第19話 夜話

「なるほど、そういうわけでここにいらしたわけですか」

 茅野さんはちびちびと日本酒を飲みながら、私の話をあぐらをかいて私の来歴を聞いていた。半袖Tシャツに半ズボン丈のジャージを穿いている。胸が目立つ。私はわざとらしく頭をかきながら答えた。

「そうなんです。朝から奇怪なことばかり。そしてこのとおり軟禁され、一体何をしているのやら」

「それは私も同感です。わたしの取り扱いも宙に浮いたまま、まだ捕虜身分です。さっきは流れで戦ってしまいましたが、そもそもどうして私たちは襲われなくてはならなかったんでしょうか。襲ってきた女の子たちの正体も……」

 それで思い出した。それだ、と言いながらコップを床に置く。

「そう、それこそ奇怪。この世ならざるものであると感じましたが、でも戦ったとき手応えがあった。結局は勝ったわけだからなんとかなったんでしょうが、いかんせん記憶があやふやで」

「肇さんを襲った女の子はわたしが組み伏せました。もうひとりは宮様が切り伏せました」

 私は聞き返した。「切り伏せた?」

「ええ、文字通りの意味です。持っていた隠し刀で胸を貫きました」

「よく少女相手に躊躇なく、いや、組み伏せたあなたもすごいが」

「私の漫画ではよく幼女が組み伏せられています。その応用です」

 すごく問題あることを言った。漫画規制派に聞かれたら槍玉に挙げられる。オフレコでよかった。

「腕ひしぎで組み伏せたのは良かったのですが、しかし相手は武器を持っているとはいえ骨格は少女、私の力に耐えきれず腕がめきめきと若木のように折れる音を立てた瞬間、これはしまったと思いましたね。人類の宝である美少女を傷つけてしまったと」

 漫画の中で少女をさんざん陵辱しておいていまさらどの口が言うのか。

「そこからです。次の瞬間、ふっとすべての抵抗が消えたのです。腕もなくなっています。腕だけではなく、女の子自体いません。そこにいたのは気を失った肇さんと、この紙でできた人形でした」

彼女はポケットからスマートフォンを取り出した。その人形の写真を撮っていたらしい。写っていたのは、小さな紙を人の形に切り出したもので、達筆な文字が書いてある。陰陽師が式神を使役する時に使うアレである。左腕に当たる部分が折れ曲がっていた。

「なるほど、つまり我々が戦ったのは式神であった、と」

「そういうことになります。宮様が切り伏せたほうも、同じような人形となりました」

「すると相手は陰陽師……」

 非現実的だがそう考えるしかない。いや、非現実的な環境にいるのだ。非現実的なことがまた一つ増えたところでそう驚くほどでもない。

 ではいったい陰陽師が何用があって我々を攻撃してくるのか。

 可能性が一つある。国の機関で陰陽師を扱いそうなところが一箇所だけあった。文化庁陰陽寮である。自衛隊を実際に動かすのに先立ち、密偵として陰陽師を送り込んだのであろう。

 無茶苦茶な仮説であるが、それがもっともな仮説であった。平家を名乗り神符により結界を張るような輩に対抗するには、いまだ魔術や妖術が存在した時代の存在を引っ張り出してくるほかはない。過去をして過去を葬らしめよ。

「なるほど。とするとですよ、政府はこれを知っていたことになるのではないですか」

 私の考えに賛同しつつ、茅野さんは付け加えた。

「陰陽寮が文化庁の外局としてできたのは以前のこと、すなわち丹生谷のことを想定していた可能性があるのではないでしょうか」

 なるほど、そうすればやたらと早かった政府の初動も頷ける。しかし疑問は残る。京都にある文化庁はどうしてこんなにも早く決起宣言の日に密偵を送り込むことができたのか。いやそもそも密偵は文化庁の職分ではない。そういうのを取り扱うのは内務省ではないか……。

 そう考えたときハッとした。丹生谷より剣山地を隔てて北にある神山には、内務省の支部である消費者庁がある。ちょうど昨日私が通過したそばだ。

 何ということか。目と鼻の先に政府は拠点を持っており、そこに消費者庁が移された数年前より睨みを効かせていたのだ。

「政府はすでに丹生谷を包囲している。しかも相手はおそらくオカルトを操る術を持っている。これでは勝ち目がない」

「そうとも限らないのではないですか」茅野さんは自身のコップに酒を注ぎながら言う。一口すすったあと面を上げて続けた「現在の皇統に不満を持つ勢力というものは、少なからず存在します。それを糾合することができれば、一大勢力となって東京に対抗できるはずです」

