第101話逃亡の果てに

太陽は既に地平線の向こう側へ沈み、世界が夜という闇に包まれる。街のあちこちに灯された明かりが星のごとく輝いていた。


ラグリアからの招集を受け屋敷に戻ったセリム。


これからのことについて聞かされたが、そのまま屋敷に留まらずに近頃盗賊が出るという噂がある場所に赴いていた。盗賊たちからスキルを奪い取るためだ。


ラグリアから齎された王国の戦力を削ぐ作戦は今日から二週間後。


それまでにチェルからの依頼を片付けてしまいたい。それを考えヒュドラの毒に対抗するために白魔法の上位版を求めて盗賊を狩っていたのだ。


無論盗賊がそんな高等なスキルを持っているワケなどないとは知っている。だが、自身でスキルを使用するよりも奪った方がレベルが上がりやすいのだ。加えて他のスキルもレベルが上がるために一石二鳥と言えた。


盗賊狩りを終えると金集めも兼ねてのモンスター狩りをしていた。そして今しがた獣爪ビーストヴォルフ所有の森の宿舎まで戻ってきていた。


時間帯にして現在は十時くらいだろうか。


時間が時間という事もあり誰も訓練をしている人物はいない。偶に吹く風により葉擦れの音だけが聞こえる。


宿舎には明かりがついているようだが騒がしい声などは聞こえない。毎日の訓練で疲れているのもあり早く寝るようになっているからだ。


この時間でも明かりが付いているのは下――ローアの街に出向いている者達が帰ってきたときのためだと少し前に聞かされていた。


就寝している者を起こさぬようにセリムにしては珍しく気を使う。


"振動魔法"で足音やドアの開閉音を相殺しながら宿舎へと入る。音が一切鳴らないせいでサイレントショーのようにも見えるが、セリムとしてはこういう時にもスキルのレベ上げを欠かさないだけであり、ふざけているわけではない。


音を消し去りながら廊下を歩き自身の奴隷達に割り振られた部屋へと向かっていく。


態々こんな共同宿舎に戻ってきたのは奴隷達の状態チェックやセルシュから現在の状況などを聞くためだ。


必要なものや必要な相手を聞き出しそれを準備する。戦争まで刻々と迫っているためにさっさと使えるようになってもらわねばいけないからこそ、ここまで手間を掛けている。


とはいっても、セリムは三人には特に期待などの感情は抱いていない。寧ろ使えたらラッキー程度の認識だ。


三人がいる部屋に付近につくと念のために"気配遮断"で気配を断ち、"隠形"で姿を闇に溶け込ませ見えなくする。ここでもレベル上げだ。


如何せんスキルが増えるのはいいのだがレベルが低いままになっているのも多い。役に立つかもといった程度だが上げることにしていた。


各部屋にドアなどはなく、本来ドアがある場所には長さ一m程の布がかけられている。


布をそっとズラし暗闇の中を見渡していく。まず訪れたのが女性の部屋ということで鬼人族の女性とルインの様子を観察。外傷などがないことを確認すると次は獣人の男性を確認する。確認し終わるとセルシュの部屋に向かう。


