるまでどの武器で来るのかわからない。

 しかもその扱い方がトリッキーで、銃で殴るところから始まり、終いには盾を投げてくる始末。

 型にはまらない型と言えば聞こえはいいが、しかしときどき武器の扱いが著しく素人じみるときがある。


 生真面目なアルフエにとって、これ以上なく苦手な相手だった。


 ユリが斧を振り下ろして牽制、出した剣で薙ぐ、と思いきやブーメランのように投げ飛ばし、距離を取ったアルフエに撃ち落とさせる。

 距離を詰める間にもユリは剣、斧、鎌、双剣、槍、盾、銃、と武器を出しては捨て、出しては捨て、最終的に身を翻して飛びかかって来る間に決めた。


 なんと至近距離まで詰めたのに選んだのは弓で、あろうことか弓で殴りかかって来た。


 アルフエはとっさに拳銃を盾にして受けきるが、すぐさま距離を離したユリは空中へ。

 すぐさま弓を引き絞り、三本の矢を同時に放つ。


 矢は火矢で、しかも筈から矢尻にかけて導火線が走っており、アルフエの下へ達すると爆発する仕組みである。

 三度の爆発でアルフエの視界を奪い、さらに矢で追撃。

 アルフエに撃ち落とさせて、自身は素早く下から攻める。

 頭上に注意が向いているアルフエは粉塵によって気付くのが遅れ、ガントレットをはめた手に殴り飛ばされる。


 ガントレットの甲の部分に刃がついていて、アルフエは横腹を刺された。

 深紅に近い赤い血が、アルフエの体が染み出す。


「終わり」

「まだです!」


 至近距離からの銃撃。

 ユリは後退しながらここはオーソドックスに、盾で防ぐ。


 そして、今までならば攻め入って来たものを、槍を握り締めて距離を保ち始めた。

 理由は、アルフエでもすぐにわかった。

 目がかすみ、意識が遠のき、冷や汗がドッと全身から噴き出し始めたからだ。


「毒、ですか……」

「ここまで喰らわなかったのは褒めてやる。が、私の武装にはすべて毒が塗ってある。おまえが喰らったのは神経毒。死にはしないけど、放置しておくと下半身不随は確実。二度くらえば……心臓が麻痺して死ぬ」


 あと一度攻撃を受ければ死に、放っておいても麻痺が残る。

 つまり彼女の攻撃を一度受ければ、戦士としての死を迎えるか、命そのものを失うか。

 どちらにしても、結末としては悪い。



 このままでは、どちらにしても死ぬ。



「選ぶ? 戦士として死ぬか。それとも、死ぬか」


 ここで、生きてみせると言い切れるほど、アルフエの心は強くはなかった。


 彼女はまだ若く、心は弱い。

 自分の実力に自身などなく、本来誇るべき才能を怪物として戒め、周囲からの目を、声を恐れているくらいに、彼女は自分自身を肯定する力がない。


 故に毒を喰らえば、元より弱い気持ちは一層弱まり、体に巡る毒の脅威をひたすらに、命を蝕む恐怖として感じ続ける。

 震えは果たして毒のせいか、それとも恐怖からなのか。

 いずれにしても、震えは体の芯から来て、治まらない。


「死ぬのが怖いのですね……なら、死ぬのがお望みということで」


 アルフエはいたずらに無駄撃ちなどしない。

 銃口は絶えず移動するユリを狙っているが、右へ左へ移動を繰り返すユリを捉えきれずに右往左往するばかり。


 結局一発も打ちこめないまま、ユリの肉薄を許してしまった。

 漆黒色の刃の鎌が、アルフエを毒殺ではなく斬殺しようと首目掛けて振りかぶられる。


 死んだ、とアルフエは恐怖から目を瞑って、次の瞬間に、空を裂く断裂音が響いた。


 が、いつまで経ってもアルフエの首は胴体と別れない。

 毒による辛さはまだ抜けず、首を絶たれる痛みはまるで来ない。


 ふと目を開けると、ユリがそこにおらず、アルフエより左方のずっと遠方まで吹き飛ばされていた。

 そしてそこにいるのは、ユリだけではない。

 倒れているのは、ルンウィスフェルノだった。

 彼女がユリを巻き込み、吹き飛ばされたのだ。


「アルフエ様、大丈夫ですか」

「ピノー、さん……」


 駆け寄って来たピノーに、アルフエは寄りかかる。

 不意に足に力が抜けて、そうなってしまったのだ。


「毒ですね。すぐに解毒します」

「で、でもまだ敵が……」

「では、二人まとめてお相手ということで……よろしくお願いします、蓮様」


 橙色の頭髪。

 漆黒の上着を靡かせて、万華鏡のように絶えず色を変える虹彩で相手を睨む。

 アルフエに一瞥をくれた蓮は、助けに来たよと言いたげに、優しく微笑んだ。


「蓮、さん……ご無事で……」

「蓮様。アルフエ様の解毒をします。敵を誰も近付けないでください」


 

 蓮は上着を翻し、わかったと頷く。

 その虹彩は暖色から寒色へ、そして白へと変わった。


 瞬間、蓮から放たれた謎の波動が、周囲の音を奪い去った。

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