「一体どこの勢力ですかそれは」私も酒を口に運びながら言った「そんな勢力、ここの平家以外に何がいるんですか」

「肇さんも紀伊半島の南部の出身であるなら、親類や知人に一人ぐらいいても良いのでは」

 紀伊半島南部にゆかりのある勢力? 一体何が……

「歌書よりも軍書にかなし」

「吉野山」私は続けた。芭蕉十哲の一人、各務支考の名句である。

 そうだ、と私は膝を打った。南朝がいるではないか。菊水の旗印を靡かせつつ、彼らが参戦するなら現状は打開される。

 いや待てよ、彼らは南朝の末裔を天皇に祭り上げるはずだ。安徳帝の末裔を奉じる我々とは相容れない。

「そこのところは、ほら、なんとかするしかないでしょう。両統迭立とか」

「それ、戦争がもう一つ増えるだけでは」

「まあそれはその時です」

 そう言って、はあ、と彼女はため息を付いた。

「まあ、こういったバカ話も含めて話をしないと、心が持ちそうにありませんからね」

 馬鹿話だったのか。私は案外本気に話していたが。

「まあでも、いまの皇統にケチを付け、皇位を要求するというのは無茶なものだと思います。そんな過去を掘り出してきて、どうするつもりなのか」茅野さんは言う。

「いやでも、剥奪された皇位を取り戻すというのは一理あるんじゃないですか。そもそも自分が支配していた国を取り戻そうと思うのは自然です」

「なるほど」そう言って彼女はコップを置いた。目の色が変わった気がした。「では、その支配している国というのはもともとなんの訳あって、皇統のもとにあるのですか」

「それはほら、神武天皇の即位から…」

「それより以前です」

「ニニギが天壤無窮の神勅を奉じて天下ったからですか」

「高天原の神々が国つ神から国を奪い取った、という方が正しいのでは」彼女は鋭く言った「なんの故あって高天原の神々はそんな神勅を下す権利を与えられていたのですか。高天原は武御雷率いる尖兵を送り込み、土着の神々をねじ伏せて、中つ国に君臨する道を選んだんです。神武帝もニギハヤヒより大和を奪い取って征服したわけですし、その後も東国は征服されて帝徳に浴することとなりました。武力で奪い取った土地を支配しているのに、自分らがいざ敗北する立場に回ると、本来の持ち主、支配者などという単語を持ち出すのは、おかしなことではないですか。辺境を夷と呼びを切り伏せ、まつろわぬ神々を貶めた大和政権の末裔は、いずれも等しく簒奪者です」

 彼女はまくしたてるように言い切った。そして一気に残った酒を飲み干す。

「だ、大丈夫ですか……」私は尋ねた。

「え、ええ。大丈夫です」彼女は一呼吸して言った「私としたことが熱くなりすぎました。ついつい喋りすぎてしまいました。飲みすぎですね」

 彼女はそういうと立ち上がった。

「なにか酔い覚ましとなりそうな飲み物を持ってきます。肇さんのぶんももってきましょうか」

「ありがとう、お願いしてもいいかな」私は言った「なにぶん、部屋から出歩けないものですから」

 彼女は頷くと階段を下って台所へと向かった。数分後、彼女はお茶のはいったポッドと、お茶の注がれたコップを二つお盆に乗せてきた。

「アイスティーしかなかったけどいいですか」彼女はコップを差し出す。

「大丈夫です、ありがとう」私はそれを受け取ると、半分くらい飲み干した。

 茅野さんは、向かい側に腰を下ろした。

「それにしても、さっきの発言はやや過激でしたね」私は言った「東京はともかく、丹生谷の高官に聞かれたら大変です」

「ええ。幸いにも聞いているのは肇さんだけですが、しかし肇さんも丹生谷の官位を持つ人ですからね」

「そのとおりです」

「だから、喋りすぎた、と言ったんです」

 ん、どういうことだ、と思った瞬間視界がゆがみ始めた。身体から力の抜ける感じがする。

 茅野さんが、何かを言っている気がするが、聞き取れない。

「死ぬようなものではありません。ただ深く眠って、逆行性健忘と言うんでしょうか、記憶が少し曖昧になるくらいですから……」

 彼女はそういった意味のことを言ったらしいが、全く知る由もない。私はそのまま倒れ込むように床に伏すと、すぐにその体と魂はヒュプノスのものとなったのだ。

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