セルシュはボスの用心棒ということで宿舎に唯一ある一人部屋を与えられている。


一人部屋にはドアが付けられており、他と比べれば優遇されている。


ノックすると中から鋭い声で「誰?」と発せられた。



「話を聞きに来た」


「…開い、てる」



返事が帰ってきたことで遠慮なく部屋へと入っていく。


既に眠気が限界なのか欠伸をしながら迎えてくれたセルシュの目はとろんと垂れている。


年齢とかけ離れた子供っぽい容姿が、元とは言えSランク冒険者には見えない。睡魔に必死に抗っている子供のようにも見え、中々に可愛らしいく見える。



「で、どうなんだ?」



後ろ手にドアを締めながら問いかける。唐突な問だったがセルシュは特に迷うこともなく答えを返した。



「明後日、くらい、には三十、いく。 そう、すれば、二次職」


「やっとか」



一週間という短い期間で三人同時に育ててようやく三十レベルという段階に漕ぎ着けた。しかし、セリムとしてはあまり満足行く結果ではなかった。


仮面の所為で見えないが雰囲気からセリムのことを窺い知ることが出来る。それにより、なんとなくわかっていた。同時に何が不満なのか?という疑問を抱く。


低レベル時は倒せるモンスターも弱くレベルが上がりにくい。


三人同時に、それも一週間で二次職持ちにまで上げるのは相当なスパルタ訓練をしなければならない。やりすぎれば奴隷達が使えなくなる恐れもあるためにここらが限界なのだ。


それを理解しているセリムだが、未だに弱すぎて情報集めとしてダンジョンに潜らせたりすることは当分先になりそうだ感じていた。


基本的なことから叩き込まなくてはいけないため本来ならば、こんな速度で上がることは異常。だが、如何せん育ての経験が無いからわからないのだ。



「それで何か必要になりそうなものはあるか?」



フルフルと首を振り、ないことを伝える。それを確認するともう用は済んだとドアに手をかけた。



「質問、がある」



首だけを動かし振り返る。



「何故、私、の術から、抜け、られたか、疑問…」



またそのことか、とため息を吐きたい気持ちに襲われる。


つい一週間前位のことだ。


セリムは獣爪ビーストヴォルフの奴隷が売っている場所でセルシュと戦った。


最初は自身にハンデ・・・を課して戦っていたのだが、見たことも聞いたこともないスキルに加え、Sランク冒険者としての獲得した様々な武器、ステータスの高さに苦戦とまでは行かなくとも手を焼かされた。


止む終えずハンデを取り除き戦った結果、圧倒的だった。だが、その過程で専用スキル、"血の判決ブラッディ・センテンス"を受けたのだが、これらからどうやって脱したのかそれを聞かれていた。


この質問は顔を合わせるたびに「おし、えて」と言われていた。あまりのしつこさに少々まいってしまっていたセリム。


四次職である処刑人のスキル血の判決ブラッディ・センテンス


このスキルは相手の血を使うという条件があるがそれさえクリアしてしまえば使える代物だ。


相手となっている人物の血を媒体にして発動する。使用者の足元に血のような真っ赤な魔法陣が形成されるのだ。


そうなった瞬間、相手は身体の自由を全て奪われてしまう。ただ処刑を待つだけの囚われ人となるのだ。


ただ、このスキルはあくまで身体の動きを止めるものであり、魔力の制御などの魔力に関しての妨害は出来ない。その為、魔法を使うことはできる。


四次職ということもありそう簡単に拘束を振り切ることはできない。


同じSランク冒険者でさえ血の判決ブラッディ・センテンスの拘束に一度捕まってしまえば逃れる術は無いほどに強力なのだ。


加えて三次職である殺戮者のスキル狂宴の音色フォリー・フェスタン


付けた傷を無理やりに開くというものだ。掠り傷や擦り傷、切り傷など大小問わずに効果が発揮される。


"傷"さえ付けばどんな状態でも無理やり開くからだ。


一度の傷につき一回だけという限定ではあるが、血の判決ブラッディ・センテンスに必要な血を得るためには相性の良いスキルだ。



「…何故?」



コテンッと首をかしげて問いかけるセルシュ。


さすがにこう何回も聞かれてはセリムとて鬱陶しくもなる。この鬱陶しさを無くす為には答えるしかない。



「拘束は耐性値が高ければ解ける。それだけだ」


「…意味、不明… 血の判決ブラッディ・センテンスを、自力で、解く、ほどの耐性、値は、人間、じゃ、持てない、はず…」



言葉尻に向けて声が小さくなっていくのはセリムが解いたことに対する自信のなさからか…


セルシュの言葉に鼻で笑ってしまい、疑惑の目がさらに強まる。



「人間なら、な…


「どう、いう、意味?」


「そのままの意味だ。そうだな… "天空の覇者"に行けば言葉の意味を少しは理解出来るだけかもな」



そう告げると部屋を出て行った。


セルシュの部屋を後にしたセリムは気分が高揚したこともあり、風にでもあたって気分を落ち着かせようと出口に向かっていた。そこでちょうど食堂にいた鬼人族の女性と遭遇した。


先ほど見た時は寝ていた筈だが…と疑問を抱きながら見るとキッチンからお湯を沸かしているような音が鳴り響いている。



「帰ってきてたんですね、おかえりなさい。丁度お湯を沸かしていたので何か飲むなら用意しますよ?」


「紅茶、コーヒー以外なら何でもいい」


「相変わらず飲めないんですね」



クスッとおかしそうに笑う女性。


椅子に座り待っているとお盆の上にマグカップを二つ載せてキッチンから姿を現す女性。


全身を質の良いサラサラとしてそうな薄水色の寝巻に包まれた肢体は、服の上からでも分かるほどに隆起している。


雰囲気もおっとり系である彼女と寝間着姿が相まって育ちがよさそうなイメージを抱かせる。同時に隠せぬほどの色香をも漂わせており、人妻が放つ妖しくも魅惑的な雰囲気に思えた。



