第二章-2:あたしと悪魔と最終兵器-11

 背中のフェンスに身体が押しつけられたのは、一瞬のことだった。

 滑らかな白い霧に包まれたかのように、辺りの景色はぼんやりと見える。

 明日香ちゃんが屋上にぺたりと尻餅をついた。目の前に立つ高橋は、トライアングルの棒をくるくると回しながら周りを見回す。

「なるほど、正しく発動させるとこんな感じになるのか」

「な、……な……!」

 明日香ちゃんが高橋を指差す。口がわなわなと震え、何かを言いたくて仕方ないのに言葉が出てこない、そんな顔だ。そしてそれはあたしも同じだった。ぶるぶると震えて全く定まっていない二人分の人差し指に指され、高橋があたしの顔を見て首を傾げる。

「どうかしたのか」

「どっ、どうしたもこうしたも……!」

「だ、騙したな、ひきゅぉっ、卑怯者ぉっ」

「騙される方が悪いでしょうよ」

 いつの間にか明日香ちゃんの背後に立っていた伊吹さんが、後ろからトライアングルを優雅に取り上げる。返しぇ、返せー、と尻餅をついたまま明日香ちゃんが手を振り回すけれど、まず全く届いていないので何の効果もない。しかも盛大に噛んでるし。

 ……そうだ、明日香ちゃん! さっきの明日香ちゃんの言葉を思い出す。「帰らないためにも、その得体の知れない最終兵器は返しません」。今、最終兵器は叩かれた。それも、明日香ちゃんから十センチも離れていない、まさに目の前で。

「明日香ちゃん大丈夫!?」

 手で背中のフェンスを押し、勢いで明日香ちゃんの元へ駆け寄る。伊吹さんへ振り回していた手を止め、明日香ちゃんが振り返った。明日香ちゃんと同じく屋上に座り込み、その肩を掴む。

「ちょっと明日香ちゃん、平気!?」

「う、うん」

 明日香ちゃんがぽかんとした顔であたしを見る。

「平気、……あれ?」

 答えて、自分の答えにびっくりしたかのような顔で自分の身体を見下ろし、あたしに掴まれた肩を見る。

「……全然……なんともないんだけど……。むしろ肩こりが治った気がする」

「明日香ちゃん、その歳で肩こり持ちだったの!?」

「冬場は割と……」

 そう言いながら、あたしと明日香ちゃんの視線は、まず伊吹さんへと向かう。視線に気付いた伊吹さんが、ため息をついて、高橋を見て口を開く。

「あなたが何も説明しないから、わたしたちの方が悪者みたいじゃない」

「悪役ではなかったのか」

「少なくともわたしは違うわよ」

「俺も違うな」

「ちょっと、あなたと一緒にしないでくれる?」

 エクソシスト二人の会話がナチュラルにずれていく。悪役ではないらしい二人にどうにか話を聞こうと声をかけようとしたとき、明日香ちゃんが不意に声を上げた。

「校舎」

「え?」

「直ってく……」

 驚いて気の抜けたような声。尻餅をついたまま横を向いてぽかんと口が開き、数度続けて大きな目が瞬きをした。

「校舎? ……あ!」

 あたしも横を向く。音楽室の方向だった。二階にある音楽室は壁も窓もほぼなくなり、穴や凹みができた床がここからよく見える。椅子もぐちゃぐちゃ。壁の崩壊は上下の階にも及んでいて、真下の地面には恐らく壁の残骸なのだろう白い大きな塊がいくつも落ちていた。なかなかに酷い状態なんだけど、確かに目を細めて注意深く見てみれば、……あれ、さっき見たときよりも音楽室の壁がある……気がする!

 立ち上がって、フェンスのところまで駆け寄る。身を乗り出して目を凝らす。剥き出しのコンクリートの傷口に、どこからか、何かきらきらとした白い粉が集まってきていた。あ、今、大きな欠片が下の方からふわんと飛んできてくっついて、収まった。コンクリートの欠片、……崩れたものが戻っていく。まるでビデオを逆再生しているかのように……時が戻っているかのように。

 凹んだ床がぼこ、と膨らんで戻る。横倒しの椅子が空を飛んで、足から着地。ぴたりと綺麗に並んでいく。

 後ろから、大きな硬いもの同士がぶつかる音がしたから振り返ってみれば、屋上へ出る扉が形を取り戻していくところだった。さいごにがしゃん、と一際大きな音がして、転がっていた扉が取り付けられた。

「広く知られる神話や伝説が元となって、いわくつきの品が生まれ、これが最終兵器となっていく。ミョルニル、という北欧神話の槌を知っているか?」

 すぐ横から高橋の声が聞こえた。あたしの横に立ち、フェンスに手をかけて立って、音楽室をまっすぐに見ている。

「し、知らない」

「そうか。話は変わるが、最終兵器の効果は、大きく分けて三種類ある。一つは戦いに関するもの、次に自然現象、そして、生と死に関わるもの。……この世の生き物にとって、生死とは文字通り生と死だが、神話や伝説には欠かせないのが」

「……再生……かぁ」

「百点だ」

 ぽつりと言った明日香ちゃんを、高橋がぴっと指差した。

「最終兵器を探すことになった時から、兵器専門のエクソシストを少し離れたところに待機させていてな。この騒動の間、最初に試し打ちした時のデータを解析させていたんだ。その結果、つい先ほど、この最終兵器の元となったのはミョルニル、大きなハンマーだと分かった。自在に大きさが変わるから殴ってもよし、手放しても必ず手元に戻ってくるから投げてもよし、儀式に使われたり、あと生き物を生き返らせる、再生の力もあるという」

「……すごく便利なハンマーだね」

「そうだな。そういうわけで、この最終兵器には『再生』の効果がある。崩れたもの、消えたもの、全て」

「戻っていってるんだぁ……」

 音楽室がきらきらと輝いていた。何かと思ったら、浮かんだ細かなガラスの破片が、冬の淡い光を受けて反射している。窓のアルミサッシが真四角に戻り、枠の中をガラスが埋める。

 高橋の左腕の傷も、見えなくなっていた。

「もちろんこのことは、事前にも予想されていた。伊吹に聞いたところ、これまでの潜入調査の結果、少なくとも再生の効果を持つ何かだろうということが分かっていたらしい」

「言っておくけど、二年間、何もやってないわけじゃないのよ。潜入して一時間で最終兵器を見つけた、あなたの悪運が強いだけで」

 ふん、と伊吹さんが鼻から息を出す。

「校舎もこれだけぼろぼろになったことだし、それならば最終兵器を是非使おうということになったのだが、恐らく事情を言ったところですんなり最終兵器を返してくれるとは思わなかったからな。お前の言葉で言うなら、そう、騙させてもらったわけだ。さて、再生するのはここまでか」

 高橋が辺りを見回す。白くぼやけた靄は薄れ始めていた。はっきりと見える守本中学校の校舎は、あたしが見慣れた、いつもの姿だ。少し古くて汚れてる、校舎。ああよかった、明日も無事に部活ができる、なんてどうでもいいことをあたしは思った。

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