第111話クロント王国三都市同時侵攻戦Ⅸ
クロント王国、槍聖騎士団第六騎士部隊所属、テセウス・ヴァンキッシュ。
胸に槍の模様が刻まれた鎧を身に付けた彼は、今日この場に来たことを心底後悔していた。
御年三十になったテセウスは、槍聖第六騎士部隊の隊長を勤めている。だが、彼は騎士と聞いて連想する鍛えられた肉体をしていない。どちらかというと肥満体型だ。
今まで自堕落な生活を繰り返してきた結果、頬肉は弛み、腹にはでっぷりとした脂肪が付いている。
騎士団内では「なぜテセウスなんて豚が部隊長を勤められるのか」という疑問がしょっちゅう出てくる。
騎士団長及び副団長の信が厚い、などというわけではない。
単純に貴族としてのコネを使い無理やり騎士団へと入ったのだ。
だから戦闘などまったくの素人。
近年、槍聖騎士団は王国内で名声が広がりつつある。
元から国を守護する三聖の騎士団ということで知名度も人気もあった。
それが飛躍的に高まったのは近年、アイザック・カシウスという人物が騎士団長になってからだ。
紅眼の悪魔。
赤き閃光。
様々な二つ名があるアイザックだが、彼が有名になったのは前槍聖騎士団を一騎打ちで瞬殺したからだ。
二十歳とまだ若く、見目も麗しい。そこに実力も超一流とくれば国民にとって、特に女性にとって夢中になるのは必然だった。
テセウスもそこに乗ったのだ。
家のコネで無理やり入り、金を積むだけで特に訓練はしない。簡単な任務だけこなして実績を稼ぐ。決して死の危険があるようなものには一切手をつけない。
今までそうしてセコく生きてきたからこそ部隊長までになった(ほぼ金の力で買った地位だが)。
だからこそ彼は、今日の任務にも参加した。
都市アルスで神敵者の情報を集めるだけ。長旅になるがそれにさえ目を瞑れば然程難しくはない。適当に任務をこなしても誰も文句は言わない。
なぜなら相手は神敵者。
この世界の絶対悪であり、共通の敵だ。
こんな簡単な任務だからテセウスは、副団長イバン・スチュワートに頼み込んで派遣してもらった。
「簡単な任務だったはずなのに…」
それが蓋を開けてみれば都市襲撃に巻きこまれて命の危機だ。
思い描いていた未来とはあまりに違う任務に拳を震わせた。
「何故、私がこんな目にあわなければならない!」
周囲にいた彼と同族――コネ入団した者――が同意を示す。
幾分か気分を良くしたテセウスだったが、未だ鳴り止まぬ咆哮、爆発音、剣撃… 様々な戦闘音に再び苛立ち始める。
取り巻きたちは被害が及ばないように離れ、全ての責を第六騎士部隊の副隊長の男へと擦り付けた。
副隊長はテセウスと違い実力で入団し、第六騎士団副隊長まで登りつめた猛者だ。
鎧から見える肉体はとても逞しい。長年鍛えた肉体は彼に強者としての風格と自信を齎している。特に周囲がコネ入団のボンクラの集まりであることも相まって余計に副隊長の存在感は増していた。
「この煩わしい音はいつになったら――ひぇっ! …止むのだ!?」
一際近くで鳴った咆哮に情けない声を漏らすテセウス。
彼ら一行がいるのはアルス傭兵の詰所から少し離れた位置にある建物だ。
戦闘が起こってからテセウスが強引に入り、中の者達を追い出して立て籠もった。だが、それでは後々上に報告されて面倒な始末を受ける恐れがある。そう考えた彼は、自身の護衛に副隊長及び、数人の部下を残し全てを前線に投入した。
部下が手柄を立てて帰ってくるのを待っている状態だ。
テセウスの怒声に副隊長が答える。
「テセウス隊長、あまり大きな声を出されては周囲のモンスターに気付かれる恐れがあります」
「だったらさっさとモンスターを始末しろ! 何のために前線へ行かせたと思っているのだ!」
「お言葉ですが、今回派遣された団員だけでは到底討伐は不可能かと思われます」
「何とかしろ! 何のためにお前のような戦うだけしか取り柄のない奴を副隊長にしていると思っているのだ!」
「コネと金しか取り柄のないデブがほざくなぁ!」と叫びたい衝動にかられる副隊長。額に浮かぶ青筋を髪で隠し、努めて平静な声で続ける。
「私一人が戦線に参加したところで戦況にはさしたる影響もありません。もっと大人数の、もしくは単独で戦況を覆せるような存在が居れば別ですが」
「何でもいいからっさっさとやれ! この都市の衛兵と …そう冒険者だ。あの無駄に数だけは多いゴミ共に命じてさっさとモンスターを片付けさせろ。それからこの都市
で一番腕の立つ冒険者を私の近くに派遣するように伝えろ」
「…」
「何をしている! さっさとやれ!」
小さくため息を吐く副隊長の男。
「了解しました」と告げると部下――コネ入団ではない――に指示を出した。
Aランクパーティーの面々――ダグラス、ニック、ミコト、クリムの四人を始末したセリム。
脳内に響く無機質な声を聞き流すのはいつもと変わらないが、その表情はどこか苦しげに映った。