「どうぞ」



盆からコトリという音とともに置かれたカップを手に取ると仮面を外していく。


前方から驚愕の吐息が聞こえて来る。視線を向ければ鬼人の女性が軽く目を見開きセリムをまじまじと見つめていた。



「何だ?」


「あ、いえっ。始めえてお顔を見たものですから…」



慌てる様子というのは雰囲気からして似合わないものではあるが、慌てて視線をカップの中へ向ける女性。


そう言えば見せたことが無かったな、と思い至る。


仮面は顔が知られ世間一般に神敵者として広まってしまった。よって騒ぎを防ぐ意味合いで付けていたのだが、一人くらいに知られても構わないだろう。



「こんなガキだったことが意外か?」


「…確かに思っていたよりも若いことには驚きましたが、それでも今は私の主人であることに変わりはないですから」


「…」



カップに入った緑茶のような色合いの液体を口に含む。色や風味などは緑茶に近く、茶と付く飲み物の中でセリムが唯一飲めるものだ。


透き通るような色合いにサラサラとした飲み心地の茶を飲んでいくと微かにだが苦味のようなものを感じられた。茶ということで多少の苦味はあるのだがいつも飲んでいるよりも若干苦味が強いように感じられたのだ。


とは言え、淹れる人が変われば味も変わってくるというもの。特に気にせず飲み干すと食堂に唯一あるソファーへと移動する。


場違い感満載な感じで置かれているのだが、部屋が足りない時などにここで寝るようにと置かれているものなのだ。


夜風にでも当たって気分を落ち着かせようとしていたが、思わぬティータイムで落ち着くことが出来たのでそろそろ眠りにつこうかと身体を横にする。



「そんな所で寝ては風を引きますよ。確か部屋はまだ余りがあったはずですから」


「ここでいい」


「そう、ですか」



何だか気落ちしたような声で返事をする女性。その声を最後にセリムの意識は微睡みの中へ落ちていった。





~~~~~~





ギシッ ギシッ ギシッ



「…上手くいったのか?」


「えぇ。なんとかね」



どこか遠くから聞こえて来る音。


それはまるで海の中にいるときのように何を言っているのか判然としない意味をなさない音の羅列のようにも聞こえる。小声で話しているのか、余計に聞き取りにくく、ともすれば耳障りだ。


木板で出来た床を踏む音と判然としない声らしき音によって急速に意識が浮上していく。途端多少ボケて聞こえるもののはっきりと聞こえ始める音に眉を顰めそうになる。



「取り敢えずこれで後半日は起きないはずよ」


「よし、なら今のうちにさっさと行こう」



コクリと頷き返すと以降声は途切れる、ギシッ ギシッと床板を踏む音だけが響いた。数秒後にはキイィィというドアの開閉音が鳴り響き、静かに閉められ、遠ざかっていく二人の気配。



「…」



遠ざかっていく二人の気配を感じながらソファーから起き上がるとドアへと視線を向け、立ち上がる。そうして机の上に置かれていた仮面を手に取ると歩を進めるのだった。





~~~~~~





「はぁ はぁ」



村などの人口が少ない何もない場所ならば明日に備えて既に寝入っている時間帯。そんな時間に森の中を息を切らしながら猛スピードで下っていく男女二人組がいた。


夜は昼間と違い死角も多く、加えてモンスターに遅れをとりやすくなることから普通は森に入ることは躊躇うものだ。しかし、二人はガサゴソと草木をかき分けながら必死に進んでいた。


モンスターを警戒して武器など装備はしているが、どちらも速度を落とさないように革の装備を中心に揃えられている。指には指輪を、耳にはピアス型のリングがつけられている。



「はぁ ここ、まで来れば、平気か?」


「そう、ね…」



ここまで森の中を休まずひたすら走って来た所為で息切れは激しい。汗も凄い。だが訓練のお陰か呼吸は直ぐに元通りに戻り始める。体力もまだ十分に余っている。



「こんだけ走ったけどまだ体力が余ってんのは、あの訓練のお陰か… 何というか必死に訓練した甲斐があったものだ」


「確かにそうだけど、ここでのんびりしている場合じゃないわよ。さっさとしましょう」



男性は頷くと今まで走ってきた道へと視線を戻す。


夜闇に包まれ真っ暗な世界。さらに森ということで不気味さや恐怖がつきまとう。そんな場所を自身が走り抜けて来たなど一週間前には出想像すら来なかった。


奴隷という身分から脱するためにセリムの条件を飲んだ。


今まででは考えられないような金と力を手に入れることが出来た。感謝しているが同時に罪悪感、そして出し抜けたことに対する喜びを感じていた。



――愛しの、待っている家族の元へ帰るんだ!



