第110話

「でもあの時礼子さんは、誰しもがお金を得て、良い暮らしを望んでいると……」


「そう……確かにあの時舞さんにはそう言ったわね。それはそれで間違ってはいないと私は思っているわ……でもね、言わせてもらうなら、金持ちの世界も劣化しているのよ……」


「そんな言い方……」


 訝しんだ……何もかも、欲しければ潤った財力を活用して手に入れられる側の人間が、何を言っているのか……。


「何、その眼は……舞さんもこちら側の人間じゃない……」


 私の視線を跳ね返す声と眼……。


「私が財を築いた訳ではありません……全て父の傘の下で恩恵に預かっているだけです……私が何かを成し遂げたものなんて、何もないんです……」


「これから成し遂げればいいわ……」


「だから……礼子さんの側に加われと……」


「他に舞さんの進むべき道があるなら、無理にとは言わないわ……」


「それは……」


 言葉に詰まる……私には礼子さんが示す道しかないのだ……他の道などありはしない。あったとしてもこの場から簡単に出られる訳がない……それを知っている礼子さんは、存在しない選択肢を残す。


「そんなに落ち込まなくてもいいのよ……舞さんもまだ20代の女性。私もそのくらいの頃は、これだという確固たる将来のビジョンはなかったわね。ぼんやりと心に生まれた想いはあったけれど、踏み出すのを迷っていた時期だった……ふふっ、思い返すと懐かしいわ……」


「…………」


「でもこの時代、私達は辛く暗い世界に生きている……」


「可哀想だけれど、これが現実……ただ息を吸い、そこにいるだけでは生きてゆく事さえ許されない。絶えず社会と繋がり、労働力を提供。対価としてカネを得て生命維持の為に分配、使用する事で自分や自分以外の人間の生命も維持されてゆく……カネという概念が消えない限り、この生命維持の環は脈々と受け継がれてゆく……ならば、カネの概念を覆し、人間は生きてゆく為の新たな価値観を創造し得るのか……舞さんはどう思う……」


「それは……」


「ええ……そう。不可能ね……」


「私達はそれぞれの神を信仰しているのではなく、カネを信仰しているのよ。人間が崇め、崇拝している神は、現実では何もしてはくれない……全ての人間にあまねくカネを分配するでもなく、貧富の差や人権の格差も解決はしてくれない……」


「それでも人間は神に縋る……縋って日々の溜飲を下げ、精神的安定を得る。しかし、この世界で生きてゆく為にはカネという物質的価値が必要……ただの丸い金属と印刷が施された紙なのに、あまたの神はそれを提供できない……何故かしら。絶対的価値観と信仰の象徴である筈の神なのに……」

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