第29話

「はぁ…………ディレクターさん、社長呼んでもらえるぅ。もうさぁウザったいよ、このマネージャー」


 そろりと腰を浮かし「逃げよう」としたディレクターを私は睨んだ。凄味を増した気と眼差しに屈したディレクターは、再び腰を落ち着かせ以後、自分の気配を消した。


「社長なんて今、関係ないでしょう。女に頼らないでここに来なさいよ…………女は面倒とか、何言ってるのよ。男の方がよっぽど面倒だわ……私が愛情を注いでいるのに、素知らぬふりで応えてくれないなんて……そうよ、結局は自分の殻に閉じ籠って逃げ出してしまうんだわ。あなたもそうなんでしょう。人との関係を拒絶して、都合の良いエリアから一歩も出ずに私達を攻撃する。傷ついた人の心なんて考えずにね……でもその先に一体何があるの。希望の光でも輝いているとでも言うのかしら……ねぇ教えてよ。私はどうすれば良かったの?彼との愛を繫ぎ止めるにはどうすれば良かったの?ねぇ早く教えてよ……」


「何訳わかんない事言ってんの?るっせぇな」


「えっ、聞こえなかったわ……何か言ったらどうなのよ。私を、万希子さんを救うには、どうすればいいの。早く教えなさいよ……ウジウジ引き籠ってないで、さっさと教えなさいよ!」




「教えなさいよっ……!」


 もう感情が制御できず、絶叫した。


 同時に、テーブルにあった「何か」を咄嗟に手に取り、スピーカーに向けて思い切り投げつけた。


 気配を消したつもりでいるディレクターの頭を掠めた「何か」は、録音ブースとを隔てている防音ガラスに鈍い音を奏で、衝突する。


 金属が崩壊し、湯気が放出され、液体が解放されてゆく。流花と雪が飲んでいたホットココアの保温ポットが「何か」の正体……そんなにも、私の勢いと力は強かったのと「感心」する程に、ディスプレイやデスクに液体が飛び散り、操作レバー、スイッチ類の隙間に、温かく甘いココアが染み込んでゆく。


 ちょっとやそっとでは傷つかない防音ガラスに、繊細で「美しい」亀裂が走っている現象が、私の行為を鮮明に裏づける。


「あああああぁ……」


 ディレクターは叫びながら、慌ててティッシュの箱を鷲掴み、レバーやスイッチの隙間にティッシュペーパーを詰め込むが、すぐにココア色に染まってゆく絶望的な光景に彼は脱力し、最後に力なく「あぁ」と呟き、本当に気配を消した。


 歯が小刻みに鳴り、躰が熱く、震える。


 私の魂で、解放感と後悔が入り混じる……。

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