傷が原因ではない。既に傷口は"超再生"という"再生"の上位スキルで癒えている。
ならば何故か――
(クソが。意識を持って行きやがった…)
先の戦闘の最中、実はセリム自身あまり意識がなかった。
内に燻ぶる黒い塊――狂気に浸食されて一時的に身体の制御を奪われていた。ここ最近出るようになった現象で今回で二度目だ。
戦闘や気分が高揚すると釣られるように胸の痣が熱を放つ。そして身体を浸食するように意識が飲み込まれるのだ。
あまりに多くの魂を喰らった結果だとセリムは睨んでいたが、今更喰らうことを止めるつもりはない。
力が必要なのだ。
何者にも負けない圧倒的な力が。世の理不尽を滅ぼす力が。
頭を振ったセリムは白龍の背に乗るルインへ視線を向けた。
「行くぞ」
返事をしたルインはいそいそと白龍から飛び降りた。すると龍の足元に魔法陣が浮かび、それに吸収されるように白龍は粒子となりて消えた。
白龍を仕舞うとルインに命令を下す。
「ここらに倒れている騎士どもを集めろ」
「…はい」
これから何が起こるのか、今までの光景を見れば明らか。
ルインは自身が人殺しに加担する罪悪感を抱いていた。けれども拒否できない。拒否すれば狂気が自身に向くかもしれない。そんな恐怖もある。何より、それがローアに居
る家族に剥くのが怖かった。
家族のため。
そう割り切って傷を負って動けなかったり、失神している者を回収して回った。
鈍い打撃音が響く。
水音が響く。
哄笑が響く。
ルインはその光景に目を逸らすしかなかった。
狂ったように笑いながら拳を繰り出す男――セリム。
騎士と思われる人物へ馬乗りになり、二言三言話しかけると即座に暴行を加える。
ルインはその光景に見覚えがあった。
それはスラム街で日常的に繰り返される光景だった。
力ある者が力無き者を虐げ奪う。決して与える事は無い。搾れるだけ搾って使えなくなったら捨てる。
自身が嫌悪したものがあった。
けれど止めない。止められない。
世の中は弱肉強食。それはスラムで生きて来たルインにとって痛いほど分かるものだ。
弱者には二つの選択肢しかない。
弱者として一生食い物にされるか。又は強者の下に下り庇護を受けるか。
ルインは庇護を。彼ら騎士は食い物にされることを選んだ。
そもそもセリムに敵対した時点で選択肢など死よりもつらい地獄だけだ。そこで身を焼かれるような苦痛を一生味わいながら消える事のない絶望に苛まれる。
馬乗りになっていた騎士から腰を上げるセリム。騎士は既に事切れているのか生気を感じさせない瞳は恐怖と痛みで歪んでいた。
「はぁ はぁ はぁ 脆いんだよ。どいつこいつもよぉ!」
先程まで暴行していた死体を蹴り飛ばす。
数回ほどバウンドした死体はちょうど近くにいたモンスターのところへ。濃い血の臭いを嗅いだモンスターは騎士の身体に齧り付いた。
生々しい咀嚼音が響く中で失神していた騎士の一人が目を覚ました。周囲を見て悲鳴を上げると這って逃げ出そうとする。
「がぁっ!」
逃走に気付いたセリムが脇腹を蹴り上げた。
蹴飛ばされた騎士は別方向から歩いてきていたモンスターの近くへ着地。節々の痛みを訴える身体を強引に動かしモンスターから遠ざかる。が、当然モンスターの方が体躯は大きく、歩幅も広い。
直ぐに追いつかれ恐怖に歪んだ顔で見上げた。
モンスターの顔は目の前。吐き出される吐息を肌で感じられるほど近くに居るのに男は失神出来なかった。
今まで培った経験や鍛えた成果が無駄に発揮されていた。中途半端な実力を身に付けた自身を呪った。
歯の根の合わない顎を打ち鳴らした直後、モンスターの腕に弾かれセリムの元へ戻される。
まるでそここそがお前の居場所とでも言うように。
「恐怖したか?」
「…」
「恐怖したかって聞いてんだよ。何とか言えよ」
「あ、は、ぇ…」
容量を得ない回答に落胆するように溜息を吐いた。
セリムは騎士の男へ向けて殺気を放った。
彼が気絶しないよう、それでいながら明確に恐怖を感じ抵抗すらしないように調節された殺気。
セリムは再度問いを投げた。
騎士の男は僅かに頭を振って肯定を示す。
「そいつは良かったな。だが、テメェが感じた恐怖なんぞちっぽけなもんなんだよ!」
殺気を強めると白目を向き始める。それでも意識だけは飛ばせない。
男は頭を横に振った。まるで殺さないでとでも言うように。
セリムは仮面の下で口を歪ませた。
「安心しろよ。お前は俺の中で生き続ける。未来永劫絶えることのない苦痛と絶望に苛まれながらな」
騎士の男の首を両手で掴むと力を込める。
殺気で強張った身体は碌に抵抗も許してもらえずあっさりと沈んだ。
脳内に本日何度目かのアナウンスが流れた。
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