第88話
「えっと……」
少し迷って手に取ったスマートキーのボタンを詩織は2台の車に向け押した……深く憂いのある赤い車のウェルカムランプが点灯し、詩織を迎え入れる。
「やったね……こっちに乗りたかったんだ」
車に駆け寄った詩織は、フロントノーズからドアミラーへと指を滑らせる……。
「あっ、これが噂に聞くアクティブAIオートLEDヘッドライトとシーケンシャルウインカーとリアテールかぁ……おっ、それとホイールが21インチになってる……レザーシートにパドルシフトに……うん、ナビ画面も大きいしタッチパネルだし、有機ELのメーターにインフォメーションディスプレイとヘッドアップディスプレイにこれまたAIを導入した全方位セーフティデバイス……いやぁ、最高ぅ……」
興奮しながら外装を確認し、運転席に座り、電動シートを操作してシートポジションを合わせた詩織は、ダブルステッチが施された本革巻ステアリングの感触を確かめながら新車の装備を解説し、はしゃぐ……。
「んじゃ、こっちをもらうよ……」
アリスが私からスマートキーを奪い「マイマイ車」と呼ばれる事になる流麗な輝きを放つ青い車にメンバーと乗り込む……「詩織車」のメンバーと同様に、新車特有な香りを楽しみながらシートの着座感を確かめている……。
偶然なのか、前車が「ああなる事」を確信しての今日の納車なのか……それとも単にライブが成功したご褒美なのか……社長の意図は読めない……。
「高樹マネージャー、そろそろ時間です」
エレベーターホールから、女性スタッフが呼ぶ。
不満たらたらのマスコミ対策として、会社側が撮影したライブ映像のごく一部の公開と記者会見を急遽、開催する事になっている。私達が歩み寄り、彼らは溜飲を下げるのだ……。
「今行きます……皆、時間よ」
名残惜しそうなヴィーラヴ……。
「今までありがとう」
「じゃあね」
『バイバイ』
それぞれの言葉で、役目を終えた車にお礼を言い、エレベーターホールへ向かうメンバー達……。
「楽しかったよ……ありがとね……」
ちょっぴり寂しげに詩織は呟き、別れの挨拶として、フロントノーズに口づけした……薄っすらと口紅の色が白い衣に残された……。
「この子達をよろしくお願いします……」
少し震えた声の詩織はディーラーの女性に言い、愛車に背を向け去ってゆく……万希子さんが詩織を見届けた後、2台の傷ついた車と女性に深く礼をして詩織に寄り添った……。
万希子さんで最後かと思いきや、意外にもアリスが、自分の乗っていた車のテールランプに愛おしく取りつき、リアガラスに走る亀裂を指で辿りながら目を閉じ、唇を動かす……。
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