今一度無事に帰れることを祈るように心の中で強く祈ると女性へと視線を向けた。



「一週間という期間だけだったけどありがとう。元気で」


「こちらこそ」



そう言うとお互いに反対方向へと走り始めた。進み始めた足は止まることなく進み続ける。振り返ることも相手を気遣うこともない。あるのは己が逃げられるように全力を出すことだけ。



両者が分かれて数分たった頃――


一目散に山を下っていく女性。自由時間のうちに何度も道程を確認し安全な最短ルート見つけ出していたおかげで順調に進むことが出来ている。



(速く 速く もっと速く。あのガキに見つからない内に… あの獣人の男が生きている内・・・・・・にもっと遠くへ)



先程まではおっとりとしたどこか妖しい雰囲気を纏っていた女性だったが、今その面影は完全に消えていた。


ギラギラと妖しく光る目は己の醜い欲望を宿し、それに合わせるように顔は歪んでいる。



――ドォンッ!



別れた男性が向かった方向から聞こえる爆発音。


普通なら今の爆発音はなんなのか、と疑問を抱き速度が落ちたりチラリとでも背後を振り返るものだが、女性は一切気にすることもなく寧ろ喜悦に顔を歪めて走っていた。その顔は"醜悪"と表現するしかないほどに…



(やっと起動したわね。これであのガキはあっちに気を取られて向かうはず。そのうちにさっさと山を降りる!)



先ほど起こった爆発は宿舎を出る前に女性が"身体強化の護符"などと言って渡した爆撃符が爆発した音だ。


しかも魔法陣の構成をいじりタイマー式の符である。セリムからもらったお金で購入したのだ。かなりの値段だったが毎日大金が手元に転がり込んでくる状況ではそう高い買い物でもない。


取り敢えず今のうちにさっさと逃げようとさらに駆ける速度を上げた時だった。物凄い勢いで飛来してくる風切り音が聞こえた。かと思った直後には地面に派手な音を立てて着地した。


これには思わず女性の足も止まってしまう。


ボワッと言う音とともに何かが煙の中から飛び出し女性の足元へたどり着く。


何これ?と疑問を抱きながらよくよく見てみると、そこにいたのは先ほど別れたばかりの男性だった。


胸元には爆撃符による衝撃で全身に大きな火傷の跡が見受けられる。まだ息はあるようだが、呻き声を上げながら苦しんでいた。しかしこのまま放っておけば死ぬのは時間の問題だ。



(何で生きて…)


「何で生きてるんだって顔だな」



ハッとして声が聞こえた方向を振り向けばそこには未だ眠っているはずの人物――セリムがいた。



「条件付きだがせっかく救ってやった恩がこれか…」



何故ここにいるのか理解できなかったし、見つかった以上は逃げるべきだと頭の中で鳴り響く警鐘が告げる。


しかし、今はどうでもよかった。奴隷として買われたことを救いなのだとほざくガキに一言言ってやらなければ気が済まなくなっていた。



「…救い? 恩? そんなものこれっぽちも感じたことなんてないわっ!」



セリムとしては金も、制限付きではあるが自由も与え、奴隷として買った時に奴隷に刻まれる所有者の証、奴隷紋による束縛や主を害さないなどの設定もなくした。


奴隷から救っただけでなくこれら全てを与えたにも関わらず恩を感じていなかったと言われては自身の考えが甘かったと考えざる得なかった。



こんな状況の中で言ってくることから本心なのだろうが、思わぬ指摘に女性の足元で転がっている奴もそうなのかと尋ねる。



「彼は感謝はしていたみたいですよ。でも家族に会いたいとかでここを抜けるとか、そんなどうでもいいことを言ってましたけど」



"家族に会いたい"



昔のセリムだったならばその思いに何かしら思えることがあっただろう。だが、今は何とも思えない。変質してしまった己の心は復讐に囚われてしまっているのだから。


今も尚囁き続ける亡者の声が聞こえてくるのだ。


今まで喰らってきた者が、永遠に抜けることの出来ない地獄の底から手を伸ばし、恨めしい声で奏でる。



「自分で殺っといて随分と他人行儀な言い方だな。それとよ、誰が勝手に傷つけていいと言ったんだ? そいつはお前のじゃねぇんだよ」



セリムが声に明確な敵意を乗せると、女性は呻き声を上げいいよどんだ。しかし、直ぐにキッと睨み返す。



「…いっつもそう。私たちみたいな弱者は奪い続けられる存在で、他人から恵んで貰わなければ生きていくことさえ出来ない弱っちくて惨めでどうしようもない生き物。あなたのような力もお金も持っている存在は私たちをそうやって物扱い。それが嫌なのよっ!」


「なら強くなればいいだろうが」


「そんな簡単になれる訳ないでしょ。その日その日を生きていくだけで精一杯の乞食が、どうやって強くなれって言うのよ。戦う術も力もないのに!」


「…奴隷になる前は乞食だったわけか。まぁ乞食よりは奴隷の方が待遇はいいよな。飯もあれば同じ境遇のやつもいる。それなら惨めなのは自分だけじゃない、他も奴も同じ、そう思えるもんな」


「っつ… だまぁれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」



目尻を釣り上げ鬼の形相もかくやという程の顔で突っ込んでいく女性。


買った当初に比べれば速度や身体の動かし方、力など段違いに上がっている。だがそれはあくまで以前と比べればの話だ。


鬼人族として優れた膂力を生かして繰り出された拳だが簡単に避けられる。次の一手を繰り出すよりも速く顔面を鷲掴みにされると物凄い力で投げ返され木に衝突した。


肺から空気を吐き出し苦痛に顔が歪む。吐血しなかったのは鬼人族の頑丈さと鍛えたおかげだろう。



「乞食から奴隷に…俺を利用して自由になろうって魂胆だったんだろう? なら加減してないで殺しにこいよ」


「うっ…」



起き上がりながらセリムを睨みつける。


セリムの力はセルシュとの一件で"物凄い"という抽象的ながら認識していた。だからこそ戦うのではなく"逃げ"を選択した。


ただ見つかってしまえば逃げるのは不可能であろうことも最初から分かっておりその場合は戦うしかないと思っていた。


勝てるか?なんて聞かれたら無論ムリだ、と答えてしまうだろう。


だが自由に、惨めな自分から脱却するためには避けては通れない道だ。決意を固めると身体強化など様々なスキルを使っていく。



――コロンッ



女性の目の前に投げられたのは小瓶。中には色とりどりの丸薬が入っている。



「お前が何だろうと興味なんてねぇしどうでもいいが… 折角だ、最期くらいは主人の役に立つ機会を与えてやるよ」



奴隷を買ったもののセリムは世話には関与せず殆どを金稼ぎに出ていた。その為買う前に会ったルインはともかく、二人の素性などまったくと言っていい程知らない。仮に知ったところで気に止めることもなかっただろうが…


上から目線の言葉。


視線。


何度も何度も見てきたものだ。まるでゴミでも見るかのような視線に馬鹿にするような言葉。だがそんな奴からでさえ食事などを恵んでもらえれば堪えてお礼を言う。生きるためにそうするしかなかったのだ。


こんな何者でもない与えられるだけの、存在価値のない自分から脱却したかったのだ。


だか、中々手は伸びない。


ブースタードラッグなくしてセリムからの逃亡は難しい。それはレベルを上げ強くなった今だからこそより分かるようになっていた。


されど、ドラッグをちょっと飲んだだけでは越えることは不可能なことも理解ししていた。やるからには全て飲み干さなければ絶対に逃げ切れる保障がないと。


このままここで殺されるか、ブースタードラッグの過剰摂取によって死ぬか、残された選択肢は選択肢とは言えない"死"の一択。



(それでも私は…)



怒りに震える手で小瓶を掴むとコルクの蓋を抜き取る。


そうして中に入っていた幾つもの丸薬を全て飲み込んだ――


身体中の血が沸騰でもしたかのように熱を帯びる。皮膚が赤くなり血管が浮き出る。焦点も定まらず世界が大きく歪み吐き気さえ催す。



「うぅ゛あぁぁぁぁぁぁ 」



獣のような低いうなり声を上げ熱を堪える。



こんなところで死ねない――



そんな思いで。


そうしてどのくらいの時間がたった頃だろうか。


赤みが引きはじめると女性の魔力が急激に高まった。


深夜にも関わらず魔力に当てられた鳥たちが飛び立つ。



「こんなところで…」



その言葉の共に女性はセリムへと飛びかかった。































その夜、森の中で二つの命が散った。


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